2011年12月30日金曜日

あら年末

あっという間の年末。今年は半袖で過ごせる年末。
書きたいことがたくさんあったのに、あんまり書けずにここまで来てしまった。
今日中にもう少し書くかもしれないけれど、やっぱり書かないかもしれない。
きっと twitter上であけおめ的書き込みを見て、キミら2時間早いぜ、
と呟いていると思われ、つぶやけるだけでベトナムに来た
甲斐があったとも言える。


例年、だいたい年末は寒さと飲み過ぎて風邪を引いている。
だからか、今年も暑いのに、しっかり風邪を引いてしまった。
身体は順調に日本の年末仕様に仕上がっていると見ていい。
順調に行けば新年会開けの来月15日前後に、
もう一度大風邪を引くことになる。
そしてボロボロの身体で、ヒアリング資料を作成するのが習いだった。


外を見れば、雑草が茂って、木々の緑が濃くて、3回目の稲刈りが終わっている。
僕にとっては、何というか、不思議な年末だ。
今週、会社では来年のカレンダーが配られた。
僕はアディショナルな人間なのでもらえないらしい、残念。
そろそろ共産党員になったほうがいいのだろうか。
カレンダーで感じる正月、ってのも。

ベトナムの正月は旧暦なので、特に変わったところはない。
市場はいつもどおり人で賑わい、子どもは相変わらず遊んで、
男はだらだらとカフェで微睡み、バイク洗い屋はバイクを洗う。
いつもどおり。

しめ飾りとか大掃除とか年末ジャンボとか、
年の瀬の賑々しい感じが少し懐かしいような気がする。
そして、深々と静かに雪降るが懐かしいような気がするし、
もう寒いのには耐えられないような気もする。
12月でも暖かさと湿度に富んだこの土地は確かに体にやさしい。
身体と心が妙に緩んでしまうことろがベトナムなんだと思う。
まあ、今は悪寒でゾクゾクするけどな。


職場が開店休業なのをいいことに、同僚君は音楽を流しながら
仕事をしていて、不思議なメロディと節だなぁと思って聞いている。
永遠に続きそうだ。
展開して展開して、終わらなそうなのに終わる。そういう歌が多い。

大陸的、という言葉を思い出した。
つまりそういうことなのだろうか。
波間に消えることなく、いつまでも終わらない音楽。
などと、咳をしながら考えた。


終わらないと考えるから、力を抜き、吹く風に身を委ねるのだろうか。
いつか終わると考えるから、じっと身を固くし、耐えぬくのだろうか。
場所によって、身の処し方は少しずつ違うのかもしれないな。
などと考えつつ、鼻水を垂らしていた。


なるようにしかならないっぷり、を来年はさらに経験するんだろう。
それはきっと、僕をいらつかせ、焦らせる。
まあ、仕方ねぇか、と思えるようになれば、
僕も少しは変わったと言えるのかもしれない。
良い方に変わったか、悪い方に変わったかは、知らない。たぶん悪いな。
大陸的な考え方、ということで。
この場所はきっと、僕をまた少し変えるだろう。


そんなこんなで、みなさま、良いお年を。

2011年12月1日木曜日

COP17についてのあれこれ

少し目を逸らしていたら、ということもある。
附属書Ⅱ国にいるせいだろうか。せっかくCOP17も始まったことだし。
原発ばっかりじゃ困るんだぜ、というところで、国際環境NGOの日本支部がなんかキャンペーンをしているかをサーベイしてみる。
ありますね。

WWF
http://www.wwf.or.jp/activities/2011/11/1024202.html
Friend of the earth Japan
http://www.foejapan.org/climate/cop/cop17.html

Green Peaceについては見つからず。福島で大車輪の活躍を挙げているので
http://www.greenpeace.org/japan/ja/
まあ、仕方がないとしておく。一連のスーパマーケットとのやりとりは実に興味深く観察させてもらいました。

ああ、気候ネットワーク忘れてた。
http://www.kikonet.org/theme/kiko.html

ダーバンでの交渉の経過はじっくり観察させてもらうことにしよう。




以下、気候変動に関する基本的なことを備忘録的にまとめる。最近そんなこと全然考えてなかったから。物忘れが激しいので。

○京都議定書の第一約束期間は2008年〜2012年。来年まで。第二約束期間以降の取り扱いについてはまた交渉する:次期枠組が京都の延長であるのか、違う枠組なのかが今議論されている。
○議定書の根拠は気候変動枠組条約。考え方の基本は、予防原則に基づいた行動を行うこと。つまり、その事象(ここで言えば気候変動が発生すること)の因果関係が十分に立証されない状況にあっても対応する措置をとる、ということ。その理由は、気候変動による変異(変な言い方)が不可逆的かつ深刻な影響を人的活動に及ぼす可能性があるから。
○IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートは気候変動が起こっていることについて、疑いがない、と述べる。それは、人的活動による寄与によるものだとも。
○京都議定書の削減義務について。先進国(附属書Ⅰ国)に削減義務がある。開発途上国(附属書Ⅱ国)には削減義務が課されていない。日本は90年度比6%の排出削減を約束した。大手排出国のアメリカは離脱済。
○COP/MOP(議定書/条約締約国会議、今はCOP17)では、先進国は人口が多く、工業活動が活発な途上国、例えば中国などにも削減義務を求めるが、発展を阻害するものとして途上国は反発しており、妥協点がなかなか見いだせていない。COP17もきっと難航するんだろうな。
○京都議定書は、自然災害や気象災害による温室効果ガスの増加について、発生国の免責を認めていない。簡単にいえば、地震が起きようが日本の削減約束は変わらない。火山の噴火による排出増とか。
○京都議定書には約束不達成に関するペナルティ/罰則規定がない。

と、いうところだな。ほかにもいろいろあるけれど、まずはそんなところだろう。
羅列すると、まったく穴だらけのゲームだな。



ここに2つの記事がある。
・カナダに関して言えば、記事を読む限りちょっと厳しい。排出量が増える見込みがあるならば、排出枠をほかの国から購入する選択肢(京都メカニズム)を検討していなかったのか。例えばロシアは広大な森林(吸収源)があって、産業活動が停滞していたので、この間に関してはどえらい排出枠を持っていた(いる)。いまから排出枠を購入できるものなのか、よくわかない。
ゲームそのものを軽視していたか、あるいは、はじめからゲームのルールを守るつもりがなかったか。だとしたら、はじめからゲームに乗らないほうがよかったのでは、と思わなくもない。アメリカみたいに。

・日本について。少し詳細に見てみる。
京都議定書の第一約束期間において、日本は90年比6%、1300万炭素トンの削減が必要。90年比というところがキモで05年ベースで考えると、13.8%の削減が必要だった。つまり13.8-6.0=7.8%が追加的な削減量となる。
ちなみに05年当時、僕は約束達成は絶望的だと考えていた。
ちなみに6.0%の内訳。森林吸収源で3.8%、京都メカニズムで1.6%、合わせて5.4%分を除いた0.6%を実質的な削減分として見込んでいた。当初はわずか10%の「真水」だった、ということ。そして、05ベースではそれすら困難だったこと。

ここに環境省の09年度の速報値がある。10年度はまだ公表されてないのかな。
これを見ると排出量は12億900万炭素トンとあるから、この年に関しては日本の削減約束量を満足している。09年度だけで考えれば1990年以下の排出量だった。また、森林吸収源も京都メカニズムも使う必要もない。不況は排出を真水で削減してしまった。
ただし、削減量は08年〜12年の平均だったはずで、08年はオーバしているので、残りでカバーしなくてはいけない。
よくまあ落ちてくれたもんだという感想もある。

今後についていえば、震災の影響がある。産業部門は縮小しているだろうから、民生部門の排出量は一時的に減っただろう。一方で、原子力の代替電源源として火力発電の排出量は増えている。11年、12年の排出量を注視する必要がある。




ここからだけが本題と言っていいのだけれど、僕は2つのことを考えている。

1つ目は、まずは条約のレジーム(枠組み)保持にこだわるべき、ということ。この枠組みはとても壊れやすい。その理由は、想定される被害はあくまで予測でしかなく不確実さが伴うことと、罪業の深さが違う人たちがともに削減を達成するゲームだからということ。

予防原則に基づく対応の難しさは、リスクは白黒つけられないからリスクだという性質による。絶対に交通事故に合うと分かってるなら、みんな車に保険かけるだろう。そもそも車乗らないか。
被害を大きく見積もるか、小さく見積もるかによって、
あるいは大きく見積もりたいか、小さく見積もりたいか、
によっても受け取り方は違う。

だから予防原則を投げてしまうオプションももちろんある。そんな問題ねーよ、と。武田邦彦のような。余談だが、彼が福島の野菜を食べるな、と発言したのを聞いた時、この人は本当にグレーなリスクを受け付けない人なんだな、と思った。それはまあ、人による。
僕としては、気候変動ウソ説よりも気候変動ホント説の方が蓋然性があると考えるので、予防原則を支持する。

話を続ける。
仮にその国に生まれた人が永遠に生き続けるならば、ゲームの条件としてはもう少し簡単かもしれない。永遠の命を持つ人ならば、かつての責任を問うことができるから。
しかし、現実はそうではない。その国に生まれたのは、所与の条件でしかない。例えば今日先進国に今生まれた赤ん坊に、かつての責任を問い得るか。その国のライフスタイルで過ごしてしまう責任を問い得るか。


そんなこんなで改めて確認する。今に生きる我々は、気候変動の影響は避けるべきか。もちろん、それはなんとしても避けるべきことだ。たぶん、利害の異なる参加者に共通するベースはそこしかない。
だから、そこから泥縄式に交渉を続けていくしかない、ということ。かなりフラストレーションのたまる交渉を。

そのことが、限られた時間しか持たない人間が、(さしあたり)無限の時間を持つ国家という名前を背負うこと。そして、僕らの子どもに対して(いまのところいないんだけど)、しっかりと顔を向けていくことであるよう思えるから。
テーブルに付くのをやめてしまった、アメリカ(あるいはカナダ)といった先進国の選択に陥穽があるならば、たとえばツバルといった今現在、危機を全開で感じざるを得ない国々に応答する言葉を持たないこと、そして、自分の子どもや孫に伝える言葉を持てないこと、なのではないか。

だから、苦しいけれどレジームはなんとしても守る。いろいろ状況が変わってうまくいかないことはあるだろうけれど、テーブルは離れてはいけない。



2つ目は、今回に関しては日本は約束不達成でもいいのではないか、ということ。
信用失墜とか、あるだろうけれど。もちろん、交渉はしっかりとやったらいい。山口光恒の論考なんか、非常に参考になる。

まず、リーマン・ショックに始まる(だっけ?)一連の不況がなかったら日本の排出量は減少しなかっただろう。繰り返すが、05ベースでは日本は−6%分のパッケージしか持っておらず、無策であった(ようにしか見えなかった)。このことは、爾後の震災と切り分けて考える必要がある。
そしてなにより、震災後、僕らが覗いてしまったのは原子力や放射能への恐怖だった。温暖化に関する環境省の資料の中に「原子力発電所の稼働率が84.2%であった場合」という文言とか、もはや悪い冗談にしか映らない。でも3月11日までは、普通に通用していたことでもあった。

フクイチ君をいつまで冷却しなくてはいけないのか、溶け落ちた燃料が取り出せるのか、その燃料をどうするのか、ということを考えると、ああ、大変だな、と誰だって憂鬱になるだろう。もはや電気を産まないパワープラントにどれだけ電気とお金が必要なんだろう、と言い換えてもいい。


温室効果ガスは将来的に大きな被害をもたらす可能性がある。どうもそうらしい。
一方で、放射能によるカタストロフは喫緊、かつ長期的なことだった。いま、身を持ってその事実を体験し、あるいは将来のことを考えて震撼している。

現在の火力発電所による排出増は、原発のリスクと温室効果ガスの増加のリスクを天秤にかけたということでもある。リスク総量の比較はともかく、少なくともどちらが速やかなリスクなのかは、今の僕らは知っている。
あるいは、少なくともカタストロフに直面したときに、火力発電による大幅な排出増で対応するしかないということも僕らは知ったはずだ。



いろいろあって、我々は自らに課した約束を果たすことができなかった、とみんなの前で述べることはそれほど悪いことではない。一時的に排出量を増やしてしまう。ごめんなさいと。ペナルティもないことだし、あったとしてもそうすべきだろう。
それでも気候変動枠組条約にコミットし続ける姿勢を日本が取りつづけることができるのであれば、僕は評価する。


大きな災厄に見舞われたことは確かだ。それはとても大きな悲劇だった。
だがそれでもう片方の責任が免責されるわけではない。
どちらか一方だけが大事なのではない、どちらも大事なのだ、ときちんと言えること。一方の災厄で、もう片方を見失わないこと。それが大切なのではないか、と思うんだ。

2011年11月22日火曜日

クチへ



ガイドさんは歌って踊れる陽気な若いベトナム人だった。英語が上手だ。


彼は流暢にきれいな英語をしゃべる。普段から英語を使い、外国人を相手にしているせいだろう。
英語を話すベトナム人はサイゴンでは珍しくないけれど、ベトナム語的英語になってしまうことが多い。ベトナム語はアルファベット標記で、基本的にローマ字読みで発音するから、発音を推測するのは簡単だ。ただし、末尾が子音だと発声しない。例えば、forest:「フォレスト」は「フォレッ」と発音してしまうから、慣れないと分からない。



「ソ連がなくなった今では、共産主義国は中国、キューバ、北朝鮮、そしてベトナムの4カ国だけになりました。」そうか、共産主義国ってまだあったのか、とぼんやりと考える。こんなにもモノが、お金が溢れているベトナムを「共産主義」と言ってしまうのには、少し違和感を感じるけれども、彼はよどみなくそんなことを言う。

ツアー中、クチのトンネルのシステムやベトナムの対米戦略を説明しながら、日々彼が相手にしているであろう外国人に向かって来てくれたことを感謝を口にする。なぜだか言い訳がましい感じがしなかった。淡々と、堂々と、親しげに彼は言う。

ビジネスだから、と言ってしまうと身も蓋もない。そんなことを言えばセックスだってビジネスだし戦争だってビジネスだ。この世界のたくさんのモノたちにビジネスというステッカーを貼っていくなら、そのステッカーを貼ることができないものを捜す方が、きっと難しい。

彼があんまりにもきれいな英語をしゃべるから、ベトナム人であることをたまに忘れる。
もちろん仕事が終われば、彼だってベトナム語を話し、ビールを飲み、普通のベトナム人として生活しているんだろう。


僕らはツアーで、楽しむために来ているし、彼は僕らを楽しませるために来ている。彼は冗談を言い、おどけ、歌い、軽やかにビジネスをこなしていく。それが、単なるビジネスであったとしても、そのつるりとした社交辞令の向こう側に、しっかりとした奥行きと手触りがあるように感じられた。

それは僕の気のせいかもしれないし、聞かなければ(英語を聞こうとするのは、僕にとってずいぶん大変なことだ)通りすぎてしまう風景だ。
知識は所詮知識でしかない。それでも、知らないよりは知っておいたほうがいい。そんなことを考える。

2011年11月12日土曜日

つくえをつくる。


メラルーカ材のつくえをつくってもらう。
自分で作るつもりだったんだけど、オマエ作ったことあるの?
と聞かれ、ない。と答えると、
じゃ、見てなさい。ということになった。
はい。見てます。口も出します。









いすづくりと同じように、つくえづくりもカマボコ板からはじまる。
天板を40cm×80cmでお願いしたので、それに見合う板を作る。

知らなかったのは、家具で集成材による家具作りはけっこう行われていること。
そういえば、家にあるテーブルは確かに集成材だった。別にカマウに限ったことじゃないんだな。


カマボコ板からはじめる利点としては、部材を小さくすることによって、ねじれや歪み、割れが少なくなることだそう。
大きな板は確かに乾燥しにくいし割れやすい。あそこにある日本のODAで入った乾燥機は?と聞きたかったが、話がめんどくさくなりそうだったので次回聞こう。

足の部材と天板の部材を作っていく。もう少し釘打ちを少なくしよう、とか、もう少しキレイに打とう、とか、作っている人が思えるようになるにはどうしたらいいんだろう。と考える。

でも別に裏だし、いいか、と思ってしまう僕は、だいたいここの人の考え方が一緒なんだろう。



形が出来てしまえば、後は細かい修正と塗装。
ざっくりとヤスリがけをしたあとに、細かい凹凸の補修。凹凸が大きいときはとの粉を使う。小さな傷は、透明な接着剤を流しこんで、ヤスリがけ、という方法も使っている。
ふーん。と思ってみてしまう。

ヤスリがけまで終わってしまうと、かなりキレイ。杉板のように年輪ははっきりと見えない。わずかに色が濃い心材と、白っぽい辺材の違いが見て取れる。

メラルーカを見ていていつも思う。年間通じてずっと成長しているせいか、年輪がない、わけではないけれど、見た目でそれほど明確にわからない。

オール早材、というと語弊があるけれど、晩材もズンズン成長してしまうので年輪という概念が不明確なんだろう。
気分はずっと夏、なメラルーカ。
この説明は年中陽気なここの人たちにも当てはまるような気が。


最後に塗装。塗装で赤色を付けないで、とお願いしたので、そのままニス塗り。ニスも黄色っぽくなるので、どうかと思ったんだけど、そのままだと傷がつきやすいよ、ということで同意。

飾り物ならニスなしでもいいかも知れないけれど、デイリーユーズだし。つくえにおいたコップのあとが付くのも嫌だし。











赤色に塗装されたメラルーカのつくえについて。
塗装しなくてもメラルーカ木肌はキレイだと思うんだけど、というと、
ウミンの人はこの赤色が大好きなんだ、という。
そういえば、この赤は周りの緑によく映える。

メラルーカ材は重たいね、アカシア材の方が軽いし喜ばれるでしょう、というと、
ウミンの人はメラルーカが大好きなんだ。
だってここはもともとメラルーカの森なんだから、という。




























部屋にクリーンインストール。
リノリウムの床の色となんだか合っていて、ちょっと笑ってしまった。









2011年11月10日木曜日

その人はいう。

キミは容器のことばかりを気にしていて、中身のことを考えていない。
大事なことは、中身なんじゃないのか。

僕はコーヒーの入った、カップを少し思い浮かべる。


僕はいう。
そのとおりだ。僕は外見のことばかり考えていて、
中身のことなんてこれっぽっちも考えていない。
中身はとても大事だってことは分かっている。
でも、それができないんだ。


言われたその人は、とても困ったような、悲しいような、弱々しい顔をする。
その悲しそうな顔をみていると、僕も悲しくなる。
そう、中身が大切なことぐらい、僕だって分かっている。


事実だとしても、言っていいこと、言ってはいけないことがあるのか。
その人の弱った顔を見たくなかった、というよりも、
強いはずの人が、弱々しい顔をみせたことに僕は狼狽する。

弱さや未熟さを言わざるを得ないのは、弱さに依るはずなのに
そうして、放たれた弱さがその人の何かを損なう。
相手の反応に動揺するくらいであれば、
それは、言われるべき言葉ではなかったのか。
相手が安寧であることが、僕の安寧であるならば。



弱くてもいい、弱さを言い募ってもいい時間帯は、
どうやら僕の中で終わったようだ。僕はそんなことを考える。



ああ。これ夢の中の話。

2011年11月7日月曜日

メラルーカを植える。





”Trồng rừng”は意味で言えば、「林を植える」ことで、つまり植林。
正しく言うならば、林を植えるのでなくて、木を植えるのだろう。
 英語ならAfforestationは「森林にする」程度の意味だし、
単純にplanting treesということも多い、かどうかは知らないけれど、
まあ、論文とかでよく見た言い回しだ。
林を植えるという、なんだか変な言葉が日本でもベトナムでもある。




というわけで、メラルーカを植えた。
これがもう本当にキツくて、翌日から腰痛に悩まされることに。

メラルーカの植え方は単純。穴を突き立てて、そこに苗木を植える。以上。





















苗木の本数は20,000本/ha。日本の通常の造林の6倍〜8倍の本数を植えこむ。
正方植えをしていて、70cmの正方形の頂点に植え込んでいくような感じ。

一日でやんのこれ?と愕然。全部で13haあるそう。






苗木は苗令3ヶ月程度の取り木苗。
フミ、ほれ、これが苗だ、と見せてくるのは
海坊主、もとい、水路坊主のKhỏi兄さん。
事前に船でポイポイと束が投げてあって、それを持ってきて植える。
日本のように苗を背負って山に上がらなくてもいいから、それは楽だ。

かなり細いけれど、ちゃんと活着するそう。
根っこ曲がってたら折ってもいいよ、って。ほんとかよ。

日本で植栽をしたときは、樹木の吸水が終わる10月くらいから
吸水がはじまる3月くらいまで、となっていた(降雪期は避ける)と思う。
こちらの植栽は雨期中に行う。
苗木がバンバン水を吸い上げるときに植えてしまう。

熱帯の植栽はいつのタイミングが適切なんだろう、と少し考えみた。
結局ここでは成長停止期なんてないのだ。だからどんどん大きくなるわけで。
そんなことを考えると、やっぱりよくわからなくなって、やめてしまった。




問題なのが、足場の悪さ。エンバンクメント工事がすでに終わっている場所なんだけど、水路の泥を掻き上げただけだから、当然沈下する。
何気なくエンバンクメント工事を見ていたときは考えもしなかった。


田植えの要領で苗木を植えていく状態。埋まるし転ぶし。


日本の植栽は寒いくらいの時期にやるからこんな暑いなんて、考えたことなかった。植栽地って、日陰ないんだ。当たり前だ。

持ってきた水はあっという間に尽き、ドコのものとも知らない、イケナイお水を飲み干す。
外国人としては危険だが、背に腹は代えられない。また、外国人としてはヒルも細菌感染も破傷風も住血吸虫も怖いところなので、長袖長ズボン。

ここの人はとんでもなくタフ。尽きることなくだらだら喋りながら、さっさか植えていく。感服。

ワイシャツで現場に現れるのだけは理解できない。ベトナム人のワイシャツ好き。







いい経験になったけれど、なにしろぐったり。
明日も植える?と聞かれて、日曜は休む日だよ、と力なく返す。
みんなが笑う。
船に揺られて帰って行きました。








2011年11月6日日曜日

イスをつくる。


どうも納期が近いらしく、工場では盛んにイスを作っている。





作られた集成材の板材から、おしりを乗せる板と、足の部分、背もたれの部分が切り出される。


切り出しをしてしまい、さらに最後に研磨が入るので板材のときに目についた細かい不整合はこの時点ではあんまり気にならない。

それぞれ作られた部材を組み立てる。

切ったホゾをちょっとずつ削りながら、組み立てていく。家具制作って見たことがないのでよくわからない。


型ができたら微調整。ガタガタしないようにする。


ベトナムにしてはわりとシンプルなデザイン。ただし、かなり重たい。油分が多いからか。
曲げ強さとか、調べてないけれどとても硬い木だし、構造材でもないから、耐久性はありそう。







組み立てが終われば、あとは研磨と塗装。
研磨と塗装は、女性の仕事のよう。

ずっとこっちを見ていたのに
カメラを向けるとカサを目深に被り、
下を向いて作業い戻ってしまうのだった。

この種のイスはよく人民委員会とか共産党の施設で使われている。日本で言えば県庁とか市役所とかそういった公共施設のイスだ。

カマウ省では、JICAの支援で内部調達からとりあえず生産を増やしてみるという方針がある。逆に、それくらいしか販路がないということでもある。




ここの人はあんまりメラルーカ家具の色合いが好きではないらしく、
塗装したほうがいいという。白木で見た目はなかなかきれいだと思うけれど。
集成材の接合部とか、きちんとしたほうがいいと思うけど。
油分が多いなら磨きこんだらきれいかもしれない。


逆に一般家庭ではこうした木製家具はほとんど見かけない。
たまにお金持ちの家の居間にゴテゴテとしたセンスのない
巨大な木製の応接セットを目にする。座り心地は、悪い。
見てくれ重視で、ユーザーフレンドリーではないのだ。

普通の庶民はプラスチックやスチールの家具をたくさん使う。
ずっと安価で、派手な色合いを好むここの人向きなのかもしれない。
木製品であっても、普通の人が普通に使う家具というのは、
自分でテキトーに作ってしまう。

ここの人にとって
お金を払って買うモノの中に木製家具は、残念ながら含まれていない。
だから、使いやすさやデザインを真剣に考える機会がすくないんだと思う。
僕にデザインができればいいのだけれど、そういうのはカラキシなので。



テーブル、イスともに110万ドン。日本円にすると4,000円くらい。

家具デザイナーさん、販売店さん、ピンときたらご連絡を。

板をつくる。






日本で集成材、というと、とても巨大な構造物の柱材とか
そういうイメージしかない。そしてあんまり好かれていない。
シックハウス、耐久性、経年劣化、ムクの家がいい、云々。
そもそも、家具材に集成材を使うなんて知らなかったのだ。

ここでは家具にしてもそれに見合う部材がそもそもない。
樹齢何百年の板材は日本でも希少で高価だけれど、
ここには20年を超える木だってほとんど存在しない。
原料が小さすぎる。
だから、集成材を作る。



なぜ、ここには小さな木切れみたいなものしか存在しないのか。
それは、部材の利用が徹底されているから。
梢の部分は薪炭に、そこから下は杭材と足場材に、
元玉に僅かな部分のみが家具材として利用される。
杭材と足場材が今のところもっとも売値がいいので、家具材は割を食う。

加えて、最大限の杭材を生産するため密植を行なっていること。
密植は林内競争が激しいため伸長成長が促進され、
完満な、根元と梢の大きさの差が少ない材を生産できる。
そのかわり、密植では材が太る肥大成長はほとんど期待できない。
肥大するスペースがほとんどないから。

そんなこんなで、カマウの家具生産はまず、カマボコ板みたいなものからスタートする。




ある程度定形にカットされたカマボコ板状のメラルーカやアカシアの木切れを大量に作る。これをボンドでつなぎ合わせるのだ。

木切れの接合部にボンドをつける溝を切って機械で圧着させる。


ボンドは身体にいいものかとか見た目ではよくわからないけれどまあ、触った感じと匂いは木工用ボンドだな。

職場のおねえさんは黙々とボンドつけ作業に勤しむ。どうもこちらの人はカメラを向けると下を向く。


















機械で木切れ同士を接着する。3m程度の長さに揃えて切断。木切れは、まずは棒に。













線になった棒を今度は面に。

必要な長さでカットした棒の側面にまたボンドを塗りまた圧着させる。
機械を使っているのは溝切りと切断、圧着させる万力だけで、あとはほとんど人力でこれらの作業が行われる。


日本の集成材工場やプレカット工場はあんまり人がいない。工作機械が仕事をしている。
ここの工場は、というかベトナムはありはまるほどに、人がいっぱいいる。とにかくいっぱいいる。











人の手が必要な技術とは、その技術が機械では代替不能である場合が多い。
そんな技術は日本でも相変わらず存在するけれど、相対的に少ない。

ここで働く人が、突出して木材加工に熟練した技術を保有しているかといえば、
きっとそうとは言えないんだろう。もちろん、僕よりははるかに上手だけれど。


かっこいい背中を見せている彼は、職長さんみたいなひと。
まごまごしながら、ここの仕事を見せて欲しい、とお願いする
僕の拙いベトナム語を、大きな目でふんふん、と聞き、
いいよ、どうぞ、と笑顔で答えて案内してくれた。

彼は工場向かいにあるカフェを経営している。
工場で一仕事終えると、木くずと油にまみれた手を拭い、魚を下ろして
身重の奥さんと昼ごはんをつくり、お客さんにお茶を出しながら娘をあやして、
タバコを吸いながらハンモックでごろごろする。
なんでもできる。
僕なんかよりもずっとなんでもできる。
技術を身につけるということは、一体どういうことなんだろう。
ご飯を頂きながら、そんなことを考える。




作られた板材の品質は、
正直あんまりよいものとは思わない。
そもそも、一枚板が取れる場所であれば、
こんな作業は必要ないのだ。
同じ家具工場でもホーチミンのほうが
質のよいものを作っている。

もっと効率的な経営をするためには、とか
生産性とか技術、立地条件を考えて
そもそもここで家具生産をする必要は、とか


そんな冷めたことを考えるには
あまりにも、ここの人は温かい。




2011年10月30日日曜日

土が少ないこと

じっくりゆっくり。寝坊をしてみた。

出張中は、まあ、いろいろあったわけだけれど、
カマウ以外の森林を見ることができたのが個人的には収穫。


カマウにあるメラルーカ林は単純一斉林。
天然林でもほぼメラルーカだけの純林ができあがる。
でもBinh Châuでみることができたのは雑木林というか、常緑照葉樹林。
久しぶりにみて、ああ、そういうのもあったね、と驚き。

なんでカマウにこういう林はないんだろう、と考える。
たぶん、それはカマウがとても低い場所からだ。
職場になぜか導入されたGPSで計測すると、海抜5m、となっている。
海から20kmは離れているのに、5mしかないのだ。

水面から、辛うじてに顔を出している土地であること。
この広大なデルタ地帯のほとんどは、半湿地のような場所であること。
メコン・デルタは実はまだ生まれたての、幼い土地。

土が少ないことが多様な樹木の生育を妨げる。
淡水はメラルーカ、喫水域はマングローブしかない、といっていい。
ほかの場所に行って、初めて気がつくこの場所の不思議さ。
蚊が多かろうが、文句は言えないのだ。

エンバンクメントって、よく考えると土が足りないってことだよな。
いつかきっと、土はどんどん増えていって、
いろんな木がここにも生えるようになるんだろうな。

でももちろんそれは、気が遠くなるような先の話で、
僕が見ることはない。ただ想像してみるだけ。



2011年10月9日日曜日

ススキと水田

















まあ、ススキではないと思うけれど。
まあ、カヤ科のなんかだ。

日本で10月といえば、ちょうどいい季節だ。
涼しくてよく眠れるし、運動も快適。メシもうまい。
なんか、初氷、とか聞いたような。


メコン・デルタのここ最近は、ずいぶん雨が多くて
肌寒い、と感じることが多かった。
それでも半袖サンダルで生活していたわけで、ベースの気温は日本とは違う。
昼間は十分暑い。


日々の生活だけを取り出して、秋を感じることってほどんどない。
木々も草もは青いままだし、市場に行けば、大量のくだもの。
食べものはいつもどおり。飲み物も相変わらず熱いお茶とカフェ・ダー。

ススキを見たときに、ああ、10月なんだな、と思いだした。
何回目かの田植えがこの辺りでは終わって、青い稲が風に揺れている。



山でもひとつありさえすれば、目印になるのだけれどな、と思う。

そんなことを考え出したら、日本にいたときは、山や海を定点観測していたんだ、
と気がついた。


雲がかかったり、晴れて山頂まできれいにみえたり、雪が積もったり。
ここはまったいらだから、視線を空に移すポイントがない。
見上げると、たいらな土地があって、その先に空がある。
ベトナムの空は表情豊かだ。


ススキと稲、考えると奇妙なんだけれど、
それがきっと、ここでは普通の風景なんだろう。



2011年9月25日日曜日

「それ」を捨てる


たぶん、山奥のどこか。害が無くなるまで。その時間はきっと、僕にすれば、未来永劫と呼んでいい時間だ。

恩師の野口俊邦は、国有林にはそれとしての機能がある、と述べる。彼の主張、今でもちゃんと思い出せるだろうか。森林の公益的機能についてもいろんな文献があるからいいとして、「最後の貸し手」ならぬ、木材を生産する「最後の供給者」としての国の役割をも彼は語る。

それはとてもスジの通った意見だ、と思っていた。でも、スジが通っているだけに、その考え方の頽勢もしっかり見えてしまうような気持ちにもなった。だってそうでしょう?スジが通っているように思えるのに、それがうまくいっていないのだから。

それは、うちの林学科全体をもやのように薄く覆う、頽勢であったような気もする(今は知らないけど)。まるで林業という斜陽産業行きのバスに、意図せず乗りあわせてしまったような感じで。高校生がそんなことを知るわけがないから。文学部とか経済学部にいたら、きっとそんなことは思わなかったろう。

そもそも学問に停滞などあるのだろうか。わからない。とりあえず、僕らはクールでもヒップでもなかった。きっと気の利いた学生は、「なんとか政策学部」とか、「環境なんとか学部」とかに行ったんろう。
意図せず乗り込んだバスがついた先は、僕の場合は今のところ、ベトナムなのだが、それはまた違う話だ。

学生のころに聞いた、「スジの通った意見」も、それを鼻で嗤うような意見も、「それ」を捨てると聞いてしまった今、なんだか、どこか遠くに行ってしまったように感じられる。学生のときに見たいくつかの、林業への構想も理想も、それへの嘲笑も、「それ」と一緒にに埋められていくような感じ。そこで育っていた木々は、無価値どころか、有害なものと隣り合わせとなり、自身も有害なものとなるんだろう。今、野口に聞いたら、残土捨て場も「公益的機能」のうちに含む、というだろうか。

どちらにしても、きっと、仕方のないことなのだ。

ゴミ捨て場にされるに至る物語が、どんなに森林の「(ゴミ捨て場としての)機能」の正統性を語ったとしても、今のところ、マトモな気持ちで聞ける気がしない。それは、森林が(かつて)持っていた「機能」の物語を、ずっと聞いてきたから。そこを単なる「場所」と割り切ることで、初めて、ゴツゴツとした違和感満載ながらも消化することができる、ような気がする。「ゴミ捨て場の物語」は、耳を傾けるのを拒絶したくなってしまう。来年の白書は「ゴミ捨て場としての森林」という項ができるのだろうか。


もしかしたら、僕らはどこかで、「捨ててしまって、せいせいした」と考えてしまうんじゃないだろうか。もちろん、「それ」は危険で、人の近くには置いておけないものだ。では、置いた場所は考えなくていいのか。そんなことは、ないはずだ。いろいろな人が、その場所についていろいろなことを考えてきた。妥当な、仕方のない処置であっても、今までの物語とは断絶した「何か」をしていると考えるべきなのだ。

だから、それはきっと、僕らが忘れてはいけないことだ。人から遠ざける必要があるから、山に隠すんだ。人のいない、人が見ていない山奥に。こんなに実際とメタファーが重なり合っていることって、ほかにあるだろうか?

2011年9月18日日曜日

病中病後


久しぶりに天井ばかり見つめていた。子どものころを思い出す。
天井が地面だったら、僕はどうやって歩こうか。
あの段差、ちょっとおもしろそう、とか。
とりとめもないことを、ふとんの中で考えていたような気がして、
今回もまた、そんなことを考えていた。

視点が限定されると思考も限定されるんだろう。病気的思考。

たぶん、昨晩の痛みが(今回の)最後の痛み。
身体がずうっとここ数ヶ月の間の苦情を言い募っていたようでもあり、
横になって、ハイハイ、すみません、とその苦情を聞いてやるのが、
ここ数日の僕のやることだった。


そのようにして、都合5日間。僕は再び、ようやくお腹が空いてきた。


ウミンに戻る日、ふと気がついて、窓の外を見る。
窓の外をみる気になったのはこれが初めてだった。
カマウ市の街の広がりの先に、
田んぼだろうか、エビの養殖池だろうか、があって、
その先に広大な森林があって、ずっと平ら。

その先は?
そら、だな。そらがずっと、その先にはある。


2011年9月3日土曜日

バックホウの旋回範囲内

に、生まれて初めて居合わせた。





日本だったらありえないけれど、船の上はすべからくアームの旋回範囲内。
監督員の僕ならば即刻工事中止指示ですが、今は監督員ではない。
へえぇ、と眺める。
船にバックホウを積載してエンバンクメントの工事をしている。
カマウ省で実施されているJICAの事業だ。
ちゃんと日の丸とFrom The People of Japanという記載。誰も気にしてない。


なんでこんなことをしているかといえば、この土地が酸性硫酸塩土壌だから。
掘り返してみると、ここの土は非常に粒子の細かい、粘土状。
これがマッドクレイと呼ばれているもので、植物遺体が還元状態で
分解されたとき生じる、とある。なるほど。よくわかんねえな。

マッドクレイには還元物であるバイライト、FeS2、が含まれていて、
酸化される、つまり、空気に触れるとジェロ−サイトという物質に変わる。
ジェロ−サイトに変わった土はキャットクレイと呼ばれる。猫の糞の色。
化学式から想像がつくとおり、バイライトは酸化の過程でH2SO4、硫酸、ができる。
これが土壌の酸性度を下げてしまう。

黄色く変色しているのが、空気に触れて発生したキャットクレイ/ジェロ-サイト















少し勉強した限りでは、一部の調査地でpH2.8の数値をたたき出していた。すげぇ。
酸性雨なんてかわいいもんですね。まあ、植物の育成には不適です。

そういえば、ここにある運河は総じて茶褐色で、考えてみればこれは酸化鉄の色だ。
帰りの船で水を舐めると(やめなさい)、やっぱりサビの味がする。確かにFeだ。
土壌が酸化された残滓ということになる。
そうか。何の気なしにみていた。ただ汚いだけかと思っていた。















エンバンクメント工法の主眼は常時滞水をさせないということだ。
酸化は止めることができないから、発生した酸を速やかに堀に落としこむ。
干拓というか、陸地化というか、そのようなことをしている。

ただ、浚渫してマッドクレイを陸地に掻き上げてしまうと、
マッドクレイは一度に大量の酸素に暴露されてしまう。
大量のキャットクレイが発生するはずだ。
このままでは強酸性土壌になるのでは、という疑問は残る。
専門家は掘削土壌深度を決めて実施する、と言っていたが、
バケットでそんなに器用なことはできるとも思えない。
考えられるのは、今が雨季だから、発生した硫酸は
定期的に洗い流されるかもしれない、ということ。
だから雨の降らない乾季にこれをやったらどうしようもないはず。
でも化学式的にはH2Oも必要だから、水がなければいいのだろうか。よくわからない。

この日はたぶん功程調査をしていた。よくわかんないけど。
浚渫が規定深さに達しているかとか、1時間分の実施済み延長とかを確認。
1時間に18m、一日に200m進捗するとのこと。それって11時間労働なんだが。


作業員は船で泊まりこんで、堀の魚をとって食べている。
推定ちっちゃい雷魚。ご相伴に預かった。ここで食べるのは2回目。

給油のときにタバコ吸うなよ、とか、
びちゃびちゃ油をこぼすなよ、とか、
混合油は目分量でつくらないの、とか、
油の中に水ちょっと入っちゃってるじゃない、とか、
油を触った手そのままで料理すんなよ、とか、
包丁、というかそのナタとまな板洗おうよ、とか、
皿を堀の水で洗うなよ、とか。
言わない。なんというか、とっても豪快です。

不思議とバックホウも僕のお腹ももいまのところ壊れていない。
陽射しの強さと、排気ガスの強烈さと、船の揺れでクタクタにはなった。




やっていることは堀を浚渫し、陸側に掻き上げ、均す。
一面の芦原が、泥の平らな土地になっていく。
やっているときに鉄の船ががっこんがっこん揺れる。
ちなみに船の推進力はこのアーム。川底を引っ掻いて進みます。
この船エンジンないな、と思っていたら、確かにあった(笑)。




出来上がり。来月にはもうアカシアを植栽してしまうとか。




2011年8月31日水曜日

発声法が違うんだ。

と思う今日の晩。
ベトナム語の上達のためにはドリフとかみたほうがいい。

喉で発生するんじゃなくて、喉と口の間で発声するんだ。きっと。
じゃないと Ư とか Ơの音はでない。
とくに Ơを発声するベトナム人はもう、ハーモニクスと読んで差し支えない
くらい倍音が出ている。まねできねぇよ。
少なくとも発音構造についていえば、日本語の方がラクだと思う。
でもそんな日本の発音も変わりつつあるのね、という話はまた今度。





こういう喉で搾り出す声はベトナム語ではほとんどない。
大声を出すときは、口腔と腹腔を開けたような声を出す。
クリーントーン、ハーモニクス込みの、よく通る高い声。
この国では、イーグルスは流行ってもNirvanaとか絶対流行んないだろう。

この国のヒット曲が歌謡曲に限られるのは無縁ではないだろう。
声調を無視したとしても、そもそも発声方法が違うのだ。


The Black Crowsは"By your side"から。
正確に言えば"Amorica"からだけど、ちらりとしか聞いてないから。
そのジャケットに大興奮していた中学生がいたとかいないとか。

"By your side"に話を戻す。
ケヴィン・シャーリーがプロデュースしたから買ったようなもので。
サザンロックと生っぽいプロデュースが奇跡的な名盤だったと思う。
それまでサザンロックは生くさくて聴けなかったんだけど、
躍動感のある音作りで印象がだいぶ変わった。
ケヴィン印のスネアの音がして僕は大満足なのであった。

クリス・ロビンソンはこれほど声域が狭くて、というよりも
使えるキーが少なくて、一本調子で。ヘタウマ。
なんで心が動かされるのだろう、と思う。
出力が大きい、というか、がなる人。


いつまでたっても不安定なその声が、何かを突き破るのか。あるいは、
心を潰さんばかりのその声が、心を震わせるのか。
きっと、時間や空間を超えて、クリスの"I love you"は届いてしまう。


この"Lions"を買ったときは学生だった。
夏、学校から家に帰る途中で夕立にあって、
農場の東屋で昼寝をしているときに聞いていた。
早く雨と雷がやまないかな、と思っていた。
起きたら、満点の星空でした。

って考えると、今とあんまり変わらない生活をしていたかもしれない。

2011年8月28日日曜日

言っていることが分からないことについて

とりあえず、ウミンハに来て一週間。
まだ、生きている。

とりあえず生きていけることは分かった。生きていける。
よかった。でもそれでは足りない。
仕事をしにきたのだから、仕事をせんと。
若干、イライラ。

ここにいる人、職場の人はとてもいい人たちだ。
どうも僕は歓迎されているらしい。
でも何言ってるかわからん。困った。
口を見て聞き取ろうとするんだけれど、知っている単語がひとつも出てこない。
まったくわからない。
僕の言っていることは、半分くらい理解してくれる。
でも彼らの言うことが、聞き取れない。


人によってはゆっくりと話してくれる。
でも僕には分からない。その人は残念そうな顔をしていて、
それでなんだか申し訳ない。

周りに話し声が溢れているのに、内容が分からないのは孤独だ。
一人でいたほうがまだ孤独じゃない。
それってなんだか不思議なことだ。


語学研修中にもらったリスニングテープを聞き返してみる。
聞き取れる。スピードが遅いせいもある。
でも、職場の言語とは違う言葉のように聞こえる。
方言というやつかもしれない。もしかして。

とりあえず、一週間目の僕は
なんとか生きていけることの安堵感と、
言っていることが分からないことの衝撃で終了。

勉強をしなくてはいけない。
が、初めての週末は、なんだかぐたーとしてしまった。
さて、今週はどうなりますことやら。

2011年8月20日土曜日

マングローブをめぐって

「マングローブ植林」で6万件もヒットするのか。すごいな。

熱帯の多くの国でマングローブはあるし、たぶん増えたり減ったりして、時にはボランティア植林も行われているんだろう。
僕が学生だったとき、バーベキュー用の炭が備長炭という名前で販売されているとか、エビの養殖池を作るために切り開かれたとか、そんな話もあった。エビの養殖池は確かにあるね。だからマングローブを植林しましょう、みたいな。

この国でもマングローブ植林が行われているということは、マングローブ林が減少しているんだろう。あと、枯葉剤の散布地を再植林したという話も聞いた。ベトナムにおいてマングローブが減っている理由があるとすれば、海岸線の侵食と違法伐採だろう。

カマウ岬では海岸が増えているらしい。逆に東側の海岸は年間80m後退しているらしい。カマウ省の推計では254 kmにわたる海岸線が平均5m、8100km(!)にわたって張り巡らされている水路が年間平均50cmずつ、侵食により後退しているとのこと。要するにスゴイ面積毎年減少している。と、考えているようだ。

確かに、海岸線や水路の侵食をマングローブが守るが、その効果は限定的だ。治山事業でも一緒だけど、森林は結局土地の表層一枚を占拠し、守るに過ぎない。山腹の深層崩壊でも地すべりでも、海流の変化でも、根本から揺るがす影響に対して、森林はほとんど無力だ。
この国では、気候変動の影響なのか、中国がメコン川にダムを作ったせいなのか、どうも陸地への砂のつき方が変わっているとのこと。でもそれをマングローブが防げるかといえば、防げない。

気候変動適応としてマングローブという話の流れは、森林吸収源という側面ではありだと思うが(それにしても新規植林ではないから効果は限定的だ)、「マングローブの防潮堤」という考え方だったらちょっと違う。海面が1m上昇するんだったら、きっと一部の陸地が常時海底に沈んでしまって、枯れる。

現在、ドイツの支援によりメコン・デルタの西側にコンクリートの防潮堤を築いている。海岸侵食を防ぐためだ。防潮堤を手がけたことはないけれど、個人的にこれはオススメしない。防波堤そのものを守るために根固工をする必要があるし、それは賽の河原のように永続的にテトラポットを投入する必要がある。そうしないと防潮堤が波で洗われて、最後は壊れてしまう。
維持管理が苦手科目であるこの国でそれはしない方がいいと思うし、それをするんだったら道とか下水とか先にやることがあるだろう。人が困っているものから順に手をつけたほうがいい。物事の道理です。



違法伐採対策で植林しているとしたら、それは泥棒にエサをあげるようなものなので、そんな意図はあんまりないんだと思う。
なぜ、違法伐採が起こるのか、ということから考えれば、「植林」はソリューションにならない。違法伐採が引き起こされないような方法を考えるべきなのだ。森林をもとに戻す、ではなくて違法伐採をなくす、がまっとうな回答なんだと思う。
ベトナムに対して植林という形での支援は、一部では意味があるけど問題そのものは温存されたままだ。支援をしやすいのもわかるが。

貧しくなければ、燃料が簡単に手に入るのであれば、好きこのんで不法行為はしないでしょう。例えば、管理されたマングローブ林から生産された木炭を10倍の価格で買い取ってあげる、とか。
いびつな取引だけれど、もし支援をするのであればそういう方法だってある。
ものをあげるのではなくて、よくできたものを買い取る。その品質を買うのではなくて(実際、マングローブはいい炭になります)、その履歴を買う。それが、ここにいる人たちが、自分の持っているものに対する価値に気がつくきっかけになる。

支援をするにしても、方法を考えることは大切だ。裕福な国の趣味みたいなものにならないためにも。

森林認証制度、と気がついた。これできないかな。誰か、木炭買わないかな。

Ở rừng cây đước


カマウの森林植生の代表選手はマングローブとメラルーカ。
みんな大好きマングローブ。
カマウの南端、カマウ岬にマングローブ林の視察に行く。
カマウしから船で2時間。森林植生がメラルーカから
少しずつマングローブへ。
運河とメコン川の両端がマングローブ林で埋め尽くされると
そこが海になる。

ここにあるのは基本的に二種類のマングローブとのこと。
ほとんどマングローブを見たことがなかったので、
意外に樹高が高いことに驚く。



















潮の干満でここは海になったり、陸になったりするので
やっぱりここも植生そのものはシンプルだ。



船で入江に出る。こういうとき船は便利だ。マングローブの若木。
入っちゃダメ、という看板がついていた。
いちおう管理をしている、ということだろう。





それから伐採の現場を見学。マングローブの主要な利用先は木炭。
この近辺で炭焼きをしたり、カントーまで持って行って焼くらしい。
受け口と追い口を切りましょう、とかヘルメットかぶんないの、
とかせめて手袋くらいしたら、とか突っ込みどころは多々。
僕の知っている労働安全規則は日本製だしな。
聞けば伐採後は1年以内に再植林されるとのこと。
マングローブの植林はどうやってするの?と聞けば
種を落とすだけ、とのこと。簡単ですね。
ここにはたくさんの外国の援助が入っているらしい。
クリーンなイメージのマングローブ。
でも、植栽ー伐採のシステムは思った以上にスムースだ。


カマウ岬で働くのもいいな。でも街まで2時間だからな。
きっと悟りとか開けちゃうな。

とりあえず、僕の主戦場はウミンハなのだった。