2018年10月12日金曜日

「言葉そのもの」のことを考える

これはなかなか、酷いタイトルだ。
どういう言い方があるのか、考えあぐねている。

僕らは普段、言葉を使って話したり、書いたりする。
考え事もしている、かもしれない。よくわかんないけど。

一方、言葉を通じた活動そのものに、僕らは無自覚だ。言葉は運用しているだけ。
「言葉そのもの」について考えることなんて、皆無といっていい。

たとえば、車を買い換えたとする。
おんぼろな車と比べて、新しい車は調子が良い。
ハンドリングは自在だし、アクセルは踏んだ分だけ加速する。
同じ道を走っていても、車によって運転の印象はずいぶん変わる。

言葉が、ここでいう車であるならば。
問題は道ではなくて、車のスペックであるとしたならば。




なんでいつも俺にばっかり雨が降るの?という曲。
でもこれを文章にすると、その意味よりもずっとややこしい。

"Why does it always rains on me?”
肯定文に戻す。
"It always rains on me."
文法がからっきしの僕は、"does"がなくなってようやく気がつく。
あ、"rain"は動詞じゃん、と。

以下、"rain"もしくは、"It"の話。