音楽雑誌を買わなくなったし、レコードショップに足を運ぶ機会も減った。
音楽関係の情報はネット・ニュースサイトを眺めている。
パフォーマンスの記録と外部への発信は一昔前とは比べ物にならないくらい、高品質かつ容易になっている。だから、表現者としては増えている。
情報の海は以前よりも広く、深くなった。
そんな状況があるはずなのだ。
Battle of the Streaming Services: Apple Music vs. Tidal vs. Spotify
日本であればtidalの代わりにGoogle play musicが入る。
ストリーミングサービスも本格化してきて、よく話題になっていますね。
Apple musicをつかってみて、考え込む
このエントリーは2年ぶりに舞い戻ってみて1週間。再びサヨナラした話です。
どうもまだ、君を使いこなせる器ではないようだ。
冒頭に述べたとおり、アーティストの数が増加しているとして。一方、メディアは情報を選択し、編集し、解釈を提供して発信する。キュレート/キュレーターだ。
メディアはキュレーターが発信しようと思わない限り発信されない。原理的にいってそうだろう。
表現者の母集団が増えるほど、キュレーターの発掘作業は増えるはずだ。でも、キュレーターは増えない。購読者が増えるわけではないからだ。需要に対して供給が多すぎるのかもしれないし、より需給関係がニッチになってきたのかもしれない。
そんなことで、キュレーターはこの先も生き残る。とっておきのアーティストを、とっておきの解釈で需要家に売り込むのだ。
一方、「関連性」で検索することが今後は増えるかもしれない。辞書で類語を引くみたいに。アーティストAを聴いている人はBも聴いている。とすると、何かしらの親和性があるのかもしれない、みたいな。キュレーターが介在しないアプローチだ。
キュレーターが推薦してくれたモノを使ってみる。確かに使い心地はいい。でも僕はキュレーター本人ではない。僕は僕が欲しいものを選びたい。それなのに、僕は欲しいものがよくわからない。
みたいなね。矛盾です。
でも、けっこう、あるのではないか。
こうしたサービスの中にはすでに実現しているものもある。今後は、需要者ベースの検索方法も磨かれていくだろう。もちろんこれは単に良い話だけではないから、稿を改めて考えてみたい。
「関連性」の検索・レコメンドという地平では、ビッグデータを持っている者が当然強い。一般論ですけど。
だから、Apple Musicにまたしても関心を持ってしまったのよね。前回辞めた理由なんてすっかり忘れてしまって。
モニターの前に座ってるだけだとね、ほんともう見つけられない。
wikiとかで網膜を通り過ぎているのかもしれないけれど。当方、めしをくったことすら忘れるくらいには耄碌している。検索したことすら忘れるなんて、あさめしまえです。
Appleさんは今や世界で3本の指に入る音源コレクションを持っていて、付属情報もすべて電子化されている。それを聴いているお前さんは、これも気になるはずだ。聴いてみるがいい。定額だから心配するな。Appleさんはそうおすすめしてくれる。
僕は聴いたことのない音源を認知する。そして聴く。
この連関はすごく素敵だ。
月額1,000円くらい。客観的にも安い。シングル一枚分の値段で4,000万曲聴けるのだから。契約を止めた瞬間にすべてが消えるけれども。
そして。3日でイヤになった。こんなに優等生な三日坊主もめずらしいだろう。
ストリーミングで利用している分にはいいのだけれど、ダウンロードしてしまうと僕のライブラリが汚れる。しなきゃいいのだけれども。
そして心血を注いで整理しているライブラリのジャンルを勝手に変えやがります。そうじゃなくてもItunesのバージョンが変わる度にこのテの問題はときたま起こる。
僕は再生ソフトにAudirvana Plusを使用している。AudirvanaはTidalに乗り入れをしているそうだけれども、Tidal自体が日本でサービスインしていない。
そしてダウンロードされた音源であってもDRM処理がなされたものは再生ができない。つまりApple Musicでダウンロードしたファイルは再生できない。
Audirvanaを使う理由は長くなるので稿を改めるけれども、かなり死活的にItunesのエンジンでは再生したくない気持ちが強い。
以下、不満をまとめます。
・僕はItunesをライブラリおよび資産目録として運用されているので、汚されたくない。
・そうはいっても僕の趣向に基いて関連性から引いてくれる誰かさんが欲しい。
最初っからストリーミング学派として生まれた若者はよいのです。私のように「Rec+再生ボタンの同時押し+「おとうさんちょっと静かにしてて」」のダビング学派からスタートすると、当然のように音源は保有すべきものと考えるようになります。ストリーミング学派を軽薄の徒と揶揄することになるのです。ストック派とフロー派の神学論争が巻き起こります。
物分りの良い風を装っていますが、腹の底では未だに若者を侮蔑する日々です。
数百ギガの音楽ファイルを腹にくくりつけて入水でもしようかと思うのですが、最近ハードディスクも軽いので水に浮いちゃうかもしれません。
結論として、Itunesとストリーミングを切り離すことにした。さよなら。短い間だったけど楽しかったよ、Apple Music。僕らは近づきすぎるとうまくいかないんだ。
前回辞めたときも似たようなことを考えたような気がするけれど、気にしない。
そしてSpotifyの加入。Google play musicでも良かったんだけども、なんとなく前者に。無料だし。
音源のチェックはストリーミング。その中で気に入った音源を入手するというのが、自分の性分に合っているような気がする。
オールドスクールな僕はストリーミングには未だに馴染めていないけれど、できることから身体は合わせてみようと。
Spotifyの中でレコメンドはもらえるけれども、Last.FMともペアリングしておくとよりいいことがあるかしら、などと思ったりしてます。
あれこれやってみて、また経過を報告します。
音楽関係の情報はネット・ニュースサイトを眺めている。
パフォーマンスの記録と外部への発信は一昔前とは比べ物にならないくらい、高品質かつ容易になっている。だから、表現者としては増えている。
情報の海は以前よりも広く、深くなった。
そんな状況があるはずなのだ。
Battle of the Streaming Services: Apple Music vs. Tidal vs. Spotify
日本であればtidalの代わりにGoogle play musicが入る。
ストリーミングサービスも本格化してきて、よく話題になっていますね。
Apple musicをつかってみて、考え込む
このエントリーは2年ぶりに舞い戻ってみて1週間。再びサヨナラした話です。
どうもまだ、君を使いこなせる器ではないようだ。
冒頭に述べたとおり、アーティストの数が増加しているとして。一方、メディアは情報を選択し、編集し、解釈を提供して発信する。キュレート/キュレーターだ。
メディアはキュレーターが発信しようと思わない限り発信されない。原理的にいってそうだろう。
表現者の母集団が増えるほど、キュレーターの発掘作業は増えるはずだ。でも、キュレーターは増えない。購読者が増えるわけではないからだ。需要に対して供給が多すぎるのかもしれないし、より需給関係がニッチになってきたのかもしれない。
そんなことで、キュレーターはこの先も生き残る。とっておきのアーティストを、とっておきの解釈で需要家に売り込むのだ。
一方、「関連性」で検索することが今後は増えるかもしれない。辞書で類語を引くみたいに。アーティストAを聴いている人はBも聴いている。とすると、何かしらの親和性があるのかもしれない、みたいな。キュレーターが介在しないアプローチだ。
キュレーターが推薦してくれたモノを使ってみる。確かに使い心地はいい。でも僕はキュレーター本人ではない。僕は僕が欲しいものを選びたい。それなのに、僕は欲しいものがよくわからない。
みたいなね。矛盾です。
でも、けっこう、あるのではないか。
こうしたサービスの中にはすでに実現しているものもある。今後は、需要者ベースの検索方法も磨かれていくだろう。もちろんこれは単に良い話だけではないから、稿を改めて考えてみたい。
「関連性」の検索・レコメンドという地平では、ビッグデータを持っている者が当然強い。一般論ですけど。
だから、Apple Musicにまたしても関心を持ってしまったのよね。前回辞めた理由なんてすっかり忘れてしまって。
モニターの前に座ってるだけだとね、ほんともう見つけられない。
wikiとかで網膜を通り過ぎているのかもしれないけれど。当方、めしをくったことすら忘れるくらいには耄碌している。検索したことすら忘れるなんて、あさめしまえです。
Appleさんは今や世界で3本の指に入る音源コレクションを持っていて、付属情報もすべて電子化されている。それを聴いているお前さんは、これも気になるはずだ。聴いてみるがいい。定額だから心配するな。Appleさんはそうおすすめしてくれる。
僕は聴いたことのない音源を認知する。そして聴く。
この連関はすごく素敵だ。
月額1,000円くらい。客観的にも安い。シングル一枚分の値段で4,000万曲聴けるのだから。契約を止めた瞬間にすべてが消えるけれども。
そして。3日でイヤになった。こんなに優等生な三日坊主もめずらしいだろう。
ストリーミングで利用している分にはいいのだけれど、ダウンロードしてしまうと僕のライブラリが汚れる。しなきゃいいのだけれども。
そして心血を注いで整理しているライブラリのジャンルを勝手に変えやがります。そうじゃなくてもItunesのバージョンが変わる度にこのテの問題はときたま起こる。
僕は再生ソフトにAudirvana Plusを使用している。AudirvanaはTidalに乗り入れをしているそうだけれども、Tidal自体が日本でサービスインしていない。
そしてダウンロードされた音源であってもDRM処理がなされたものは再生ができない。つまりApple Musicでダウンロードしたファイルは再生できない。
Audirvanaを使う理由は長くなるので稿を改めるけれども、かなり死活的にItunesのエンジンでは再生したくない気持ちが強い。
以下、不満をまとめます。
・僕はItunesをライブラリおよび資産目録として運用されているので、汚されたくない。
・そうはいっても僕の趣向に基いて関連性から引いてくれる誰かさんが欲しい。
最初っからストリーミング学派として生まれた若者はよいのです。私のように「Rec+再生ボタンの同時押し+「おとうさんちょっと静かにしてて」」のダビング学派からスタートすると、当然のように音源は保有すべきものと考えるようになります。ストリーミング学派を軽薄の徒と揶揄することになるのです。ストック派とフロー派の神学論争が巻き起こります。
物分りの良い風を装っていますが、腹の底では未だに若者を侮蔑する日々です。
数百ギガの音楽ファイルを腹にくくりつけて入水でもしようかと思うのですが、最近ハードディスクも軽いので水に浮いちゃうかもしれません。
結論として、Itunesとストリーミングを切り離すことにした。さよなら。短い間だったけど楽しかったよ、Apple Music。僕らは近づきすぎるとうまくいかないんだ。
前回辞めたときも似たようなことを考えたような気がするけれど、気にしない。
そしてSpotifyの加入。Google play musicでも良かったんだけども、なんとなく前者に。無料だし。
音源のチェックはストリーミング。その中で気に入った音源を入手するというのが、自分の性分に合っているような気がする。
オールドスクールな僕はストリーミングには未だに馴染めていないけれど、できることから身体は合わせてみようと。
Spotifyの中でレコメンドはもらえるけれども、Last.FMともペアリングしておくとよりいいことがあるかしら、などと思ったりしてます。
あれこれやってみて、また経過を報告します。