2010年1月30日土曜日

思案②

ただし、弁済行為の振りをしながら、一種の関税障壁を構築して
しまう提案を途上国は飲むだろうか。

飲むね。
なぜならこれからの市場は中国を含めた途上国であるから。
最初に構想した関税障壁外で商取引が活発化するんだろう。
そうするとあんまり意味がなくなるか。

ひとつの考え方として、先進国の商品すべてにラベルが必要であれば?
簡単にいえば、先進国の商品は売りづらくなる。マーケットの消費者は
どちらでも選べるとしたら、安いほうを選ぶよね。
先進国は飲めないだろう。

じゃあ、ラベルの範囲を拡大するのは?途上国まで。
難しいかもしれない。しかし、ラベルの収益は途上国に分配されることを
考えれば、ありなのか。
途上国の資金は途上国に還流するし、先進国の資金は贈与として存在することとなる。

いいかもしれない。



2010年1月27日水曜日

面白くないトーク

につきあうのが苦手。
しゃべるなオマエ。と言いたくなるな。
冷たいですかね。

2010年1月24日日曜日

COP15とアイディア

あんまりちゃんと確認してないから解析不足は否めない。

森林吸収源に関する話題はほとんど聞こえなかったように思う。
それ以前の先進国・途上国間の隔たりを埋める方法を
模索しているようだった。

考えてみよう。
現在の気候変動の責任は誰にあるのか。主因者はやっぱり先進国だ。
だから、先進国は気候変動対策を実施する必要がある。
これはいいよね。
同時に今後、大きな排出が見込まれるのは途上国だ。
だから、途上国だって気候変動対策を実施する必要がある。
これもたぶん真だろう。

問題はこの切り分け方にある。
GHGは量であって、時間ではない。全体量が増加すれば、気候変動に
及ぼす影響は大きくなる。ここ数十年の先進国のGHG排出の寄与率は
ほぼ過半といってよいだろう。今現在の切り分けでみても加害者であろう。
しかし、これが20年後、30年後になってみると双方の寄与率が
変化する可能性が高い。
先進国は偉大なる「先鞭をつけた」かもしれないが、この先はどうなるのか
は誰も分からない(けど推定はできる)。
先進国は過去の排出の責を認めるのは(たぶん)やぶさかではないと思う
だろうが、今後のことを考えると途上国の排出抑制すべきだ、と考えているし、
繰り返しになるけれど、途上国は過去の責任をもって、まずは先進国で
自律的な解決をすべきだ、と主張しているわけだ。
視点がずれているから、噛み合ない。ようにみえる。


もっとも時間軸的な責任論を持ち出したい気持ちも痛いほどわかって、
そうしないと、GHGとともに途上国の成長もキャッピングされてしまう
ような気持ちになるから、ではないか。
実際に途上国が今回のような主張を繰り返さなくてはそうなったであろう
可能性は高いと思うし、途上国と先進国という関係性が維持されてしまう
蓋然性も高いと思う。


ただし、どこまでも責任論を持ち出しても、どこにもいけないことは
先進国にも途上国にも了解済みなんだと思う。
折り合いをつけるための応酬、と考えるのがここのところの会合なのではないか。

したがって、コペンハーゲン合意のようなこととなる。留意、ではあるけれど。
基本的には途上国への資金環流メカニズムを整備した上で、
途上国の参入を促す、という形だ。
原則論では上でみたような形式的な馴れ合いがどこまでも続いてしまって、
現実的には、たぶんこれ以外の方法はない。

こうなると、問題点はどこに出てくるか。
ひとつには、折り合いのつくファイナンスを先進国が提供できるか、
ということだろう。実質費用ではなく、出せる費用、ということになる。
もうひとつは、新興国の扱いだ。たとえば中国はファイナンスを拠出する側か
受け入れる側か。むずかしいところだ。



僕のアイディアは市場を使う、ということだ。
マルチカーボンアカウンティングの応用版。
すでにカーボンクレジットなどの排出権市場が確立されつつあるが。

①すべての商品に排出権価格を上乗せする。
認証みたいなもの。jisマークみたいな。
自動車におけるグリーン税制みたいな、星三つ、みたいなものを僕は想像している。

②排出量の多い商品はそれに応じて高額なクレジットを払う。
日本国内に流通する商品は、すべからく排出権クレジット購入済みのものとす、と。
こうなるとどうなるか。値段があがるから物価が上昇する。
タバコ税の1/100くらいで十分だと思うけど。タバコ吸いたくなってきた。。

・・・吸ってきた。つづき。
③この規定は輸入品にも適用される。ラベルを取得しないかぎり、
国内での流通を規制する。
このアイディアの肝はこの規制を先進国内で実施してしまうことだ。
アメリカでもEUでも先進国はすべて、この規制を実施すること。
④そして得られたファイナンスを途上国へ供与する。
その理由は上で述べたとおり、「先進国はGHG排出の主因者だから」だから。
先進国が割高な商品を購入する必要がある一方で、先進国−途上国間取引には
適用しない。
これにより、確保されたファイナンスを途上国へ送る。
キーポイントは先進国間で同一実施する必要があるということ。
ある程度の協調がとれないと貧乏競争みたいになってしまう。
同じクオリティの商品でも製造過程で排出量の多いものは比較高額になる。
これによって、先進国の製造/消費過程での排出量の削減に寄与することができる。

⑤ただし、先進国内で商品を流通させたい場合は途上国もクレジットが必要となる。
だから、途上国で生産された商品を輸入する場合にはラベルを購入する必要がある。
(・・・まずいかな。これについては検討)

⑥だから、ラベルを買う人は先進国のすべてと、途上国でかつ、先進国でものを
売りたい人、となる。

このアイディアの見どころは、WHOに引っかかるだろうか、ということだ。
「公正な競争」を阻害するのは明らかだけれど、それは、今までの加害的行為の
弁済である、といわれれば、どうなのだろうか。
もうひとつは、マルチカーボンアカウンディングと同様にクレジットを取引する
のではなく、商品そのものに上乗せしてしまうことだ。

ただし、弁済行為の振りをしながら、一種の関税障壁を構築して
しまう提案を途上国は飲むだろうか。
最終的に還流しますよ、で許してくれるだろうか。
新興国は先進国にモノが売りづらくなる、ということになる。
ちょっと検討を要する。

2010年1月22日金曜日

風がつよい

完全に備忘録とかしているこの板。
思ったことを書き留めるのに専念。わすれちゃうじゃない。

相川は風が強い。びーぶー強い。
強い風は風の音が高い。ひゅ〜ん。
ふと風がゆるんだときに、空気が緩むのがわかる。
相川は常に風が流れる。
強く吹きすさぶこともあるし、たゆたいながら流れることもある。
ふと緩んだ瞬間の空気がうれしい。
そこに、なんだかスペースができるような気がする。

スペースは余禄を生む原資だと思う。
なにか強い流れがゆるんだから、世界ができたんじゃないかな。
生物ができたんじゃないかな、と思う。
ああ、根拠はない。

早く春になり、天啓の余禄をうけて芽吹くときを迎えよ。
と願ってしまう。冬の国に住まう独特の感情なのかもしれない。

これからどうしよう。

課長にあう。

パーマかけて当社比2倍増のボンバーヘッドで8階へ。
修理工のあんちゃんか、ほんとに公務員か、中澤か、
などと諸先輩に揶揄されながら墓石の中を闊歩する。
いろいろな経緯があって、ご迷惑をおかけしました、と、デカイ頭をさげる。

ヒアリングが目的でいったんだけど、なんとなく足が向いて。
課長は「君は君の夢を追いなさい」と言われる。
不思議なものだ。なんであなたがそんなことを言ってくれるのだろう。
なんであなたが僕の背中を押してくれるのだろう。

今回の件では、僕の中では納得は全然いってないし、本当はもっとやりようがあった。
でも課長をはじめにたくさんたくさん、僕を助けようとしてくれる人がいて、
ごめんごめん、次は次は、がんばれがんばれ、とたくさんいってもらって
もう僕の不満のぶつけようがありません。
僕はすごくよい職場にいます。僕はやっぱり幸せ者です。


これは僕の夢なのか?
いいえ、といいたい。これは夢にたどり着くまでの過程です、といいたい。
いわなかったんだけど。
僕の夢。ぼくのゆめ。なんだろう。
よくわからないな。
僕はいつも、なにかの途中の中にあるような気がするな。
これまでもそうだったし、きっとこれからもそうだろう。
ずっと旅の途中です。
僕には、いまのところ住処はいらないし、鞄と音楽(とできればパソコン)が
あればそれでいいような気がします。
次の場所にいきついて、次の景色が見えたら、次やることがわかるんじゃないか。
そのような風に今のところは思っています。
僕にはその程度の射程しかないの。
次の塚をめざすのが、とりあえずの僕の夢です。
ああ、課長のいうとおりでよかったのか。

じゃあ、とりあえず、次はそこ、ということで。課長?

興味ないんだ

期待しているのは政策論議であって、不正追及ではない。
これを言うと僕の立場は一貫性がないことを自覚しなくてはいけない。
去年の僕は自民党に同じことを言ったかといえば、本当のことをいえば
たぶん違うと思う。民主党支持者なのだろう、今のところ。

政権が交代したあとで、本当に彼らの言っていたことを
研磨していくのがこれからの与えられた仕事だと思うんだよ。
なんで、関係ないことに時間を費やしているんだろうか。
バカじゃないのかと、やきもきしてしまう。

「検察の正義」というものがあるのかないのか僕にはわからない。
あるのかもしれない。ただ、いまいまの時点で彼らのやっていることは無粋だ。
次の幕を開けないという所行だ。「正義」であったとしても。
観客がみたいのはそんなことじゃないだろう。
「正義」が貫かれたとして、この後の舞台には、誰があがっているの?
誰をあげるの?それを決めるのが「正義」の味方、なのだろうか。
じゃあ、その「正義」ってなんなんだ?

不正追及を攻め手にしよう、なんていうのも情けないよなぁ、と思う。
野党になるとみんな一緒なんだろうか。元与党の気概を見せてよ。

2010年1月9日土曜日

次の一手

を考える必要がある。ちょっと飽きてきた。
僕はどこにいても、仮住まいな気分でいる。
いずれ出て行くのだから、荷物は増やしたくないし、
重たいものは持ちたくないし。
トランク一つで、というのがよい感じだ。

そのかわり、いつもそわそわする。
どっしりと腰が落ち着かない。
頭の中でいずれ、僕はここからいなくなるということを思っているから。
どこへでも行ける、という気持ちとはたぶんトレードオフの関係なのだろう。

目標、という言葉があたりまえになるのは
たぶん小学校高学年くらいだったと思う。
それまでは「めあて」だった。
めあて。目当て。考えてみると不思議な言葉だ。

もう少しそわそわしたい。
そわそわし続けるために、行き先を探さなくてはいけない。
本当のところ、行き先はどこでもいいのだ。
旅を続けることが、僕の、いまのところの希望なんだから。
婚期が遅れます。まったくまったく。



2010年1月2日土曜日

This is itみちゃった

ようやくですよ。大変遅くなりました。

横の人が泣いていたりして、感動的な作品だった。
あ、僕は泣いてないよ。汗かいたんだよ。
最初はフッテージなんかみてどうだろう?と思ってたのだけれど。

印象的なのは生きたマイケルの歌を聴いたということ。
生(映画なんだけど)のマイケルの体温を感じる。
バックの人の演奏はレコードではあんまりちゃんと聴いていないから。
ライトハンドが上手なGのおねーちゃんをはじめ完全な玄人集団の様相。
Dsの人とかすごくタイトでうまい。

マイケル本人は、その時、完全に準備ができていた。だから映画にできた。
ダンスはもちろん、声も僕の知っているマイケルのそれ。
あ、デンジャラスからだ。僕は。
どうもBadは出だしで志村けんが浮かんできてだめだ。
マツタケマンなのよね。。知らない人ごめんね。
インビジブルが最後だっけ?あの人、都合10年くらいは歌ってなかったような。
声って変わるじゃない?それがさ、全然ないから。
完璧なステージを作るための、他の演者のための準備、という印象。
というか、この映画のためのリハーサルのようにすら。


映画の中でマイケルはしばしば、愛、LOVEを口にする。
スタッフとかよく周りの人びとを祝福している。
僕は、ちょっと陳腐すぎやしないか、いいおっさんなんだから、と毒づく。
バックステージで彼がどれだけ汚い言葉を使うのか、僕にはわからないけれど、
映画の中の彼は、紳士、というよりもむしろ純粋。
そんな仕草が印象に残った。

ro誌にしばしば寄稿する一條さんは、妖精を引き合いに出し、
「信じる人がいなくなると、妖精は死ぬ」と述べた。
細かいディティル忘れちゃったんだけど。
このことは、僕の皮肉な視線を逆照射するものでもあって、
さらにいえばゴシップまみれだった彼自身をも逆照射するものであった。
まったくなんなんだ、と思う。

どっちがフェイクかとかはたいした問題ではなくて、
たぶんどっちも正しいということが問題なんだと思う。
ゴシップのネタを振りまきながら、愛を信じて周囲に伝えるマイケルと
アイロニーを手放すつもりもないのに、彼の言葉に心を動かされる僕自身に。


human natureで環境問題がすごく気がかりというマイケルのコメント。
シニカルな僕は月並みなことを、と思う。世界有数の浪費家が、と思う。
そういえば彼は(彼の歌も)いつも月並みなことを言っている。
リハーサルの最後の場面だろうか。スタッフと団結ガンバローのシーン。
「4年間で世界を変えよう。心配しないで。」と彼は言う。

彼は本気だったんだろうか。ほんとに世界を変えてくれるはずだったんだろうか。
うまくいかないところがみたかったのか。僕は。ネタにするつもりだったのか。
でもそうじゃない気がするんだ。
ちょっとアイデンティティがグラグラする経験。
久しぶりに頭を使っている感じがある。クモの巣はってた。

トムヨークみたいに、何も変わらないことを理由にして
何もしないことを批判する姿勢はすごく共感できる。
でもマイケルのそれは、ちょっと僕にはわからない。
根拠がまるでないし、思いつきのようでもあるし。
でもちょっと信じたい気がした。
なんで信じるに足るのかしらん、と思うのだけれど。よくわからない。
それはきっと、彼が妖精だったせい、かもしれん。

偽善者と偽悪者のどっちがいいか、についてパオロ先生は、
偽善者に決まっている、と答える。あたりまえだ。
とすると、あいつは偽善者だ、という指弾は有効か。無効だ。あたりまえだ。
偽善だろうとなんだろうと、善きことをしたほうがいい。


彼の「この後」がみたかったな。そんな感想を持ったよ。