2015年8月2日日曜日

フジカエリ'15

恒例行事の時間帯です。今年はメンツがががががが。



ハナレグミは楽しかったし、原田郁子は相変わらずかわいい。ベルセバは心地よいし、MUSEは今回もなんだかすごかった。水着姿の椎名林檎は見たかった。しかしだな。
ちょっと「出会い」が少なかったかしら。不満というか、もやもやとした感じは残る。昨年における大森靖子師のような、はらわたを引きずり抜かれるような、失禁しそうな衝撃的な出会いはそれほどないとして。
フジカエリ'14

もう少し、あ、いいねこれ、という音楽と出会えたならば。
お日柄もよい森の中を散策してたら、たまたまよい音楽にであった。みたいな。

まあよいわ。そんなことで、今年も振り返る。


  • Moterhead

おらおらかっけーだろ。

御大レミー・キルミスター、御年69歳。
矍鑠、とは、礼を失した物言いである。僕はこんなおじいちゃんになる。
そして特別な存在である孫にヴェルタース・オリジナルをあげるんだ。そののちロックンロールを英才教育することとする。
テンガロンハットを被り、リッケンバッカーを構えるその姿は完璧の一言。ジャック・ダニエルを愛飲されていると聞いていたので、てっきりグラスを片手に降臨かと思いきや、スミノフアイス的ななにかで喉を湿らせていた。

結局聴かずに、ほかのステージに移動しちゃったんだけどな。


初聴は15歳、当時ビクターから"Metal 1"というコンピレーションの中に収められていた。けっこう覚えてるよ、Helloweenの"Where the rain growth"でしょ、Angraの"Carry on"でしょ、Rageの"Refuge"でしょ。
"Ace of spades"は当時だってずいぶん古臭い音楽だった。なにしろ81年だもん。盗んだバイクで走り出す年頃の少年としては、いささか刺激が足りない。しかし、もしその頃の僕がライブに行きさえすれば、確実にぶっ飛んでたでしょう。
ちょっと前にyoutubeで拝見したら、トレードマークのがなり声が老人の呼吸のようになっていて、ああ、どうやら御大に残された時間は短い、と勝手に悲しい気持ちになった。今回はちゃんとがなってました。期待値をはるかに上回る勢いで。このジジイはまったく大したジジイですよ。

とはいえ。僕はレミーを見るのはどう考えても今回が最後だと思うんですよ。数年前にジョン・ポール・ジョーンズ見た時も思いましたが。
僕がみたMotherheadはゆるいオールドロッカーではなく、ガツンと腹に響く、現代に生きるロックンローラーでした。スリーピースとは思えないどころか、MuseやFoofightersを凌駕するキレ、出音はでかさ。
いいもの見た感がすごい。あと長生きしてほしい。
実にLong live rock'n rollなステージであった。敬老の日にはMoterheadを聴こう。


  • Owl City
アダムさんはどう考えたってリア充でしょう。


しかしそんな彼がひとりベッドルームで鼻くそほじりながら地道にぴこぴこ音楽を製作している情景を思いを致しますと、8000回転くらいブン回してるのに優雅におすまし顔で泳ぐ白鳥の足的な努力が想起され、それに引き換え惰眠を貪るのが趣味の僕としては頭が下がるばかりなのでした。最近寝付きが悪いんだけどな。歳のせいかな。
なお、上記は妄想を多分に含みます。悪しからず。アダム好きの女子は怒らないで下さい。
彼はこの日もキュートで男前でしたから。安心して下さい。

きゃっちーでぽっぴーな音楽は大好きだ。あれだ。彼の音楽はブルーでグリーンで、パーマネント・ヴァケイションなのですよ。この時期には最高ですね。彼の音楽は人の匂いがしない。なんつーの。形而上学的な音楽。クーラーの聞いた部屋でCM越しに見る、爽やかな夏だ。ライブにおいてすら、その感覚は残っている。
実体として感じられた部分があるとすれば、カミソリ負けのあとくらい。

僕としては女の子とデュエットしている印象がなぜだか強い。やっぱ夏だものね。

この曲大好きなんだけど、ライブでやってくれなかった。誰だかわからないけれど、甘ったるい声の女の子と二人で素敵なハーモニーをとるのだ。あーほんと好き。


学生みたいな甘酸っぱさなんて所詮虚構です。でもさ。だからなんだって言うの?

 

そうそう、これこそ僕が求めるOwl Cityのイメージですよ。
アダムいつだって、かわいい形而上学的な女の子と形而上学的スイートなハーモニーを歌い合っていればいい。それがいつまでも続けばいい。歌垣みたいにさ。

仮に彼がひとりぼっちで音楽を作っていたとしても。
そう。いつだって、アダムさんには女の子を侍らかしていてほしいと思うんですよね。


  • Foo Fighters
デイブが骨折してたなんて知らなかった。
彼はフーファイのロゴとギターネックがあしらわれた玉座に座り、右足にギブスして、ふてぶてしいばかりの眼光でオーディエンスを睥睨する。
そして彼はこう咆えるのです。今宵は時間いっぱいやるぞ、と。
民衆はついに宣託を賜った。そして踊り狂うのだ。


立てるぜ、とかいって立ってました。立ってました。だからなんだっていうの。

「ソニーはハイレゾ」のハッピを来て嬉々とドラム叩いてる人や、"Underpressure"とか、見どころはたくさんありました。でも話題の中心はやっぱり骨折禍。

おうちに帰ってきて、これみて爆笑しました。ファンじゃない人も一見の価値あり。
彼はステージから落っこちたんですね。
 
おれいま折れたと思う。マジ折れちゃってると思う、とか
でもぜったい帰ってきてショウをつづけるから、とか
デイブのまざーふぁっきんぐれっぐが折れちゃってるから、戻るまで何曲かやるわ、とか
足を固定しつつ、笑顔でノリノリの救急隊員さんとか
全体的にありえない。スウェーデンのキッズは実にいいもの見ました。
骨折ってすっげー痛いんだぜ。

骨折動画、しっかり折れているレントゲン写真等、いろいろと楽しませてもらいました。オーディエンス爆笑という珍しい光景を見ることができました。

それにしても、この人は本当にニルヴァーナのドラマーだったんだろうか、と思ってしまった。コンサート中腕組みして考えてしまった。
偉大なるフロントマンの後ろでドラムを叩いていた人が、どうしてこんなにもカリズマティックなオーラを身に纏い、フロントマンとしてギブスを付け、咆哮しているのか。人生とはわからんもんだ。

 

動けないから、おもちろい玉座をつくって移動するアイディアと演出もしかり、この人は実に真摯な人で、全力で取り組む人である。全力でやるのって簡単ではない。

いつも全力でできない理由は割と簡単で、人生そのものが先の見えない持久走だからですよ、キッズたち。あ、おれ今月もまたいいこと言っちゃったね。
盗んだバイクで走り出す君ら明日の見えないキッズたちは別かもしれん。そういうキッズたちは犬にでも食われるがいい。一度でもギックリ腰でも経験すればいい。新幹線で2時間微動だにせず、背筋を伸ばし端座ましますこの気持ちを推し量るがいい。

彼の真摯さは、ここが墓場だ、くらいのステージングを毎回しているところでしょう。そんな風に毎回腹を括れるものなのだろうか。喉が裂けんばかりの咆哮を聴きながら、そんなことを思う。いずれにしても全力を尽くす姿は、やっぱり人の心を打つ。
そういえばカートもまた、自らを燃やし尽くすように生きて、きれいさっぱり灰になった人でした。これが脈々と受け継がれるニルヴァーナの流儀、なのか。

ステージが終わったあと、万雷の拍手を背にメンバーとともに松葉杖でステージ袖に引き上げるデイブを待っていたのは、彼を迎えようと集結し、諸手を挙げ、拍手を贈るクルーたち。
左袖側に居たから、たまたま見えた。余裕のステージングのようで、実はけっこうギリギリの判断があったのかもね。いずれにしても、メンバーも含め彼はずいぶんと素敵な人たちに囲まれている様子がなんとなく感じられ、胸が暖かくなる。

「真摯であること」や「全力であること」と、「余力を残すこと」のバランスについて、デイブだってきっと考えている。足は折れてるし、自慢の喉だって壊してたし。なによりこの人は、常にカートの背中を見ていた人である。
「28歳では死ななかったロックンローラー」だって、キッズたちには必要な存在だと思うのだ。それこそレミーの歳まで、いやいや。もっと末永く。一線に立ち続けてくれることを願っている。
まずは足を治すこと。


  • Aqualung
ミーハーですからね。このフジはAqualungが見れただけでモトはとれました。
ようやくAqualungさんの新作が出たところで、やっぱりLianne La Havasがすごい件


色めき立つ婦女子を押しのけレッドマーキー前方へ。フジってステージ前でカメラを構えると怒られます。気をつけてください。ずっと前方のガタイのいいおっさんに睨まれてました。

ドラム兼キーボード兼サンプリングの人と二人組の最小ユニット。"Eggshells"はやってくれたけど、Lianneとのデュエットが聴けなかった。残念。そもそも彼女もフジに呼べばよかったんだ。やっぱキャスティングに難ありですよ。
マットさんの声は高くてか細いし、ファルセットのパートも多いので、ライブ映えは全然しないんじゃないかと危惧したところですが、喉があったまってきたら安定感のある声を見せておりました。マットさんは終始ご満悦な様子でタオルで汗を拭き拭き、楽しんで演奏している様子でした。

それでもやっぱり、そんなにキャッチーでもないしノリもよくないAqualungの音楽は初見のキッズたちにどれほどの訴求力があるのだろうか、と思わざるをえない。「蠱惑的」とはつまり、自らが没入しなければ味わえない感覚なのだと思う。レイヴ・パーティー的なあれだ。全然ジャンル違うんだけどさ。
彼の音楽の良さとは、そういうところにあるような気がする。

最後に演奏された”Strange and Beautiful"に端的に現れる、ミステリアスなメロディ。
きっとたくさんの人は通り過ぎるだろう。でも、なにかの拍子で立ち止まる人もいるだろう。
ありきたりな風景の中に、こっそり意図的に挟み込まれた違和感。そういうのは「訴求力」という言葉からは、けっこうな距離があると思うんだ。



新曲の"Eggshells"は、メロディも歌詞もミステリアス。
卵は「壊れやすいもの」の謂いだろう。「卵の殻」の下には「固い大地」が顔を出す。"Puressure suit"でも描かれた。「ナイーブもの」の下にある硬い意思、なのか。少しだけ村上春樹の「卵と壁」の話を思い出したり。
僕はたぶん、暗喩や衒いをふんだんに散りばめ、聴き手を撹乱・韜晦しつつ「それでもこの世界を愛してます」と、陰でこっそりつぶやく彼が好きなのだ。
ジャンル的に少しだけ近いOwl Cityのストレートさとは対極にある。彼は夏の海辺の光の眩しさを歌わない。きっと夏の日に立ち上る雲の陰りの色合いについて歌うだろう。


サイン会に行ってきて、マットさんとちょっと話ができました。わざわざCD買ってな。悪いか。ミーハーだろ?実物のマットさんは華奢どころではなく僕よりもだいぶ大きい人だったし、ちょっとお腹出てました。
僕の要望はひとつだけ。やめないでね、と伝えました。また引退しちゃうといけないから。マットさんは、今日のショウでわかったよ。たくさんのファンが喜んでくれるから。そう仰っていました。
よくあるインタビューなんですけれど、けっこうたいへんでした。英語苦手なんで。

フーファイと比べると、マットさんのステージははるかにディス・コミュニケーションであったな、と思います。正直ね。レッドはグリーンよりもはるかに小さいのに、観客との距離はずっと広かった。
それはAqualungが内省的な音楽である以前に、あの日のデイブは完全に「王様」だったから。我々は衆生だったから。今年のフジ・ロックに敢然と屹立し、支配していた。
でも、マットさんが思う以上に、彼の言うことはオーディエンスも理解していたし、もっと聞きたいと思っている。どうやらあなたのファンは、小さなこの島にもけっこういる。おずおずと伸ばされた手は、ぐっと繋がれるはずなのだ。

最後のほうで"Easier to Lie”もやってくれました。あー久しぶりに聴いた。じんわり来た。やっぱりいい曲だ。繰り返しになりますが、この曲が入っている"Still Life"がブログのタイトルのひな形です。


ということで本年も恒例行事を終えまして、ホッとしているところです。
もういつも全力は出せません。体力的に。数々不満はあるものの、なんだかんだ楽しい時間を過ごせた。
来年こそはまったく未知の素敵なアーティストに出会えることを祈りつつ、筆を置きます。それでは、また来年、苗場でお会いしましょう。