2010年12月19日日曜日

ymene

17.12.2010 目黒パーシモンホール 
たぶん今年最後のライブだな。高木正勝をみるのは初めて。 
ドリーミングなエレクトロニカを鳴らすヒト、というイメージだったけれど 
ピアニストとしての彼は意外に打鍵音の強い、アタッキーなプレイヤー。 
その上、椅子の上でくねくね踊ったり立ち上がったり。アクティブ。 
もっと神経症みたいなヒトなのかと思ってたから。 
出音の強さと、曲間の天然ト/途中で靴下を脱ぐ/手汗を上着で拭う等の 
素行とのギャップが面白い。 


今回はymeneは「夢の根」がコンセプト。 
美しかったり激しかったりするピアノの音を背景に後ろのスクリーンで流れる 
断片的な映像がコンセプトを象徴しているようにも見える。 
映像をみると、僕は無意識にストーリーを求めてしまうのだけれど、 
脈絡の無い、ぶつ切りに流れる映像はそれを許さない。 
時に美しい映像が流れ、時にグロテスクな映像が流れ、「物語化」を拒否する。 
時折現れるピアノを覆わんばかりのSEも聴衆が音楽に身を委ねさせるのを 
許さないかのようにも思えた。 

でもね、夢とはそういうものかもしれない。 
無秩序で無軌道で、散らかっていて、夢から覚めるとあれはなんだったんだろう。 
たくさんのきれいな、あるいは恐ろしいだくさんの欠片を見せることが 
彼の意図であるのであれば、たぶんそれは成功している。 
夢とはつまり、僕らが手にしている素材なのかもしれない。 
見たいもの、見たくないもの。きれいなもの、醜悪なもの。 


アンコールはリクエスト大会。 
「それ難しいんやで」「それ昨日やった」「それ映像もってきてない」等。 
"wave"と"bloomy girls"と"girls"をやってくれた時点で僕は大満足。 
"girls"はドリーミーな映像とかわいらしいピアノがよく合っている。 
あれ、"new flat"やったっけかな。 


面白かったのは、曲を始めるときいくつかの鍵盤をピコピコと叩いて、 
まるで音を捜しているように見えたこと。 
「ちょっと中断、ピアノと仲良くなりますね」といってぽろぽろあそぶ様は 
リハに立ち会っているようでもあったし、婦女子はきっと「ファニー。」と思っただろう。 
本人もいうように「素の」高木正勝はきっとああいうヒトなんだろう。 

同時に彼は音を散らかす。散らかした音の中から、「正しい音」を選ぶ。 
細かい線を何回も書き重ねることによって輪郭を明らかにするような。 
エレクトロニカという手法そのものがそれに近いけど。 
ばらまいて音を捜す。選んだ音が次の音を導く。そんな印象。 
一本の太い線をぐぐいと書けない僕は、彼のそういう仕草に 
なんか親近感をもってしまった。 
あー音楽は作れないけどね。あくまで性格的な話として。 



「世の中の31歳はみんなくねくねしているの?」と、 
僕のほうを見て放たれた疑問については、断固、否、とお答えしよう。 
あれはきっと高木くんだけです。