2012年5月27日日曜日

さていまなんじ?

大昔、サミー・ヘイガーがデイヴ時代の曲について「歌詞に意味が無いゼっ」とdisっていた記事を読んだ。だって"Panama"だし"Jump"だし。今回だって"Tattoo"だものね。
気持ちはわかる。でも違うと思う。
デイヴはきっとシリアスに歌うのが嫌なんだ。だからデイヴは、かわいい女の子や先生のこと、アイスクリームのことを脳天気に歌う。いつまでも、いつまでも。
"She is the woman"って、なんだか相変わらずで苦笑してしまった。




若々しい。まあ、顔のシワは気になるけれど。
"Balance"ツアーは僕が2回目に行ったコンサートだ。代々木アリーナ。95年?96年?
サミーの声に慣れているから、"ダイアモンド"デイヴの野太い声には違和感がある。

デイヴの声はこの際置いておくとして、このレコード。
エディのアグレッシブでファットな演奏に耳が行く。むしろ上の"Tattoo"はリーダートラックの割りにおとなしめで、どちらかというとアダルトな雰囲気。他の曲のほうが若々しくて攻撃的。これほどのアグレッションを持ったレコードは、'92の"F*U*C*K"以来じゃないのか。それか、"1984"の前のやつ。名前忘れた。どちらにしてもずいぶん昔のことだ。
太くひずんだ低音と、きれいに伸びる高音。誰もが知っている、彼のトレードマークの音色だ。

不仲と不調。近年めっきりリリースペースが落ちていた。相変わらず「風呂桶スネア」のアレックスさん。好きになれないが、当人たちは特に問題は感じていないようなので。
にしてもベースがエディの息子って。




個人的には、前作"Ⅲ"がお気に入りだ。世間的に評判は良くないけれど。
”Ⅲ”でもエディの変態的指使いが垣間見れるし、随所にエネルギッシュなプレイも聴ける。が、どちらかといえば、彼にしては線の細い、繊細なプレイが印象に残る。
静謐な、ピアノによる"How many say I"でレコードが締められるから、余計そういう印象が強いのかもしれない。

コーラスの後のふとしたブレイクとか、時折顔を出す、少し緩んだような展開。
あるいは、太い音じゃなくて、やわらかい空気とよく馴染むような細かい音。
丁寧にメロディを追っていて、それをエディが楽しんでいるような感じがする。
どうやら少しだけ、今までとは違う世界に足を踏み入れつつあるようだ、と考える。
そして、彼がボーカルを取り始めたこと。かつて、自分をフロントマンとして見られることを好まず(それにしたって十分ギター小僧たちはついて来たけれど)、コンポーザーであることを旨としていたという彼自身に、少しだけクラックが入ったのではないか。
彼の中に、少しだけ風が入ったような。

VAN HALENの加入によって、結局Extreme解散の引き金を引いてしまったゲイリー・シェローンの声も突き抜けたような明るさがある。いい声。まさか一枚で終わるとは思わなかった。




たとえば、こんな想像をしてみる。
日中思い切り遊んだ後の昼下がり。少しくたびれてイスにもたれ掛かりながら、昼間のパーティーの余韻を思い出す感じ。
キャリアとしても午後4時とか5時とかの時間帯に差し掛かっているバンドだ。
傾く夕日を眺め、レイトバックしていたって別に不思議じゃない。なにより、そのレイトバックを彼ら自身が楽しんでいる感じがして、聴いていて嬉しい。
40半ばの男が、改めて楽しそうにギターを弾き、歌う姿を見るのはこちらも楽しい。
まあ、冒頭の現在では60近い年齢になわけで、なおさら信じられないわけだが。

レイトバックするのは悪いことではない、ということが17歳の僕にも言えたか。いいや。きっと、あいつらかったるくなっちまった、と吐き捨てたことだろう。
それでもいいと思えるようになったのは、一部にしても、僕が彼らとともに15年間以上の時間を過ごしてきたから、だろう。ほんの、ごく一部だ。
彼らの一枚目のレコードが出たのは僕が生まれる1年前なんだから。
彼らにとっての「正午」を、追体験することしかできなかったわけだから。
"Eruption"を友だちと熱心に聴き回していた、中学生のころの興奮を少しだけ思い出す。


傾きつつある日が眺められる場所で、楽しく緩やかに音楽を紡ぐのが彼らの現在の姿だとしたら、それは僕にとってずいぶん素敵な風景だ。
個人的には、もう派手なライトハンドとかしなくたっていい。




と思っていたら、冒頭に戻る。
時計の針が巻き戻されたのか。あるいは、午後7時のショータイムのスタートなのか。

お楽しみの時間はまだ残っている。どうも、そうらしい。

2012年5月20日日曜日

アカシアを植える

4.8.2013 追記
アカシアの苗木をつくる」を書きました。アカシアの苗木づくりについてのお話。こちらもご覧いただければ幸いです。


作業をすること、その流れを知ることが好きだ。
少しだけ心が作業をしている人に近づくように思える。

勤勉であること。怠惰であること。熱心であること。ルールを逸脱していること。
作業を知ると、それらについて「ダメ、ゼッタイ」とは簡単には言えないのだ。
その意味で、僕は彼らの共犯者になる。いいような、わるいような話だ。
でも、共犯者にすらなれない人に作業の実際を理解することができるのだろうか?
僕はよくわからない。



ベトナムに来て、もうすぐ一年になる。それだけの時間をここで過ごしている。
何ごとによらず、準備があって後始末がある。ただ訪れるだけではそれを目にすることができない。何をしているわけでもないのだけれど、彼らとともにある時間は、着実に長くなっている。
炎天下のじりじりとした陽射しとか、足腰の痛みとか、喉の渇きとか。
そういうことを、僕は知っている。今ではね。



というわけで、アカシアの植栽の話。




日本ではアカシアはほとんど目にすることはない。よくあるのはニセアカシア。マメ目のこの樹種は根粒菌による窒素固定ができるので、荒廃地でもよく成長するため肥料木として使う。と、書くとまるで高校の生物の教科書みたい。
林業的に言えばニセアカシアとヤマハンノキを肥料木として使っている例が多い。僕は肥料木を使ったことはないけれど、ニセアカシアが大繁殖して大顰蹙を買っているのは見たことがある。

世界の木材市場におけるアカシアは、ユーカリと並ぶ早生樹の一つという位置づけになる。成長が早く、10年以内で伐採可能。日本企業の海外植林でもしばしば使われる、戦略樹種と言っていいだろう。
生産されたアカシアの材木は製紙用パルプやMDFといった繊維板の原料、さらには家具材の原料としても使われている。もしかしたら、家具屋さんで小割り材を組み合わせて作られている家具を目にするかもしれない。全部がそうだとは言わないけれど、その多くはアカシアが原材料だ。ベトナムはIKEAの家具を生産しているから、何気なくアカシア製の家具を使っている人は割と多いのかもしれない。


カマウ、というかメコン・デルタの在来樹種はメラルーカだ。この場所には元々アカシアはなかった。理由は、ここ湛水地であること。そして硫酸塩土壌であること。
アカシアは水分要求度が高い樹種と言われている。つまり、成長するのにたくさんの水を必要とする。
一方で、ある程度の水はけが必要なので湛水地での育成が難しい。加えて酸性度が高い土地は、基本的に植物の育成に障害が出る。最近あんまり話題に上らなくなってきたけれど、酸性雨を想像してもらえればいい。メラルーカがこの場所で優占樹種となることができたのは、湛水地に強いことと、この酸性土壌に対する対応機構が備わっているからだ。
と、ものの本に書いてあった。なるほど、わかりやすい。

その一方で、JICAの支援によりエンバンクメントという土壌改良事業が行われ、アカシアの植栽が可能となってきた。なぜ、郷土樹種であるメラルーカではなく、アカシアを植えるのか。それは、成長速度の早さと木質の良さにある。メラルーカ材よりもアカシア材の方が成長が早く、利用用途も多く、なにより材価が高い。
ということで、アカシア植えたいな、と考え始める人が増え、またその条件も整ってきた、というのが現在の状況。




まず苗木。
公社ではアカシアの苗木を生産している。植栽するアカシアは、いわゆるアカシア・ハイブリッド(Acacia Hybrid)と呼ばれるもので、Acacia MangiumとAcacia Auriculiformisという2種の掛け合わせによる樹種だ。挿し木による苗木生産を行なっている。だから、公社の周囲はアカシアの採穂園となっている。
苗は1本800VND。メラルーカの苗木は70VNDくらいなので、かなり高い。穂を採取してポットに植え付け、およそ2ヶ月で苗木の出来上がり。ちゃんと根には根粒菌のコブがついている。



そして苗出し。
植栽の前日、準備が始まる。苗木を選り分けながら50本ロットごとに袋におさめていく。次の日の植栽面積はおよそ1haだったので、3,000本/ha、しめて60袋ほどの苗木を準備する。この作業、腰が痛い。




翌朝、苗木は舟に積み込まれ、植栽地に届く。
朝6時から植栽作業開始。随分早いけれど、炎天下の作業はちょっと現実的ではない。日本の植栽作業と違って、見渡す限り休める日陰もないから。

植栽地はバックホウによりエンバンクメント工事が終了した場所。エンバンクメントとは「バンクを作ること」で、つまりは水に浮かぶ巨大な畝をつくるという作業だ。水はけが良くなることで、植物の成長が促進される。また、酸性化した水を速やかに排除することができて、植物への影響を軽減することができる。エンバンクメント、土壌が酸性化する仕組みについての説明は「バックホウの旋回範囲内」を参照のこと。
土壌についてはもう少し詳しく、そのうち項を改めてもう一度考えてみたい。僕自身がもうひとつわかっていない気がする。


ここは、植栽のつい3週間ほど前にエンバンクメントが終わったとのことで、土はまだ水分を多く含んでいる。土壌は粘土質で、水を含むとベタベタとするが、乾季で雨が降らないと固くなる。


最後に植栽。
植栽の方法は簡単。いわゆる畝の横方向に対して1.5m、縦方向について2m間隔で植えていく。正方植えではなく、三角植えだ。穴あけ係が木でボコボコと穴をあけていき、苗木係でそこに苗を置く、最後に植える係が黙々と植えていく、という役割。
この日は1haで30人の人間が植栽。人工数とか、細かいことを考え始めると面白すぎるけれど、そこまで手が回らないので考えない。この国は人件費が安い。



完全に雨期に入っていたら、苗木を挿せば粘土のようにめり込むので植栽は楽だ。その代わり、ぬかるみを歩くことになり移動が大変だ。実際、カマウ省の指針では雨期に植栽することになっている。でも、この時は4月。雨期直前だったので、場所により土は固く、穴あけと植栽に難渋していた。
メラルーカの植栽と比較すると、水面から完全に浮き上がった土地に植栽している分、ぬかるみは少なくて楽だ。メラルーカの植栽にまつわる悪戦苦闘っぷりについては「メラルーカを植える」を参照。


メラルーカ植栽地とアカシア植栽地の使い分けについて。
アカシアの方が材価が高いから植栽経費さえあれば、誰だってアカシアを植えたい。しかし土地によってそれができないところもある。それはどういうことか。
それは単純に、水位が高くて、表土が少ないところだ。結局、バックホウのアームの届く範囲、バックホウを載せた台船がひっくり返らない深さでしかバンクを作ることができない。だから、いくらエンバンクメントを施しても十分な高さのバンクを作れないところが出てくる。そういう場所は容易に湛水してしまうため、アカシアを植栽しても根腐れを起こしてしまう。だから、十分な高さを確保できない場所はメラルーカを植えざるを得ない。


日本にいると「土がない」という事実は、なんだか不思議なことだ。地震がほとんどないこの場所で、「土がない」ことは、メコン・デルタがまだ生まれたての大地であることの証拠でもあるんだろう。
上流から少しずつ土が運ばれてくることを、植物が成長しては枯れ、徐々に土に変わることを、気長に待たなくてはいけない。気が遠くなるような時間をかけて、大地は少しずつ水面から顔を出してくる。


植栽終わり。午前10時終了。
2時間も作業をすれば、しっかりと汗をかき、腰は悲鳴をあげている。喉は渇き、イケナイお水をがぶ飲みすることになる。
雨が降らないと活着前に枯死する危険性もあって、少し心配したが、ちゃんと雨期に入ったので大丈夫。最速6年で収穫するとのこと。さすが早生樹。





仕事が終わったら、めしとひるね。