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2026年1月17日土曜日

檻で泣く、奇妙な怪物 - "Even In Arcadia" / Sleep Token

皿洗いのときは、だいたい音楽をかけている。
だらだらしている7歳がこんなことをいう。
- おとうちゃんはこのごろ、この人の歌ばっかりきいてるね。 好きなの?
- うーん。たぶん。そうなのかも。

後ろでは4歳が
- ぼく、音楽きくと、おどりたくなっちゃうんだよねっ

といって、くねくねしている。
君については、おかあちゃんに歯を磨いてもらって早く寝なさい。

2025年12月30日火曜日

いま・ここでLostprophetsを聴く意味

年末なのに年末にならない。重い宿題残しちゃった気分だ。

イアン・ワトキンスが死去したニュースを聞いて、胸がチクリと痛んだ。

2025年9月16日火曜日

Happy Imaedaさんがなかなか好い

なんかちょっと秋っぽくなってきたような。気のせいかもしれないけど。

極小のドラム・セット。恐ろしくタイトで、繊細なプレイ。スネアの締まった音。シンバルの震え。ハイハットの余韻。ひとつひとつが耳を澄ませる価値がある。

2025年8月10日日曜日

巨大な生前葬

英国に飛んだ勢でも課金勢でもなかった。

オジーは僕には合わない。あの声とかダメだ。のっぺりとしていて何がいいのって感じ。ブラック・サバスにしてもロニー期が一番好きだ。トニーだって悪くない。

LAを車で走らせたとき、3日で2回、ラジオで"Crazy Train"がかかった。アメリカ人ってオジー好きなんだな、と不思議な気持ちになった。なんでみんなオジー好きなの?どこがいいの?

未だに理解できないものに対峙したようなもやもやとした気持ちを抱えている。

2025年5月17日土曜日

ハイファイ/ローファイ:"My Way" Marc Martel



Apple Musicに出ていた。どうも旧作らしいのだけども、今年から取り扱いを開始したみたいだ。

映画「ボヘミアンラプソディ」での鮮烈デビューから「史上最もフレディ・マーキュリー」なこの方。ああ、クイーン以外の曲も歌うんだねと思って追加した。

2024年12月1日日曜日

歌い手が変わること

エミリー・アームストロングさん。全然知らないけれど、ごっついスクリームですね。

PVのフッテージも転がっていて、楽しそうなのがいいと思いました。


2024年4月27日土曜日

予感としての前向きさ



好きなんですよね。「アメリカン・アイドル」の彼女はもう10年選手。なんでなのかわからないけど、ずっとフォローしている。今作も全体的にいいレコードだったし、いくつも好きな曲はあったんだけど、はっとしたこの曲。


英語よくわかんないから歌詞が不穏じゃないかって。だって「あなたが(他の街から来た(新しい))銃弾に倒れた」ってあんまりハッピーじゃなささそうでしょう。なにこれシリアスな悲しい歌なのかしら、と思うじゃないですか。

でも良かった。どうも誰も撃たれていないみたいだ。現実的な意味で。

Meaning of ​​​​​​young gun by Tori Kelly (Ft. Jon Bellion)


現代アメリカ人R&Bシンガーよろしく、ソウルフルに歌いきっちゃうのが通常運転の彼女が、この曲では声の表情を掻き消し、マシナリーな歌唱に徹しているのがまず面白い。

そしてデュエット相手のジョン・ベリオンも素晴らしかった。トリーと同じく機械に徹していて、オクターブ下でユニゾンで窺い、2コーラス目でファルセットでトリーと同じキーに立つ。そのとき、二人の声よりもずいぶん高いところで倍音が聞こえて、それも非現実的な浮遊感を演出する。

最後のコーラスで、2人はようやく機械であることをやめ、その身体を浮かび上がらせる。そんな構成。

声は対置され、溶け合い、呼び合う。もちろんヴォコーダーだとか機械も使っているんでしょうけど、完全にアイディア勝ちの運び。

変な色気を見せて引き伸ばしたりせず、3分くらいで半ば唐突に終わるのも好い。僕は置いてけぼりになってしまってはじめて、なるほど、今度は僕が考える番なのか、と思う。

元彼(女)は銃弾に倒れる。もちろん象徴的な意味で。しかし後に残る余韻は不思議とポジティブだ。そうか、じゃあ私は「これから」どうしようか。


彼女の声はどことなくナタリー・インブルーリアを思い出させる。トリーのほうがずっと上手いと思うけれど。

"tone"は好きだった。97年。18歳の頃だ。少しハスキーな声で歌われる、手つかずの新しい朝、みずみずしい世界。そんなイメージ。ヒットしたと思う。たしか、飲み物のCMでも使われていたはずだ。

97年はあんまり希望ある年ではなかった。ふわふわ・どよよーんとしていたし、翌年は浪人生として1年を過ごすことになるのだ。わたくしごとではありましたが。それでもこの曲を聴くと頬に新しい風を感じるような、そんな気持ちになった。


当時二十歳そこそこだったナタリーは今や48歳なのだそう。タボっとしたパンツをはいた、どこか気だるい、当時としては実に現代的だった雰囲気の彼女しか知らない当時10代の44歳は、そのことに少し衝撃を受ける。でも曲がりなりにも彼女も僕も今も生きている。

あなたが誰であっていくつであろうと、新しい朝はいつもあなた待っている。「これから」をよすがに、僕らは「ずっと」生きていけるのではないか。もちろん象徴的な意味で。



2023年7月2日日曜日

これで、お別れなのかしら:KingsX"The Three Side of One"

歌えるに決まっている。ポール・マッカートニーをみてみろ、80オーバーだぞ。


2021年4月16日金曜日

雰囲気勝負

というと、なんだかあんまりよくない感じがする。だからって「真実は細部に宿る」かといえばそうでもないでしょ。

細部にこだわった、クソみたいなモノ。たくさんあるわ。

この雰囲気にピンときた。ということで。

2020年11月2日月曜日

ほんもののにせもの

三度Apple Musicの世界に足を踏み入れてしまったわたくし。ずっぽりです。 
一枚一枚に金を払うわけではないから、もうやりたい放題。
エアチェックみたいな感じでぽんぽん聴いちゃう。

便利な反面、よくないなとは思うんですよね。
音楽を聴くのには、それなりの心構えがあったのではないか。以前は。
気のせいかもしれないけれども。

サブスクじゃなかったら聴かなかったと思う。
あ、こんなの出てるんだ、なんて。
なんて気軽。


ロックに目覚めた時、既にフレディはこの世を去っていた。
タイミングよく「メイド・イン・ヘブン」がリリースされた。
Burrn!で91点だった。ろくでもないことはよく覚えている。
ろくでもないことにメモリを消費すると浪人するよ、と中3の僕に教えてあげたい。
僕の印象の中では91点どころではない。
世界はこのラストアルバムで、フレディの余韻に浸っていた。

アダム・ランバートについて、今さら付け加えるべきことなんかない。
伸びやかな高音や、くるくるとトーンを操るテクニックはライブレコーディングであることを忘れてしまいそうだ。いくつかの部分でフレディを超えているかもしれない。
そんなアダムの能力を確認する意味で、面白いレコードだった。
同じ意味で、ポール・ロジャースと組んだレコードも面白かった。ざらついていてパワフルなポールの声質はいかにもロックンローラー然としていて、クイーンのロック的な側面が露わになる。

こうしたクイーン+アダムもしくはクイーン+ポールのプロジェクトは、クイーンの(つまりはフレディの)一面を強調する再解釈/実験のように思える。
齢70のポールはもう大御所の伝統芸能みたいなもので、貫禄とノリでなんとかなっちゃう一方で、30代のアダムはバンドやファンに配慮しつつ果敢に曲を攻め、自分の色を出そうと懸命だ。そのアダムの健気さは買うし、実際彼の声は素晴らしい。

この種のプロジェクトのキモは、フレディから離れつつ、どこかでフレディに接続することだと思う。なんて離れ業。
フレディ的なシンガーを迎えたらフレディとの比較がついてまわるし。全然違う味のシンガーを入れたらファンに石を投げられる。どんなシンガーでも嫌だろう。

多くの人が思っていると思うんだけれども。
ジョージ・マイケル好きとしては、彼がクイーンだったらと思わざるを得ない。
ワム!の後はいくつかの佳作を送り出したが、リリース機会にも楽曲にもそれほど恵まれなかった。もっとできただろう、と思う。
ジョージ的なもう少しマイルドなクイーンも聴きたかった。


ところで映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、フレディの高性能クローンが爆誕したことも記憶に新しい。マイク・マーテル。彼がフレディの「声」を担った。



この人は本当の意味で変態だ。


フレディの後にマイクが入れば、確かに違和感はなかったかもしれない。
なんてったってクローンだから。
そうなんだけれども、そういうことじゃないんだ。うまく説明できないけれども。

クイーンの歴代シンガーは、現在でもフレディただ一人だ。
他の誰かなんていらなくて、フレディだけでよかった。

それはクイーンが「今を生きるバンドではない」ことを意味している。
フレディの死とともにクイーンも死んだ。みんなもちろん知ってる。
ところで、フレディの死後も残響は響き渡り続け、たぶん地球を何千周もしている。もっとかもしれない。今や残響は、振幅を繰り返し複雑な形を成している。

その時間はどういう時間なのか。
もう死んじゃってるからさ。抜き差しならない大切さなんてないでしょ。
けれども、暇つぶしどころではない。商業ベースでレコードをリリースしてライブもやる。
生前からのファンも含めた多くの人が詰めかける。ゾンビを見に、ね。
卒業式の後の打ち上げをずーっと続けているようにも思えるし、もっと深いなにかがあるのかもしれない。意味性はよくわかんない。

主客は30年も前に去ってなお、余韻は今も響いている。
これはさ、なんて偉大なことだろうかね。

やっぱりレコードから離れちゃうんだけどさ、そんなことを思いましたよ。




2020年8月14日金曜日

2020年4月12日日曜日

2019年はこんな音楽を聴いていたよ

なんだか新年度を越えてしまっているのであった。
とはいうものの、昨年はあんまり音楽を聴かなかった。

とはいえ、やはりいくらかは聴いている。

2019年11月19日火曜日

再生回数には意味はない。

ただし、個人的な意味はある。
しかしこの話は何回目だろう。


2019年9月23日月曜日

興行とインフレーション:フジロックから見る風景

アンコールでの話。そしておそらくは、アルコールの話でもあるはずだ。

トムはこういった音楽が好きであるらしい、未だに。
正確にいえば、好きであるかどうかはよくわかんないけども、なお価値あるものであるらしい。

新譜でも、奇跡的に封入された1曲といってよいだろう。

僕はステージを背に歩く。
後ろからメロディが追いかけてきて、胸元にふわりと忍び込む。
歩きながら、僕の口角は2ミリくらい上がる。

2019年1月22日火曜日

2018年はこんなのを聴いていたよ

『おおかみこどもの雨と雪』で、親近感をおぼえるのは「おかあさん」であった。
「おかあさん的心性」を備える中年紳士でありたい。
変化に耐えられるか。
それが問われるのは、変化する側ではなく変化される側だ。
なんの話だっけ。そうだよ。音楽の話だよ。

17年はこんな音楽を聴いていたよ
16年はこんな音楽を聴いていたよ
15年はこんな音楽を聴いていたよ
12年はこんな音楽を聴いていたよ
11年はこんな音楽をきいていたよ

どんな事柄でも、積み上げていくとなにごとかをやったような気になる。不思議だ。
2年後に10年前のエントリーをクソミソに叩くエントリーを書きたい。

さて。今年も飽きもせずに積み上げていきたい。

2019年1月14日月曜日

2018年はこんな音楽を聴いていたよ、の前に

あけまして。ことよろ。
例によって聴いたレコードをひっくり返そうかと思ったんだけども。
その前に。

2018年6月18日月曜日

『脳はいかに治癒をもたらすか』を読んで、パットさんに思いを馳せる

親しらずを抜いたら腫れが引かなくて、ひどい一週間をすごしている。
歯は、大事ですぞ。健康、大事ですぞ。
みなさまもお気をつけて。

METALLION(メタリオン) vol.63
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シンコーミュージック
メタリオンはパット・トーピー特集。

パーキンソン病の合併症であった、とのこと。これ以上の情報はない。
難病ではある。しかし、死ぬ病気ではないと思っていたものだから、呆気にとられた。
彼は昨年来日し、コンサートに出演しているのだ。
あまりの落差に、釈然としない気持ちになる。

過日、Judas Priestのグレン・ティプトンも自身のパーキンソン病とツアーからの引退を表明した。最近どうも、こんな話題が多い。

2018年5月20日日曜日

APCの新譜を聴いて、前作すごかったー、と思う

14年ぶりなんだってさ。

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ToolやPusciferでリリースはあれど、久しぶりのAPC名義でのリリース。

前作のときはブッシュが戦争を始めてみたり、アンチ・グローバリゼーション運動が起こってた。知っている。僕が学生の頃だ。社会的不正義のタネはいくらでも転がっていて、怒る対象には事欠かなかった印象がある。

そういえば今作も共和党政権下でのリリースになりましたね。

 

「長調を短調に変える」抗議って、方法論として割と斬新だったのだと思う。
戦争反対や平和の歌はいくらでもある。ましてや「イマジン」だ。

リスナーは、毎度おなじみの枕歌を踏むつもりで、なにげなく再生ボタンを押すのだろう。そして裏切られるのだ。
ピアノの不穏なメロディに載る、メイナードの端正なヴォーカル。
あのピースフルな「イマジン」が、知らないうちに禍々しい姿に変えていることを知る。

一見、安定しているこの世界は、ちょっとしたことで、がらりとその姿を変えてしまうかもしれない。パラレルワールドとしてのディストピアはすぐそばにあるのではないか。
ぼんやりとした不安を掻き立てられる。

「みんなが平和に暮らすのを想像してみて」。
暗いメロディでそんな風に歌われると、歌詞は屈折する。
まるで悪い冗談みたいに、聞こえてしまうのだ。

単純に、歌詞に意味を乗せるのとはまた違った(そもそもカバーは歌詞は規定されているから)効果を持っていた。


そんな前作。今作は前作と比較すれば、違うな、と思うことは多い。

でも14年も経ってしまえば、たいていのことは変わる。それを指摘しても仕方がない。
旧作がディストーションの効いたギターが目立っていたのも、今作が妙に機械っぽい音で音像が汚されているのも全部、時代のせい。

時代と言えば、メイナードの歌唱にもいささか変化があった。
メイナードのクリーンな歌唱こそ、APCの大きな魅力だった。
芯がしっかりしていて美しく響く。音叉みたいにきれいな倍音。

 

大好きだから、何十回でも貼る。
スクリームに頼らず、高いキーまで押し切るスタイルが示すのは、メイナードの力量以上に「Toolとの差分」でもあるだろう。

一方、今作のメイナードは、声を少しざらつかせいるように感じられる場面がある。単に、加齢によるものかもしれない。30代半ばの時と、50手前の時の声が違うと云っているだけだ。
ただ、Pusciferの活動で「がなり散らす以外の歌い方を学んだ」とのことで、意図した歌い方なのかもしれない。実際、ちょっと変わった歌い方をしている。
14年間沈黙していた、ア・パーフェクト・サークルのメイナードが胸中を激白
14.2.2018 RollingStone

声を喉の奥でつぶし、残響として身体から漏れ出た音というか。
やさしく歌われるのだけれど、芯や輪郭、指向性がぼやかされて、どこか虚ろに響く。
クリーンに歌う場合と比べてしまうと、せっかくの美声をベールに覆ってしまうかのようなもったいなさがある。わざとやっているのであれば、だけれども。

一方で、この不定形な声は、声を重ねるコーラスパートでは不思議な効果がある。立体感のある奇妙なコラージュが浮かび上がるようだ。


相変わらず良い声です。
そして風刺の効いた動画です。

一方、呆れるほどにメランコリックなのが、本作の特徴だろう。ねっとり絡みつくような、憂愁を湛えたメロディ。コンポーザーのビリー・ハワーデルの貢献を感じる。この人の紡ぐスケールの大きなメロディこそ、最も過去の作品と今作の連続性が感じられる場面ではないか。

楽曲は前作と比較して、バラエティに富んでいるとも散漫であるとも言える。反戦のワンテーマに絞って作られていた前作が集束されすぎていたというのもあるだろう。
わざとらしいほどポップな"So Long, And Thanks for All the Fish"とか、どうかと思ったけれども。

”Doomed"から"TalkTalk"までの流れは本作のハイライト。
楽曲のキャッチーさは旧作に譲る。でも楽曲の構成・展開とメイナードの歌唱で「聴かせられてしまう」。釈然としないけれど、そうなんだもん。



神のように話せ 神のように歩け。
そのように歌われる。それはアドバイスやエールではないだろう。あなたは、そのような存在から最も遠い存在だ。だから好きなだけうぬぼれていればよい。
今作はなんだか警句みたいだ。彼らにはまだ怒る対象がある。それは良いことだし、まっとうだ。
では、その批判は、「イマジン」での転調くらいには、おしゃれか?
問題はたぶん、そこにしかない。
そして、あんまりおしゃれではないのだ。

真摯に誠実に作られたものであっても、それが人の耳目を集めるとは限らない。
前作ほどのインパクトはないという言い方よりも、前作がすごい作品だったという言い方のほうが正しい。
のっけのイマジン。最後を飾るジョニ・ミッチェルの"Fiddle and the Drum"の静謐な美しさ。やっぱり強力な一枚だった。

Emotive [Explicit]
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人の手垢にまみれ、まっ黒になったイマジンを、彼らは「再発明」した。
再発明されると、原型を留めないケースもある。そうしたときになお残るのは、言葉なのかもしれない。
「イマジン」は世に出た半世紀前も、14年前も、今もまた興味深い「未完のプロジェクト」だ。楽曲にしても、歌詞にしても。
たとえば数百年後、節もメロディも失われ、「イマジン」の歌詞だけが残る世界を想像する。相変わらずこの曲は、「未完のプロジェクト」のままなのだと思うのだけれど。

言葉とメロディ。
2つの異なるソースを重ね併せ出来上がるっていうのが、歌の面白さなのだなぁと。

なんだか話が明後日の方向にいって、終わってしまうのだろうけれども。




2018年2月18日日曜日

2017-18冬的音拾遺集

なんだか忙しくて若干ウツです。
タバコは無事止められて、チャンピックスも卒業した。ほんとに忙しくて死んでる人よりも全然働いてないですけども、仕事は嫌いです。
雪も多くて走れないし、ストレスがたまる。
ということで、ヘッドフォンが手放せません。


個人的なルールとして、記憶媒体に収録されたものを「レコード」と呼ぶ。CDだろうが、MP3だろうがレコードはレコード。「シングル」「アルバム」の別は従前どおり。
媒体は変われどレコードは昔から聴いている。
アルバム単位で聴く機会は減った。気に入ったものを繰り返し聴く。それはそれで時間がないから、仕方がない。
レーティングをつけるのは昔にはなかった習慣だ。気に入ったものに目印をつける。

次にこの曲を聴く機会は、もうないのかもしれない。最近、本当にそう思うようになった。

いい曲はあれど、通して聴くとダレる。そういうアルバムは昔からあった。
でもだいたいが、アルバム通しの良し悪しで印象は決まってしまい、もう一度聴くか聴かないかも決まってしまう。だから、「輝ける曲」はしばしば埋もれる。
2017年はこんな音楽を聴いていたよ
こんなことは昔はあり得なかった。
すべてのレコードに金を払っていたから。無理やりでも聴き込み、いい曲を探した。でも、今やSpotifyユーザーとして、いっぱしのストリーミング学派を気取る私は、もはや、かつての私ではないといってよい。

そんなことで。備忘録的追加的最近聴いている曲、セレクション。
ちょっと前のものも含まれているけれどもご勘弁なすって。

2018年2月11日日曜日

Apple Musicを再開して一週間で退会して、Spotifyの門を叩く

音楽雑誌を買わなくなったし、レコードショップに足を運ぶ機会も減った。
音楽関係の情報はネット・ニュースサイトを眺めている。

パフォーマンスの記録と外部への発信は一昔前とは比べ物にならないくらい、高品質かつ容易になっている。だから、表現者としては増えている。
情報の海は以前よりも広く、深くなった。
そんな状況があるはずなのだ。

Battle of the Streaming Services: Apple Music vs. Tidal vs. Spotify

日本であればtidalの代わりにGoogle play musicが入る。
ストリーミングサービスも本格化してきて、よく話題になっていますね。


Apple musicをつかってみて、考え込む
このエントリーは2年ぶりに舞い戻ってみて1週間。再びサヨナラした話です。
どうもまだ、君を使いこなせる器ではないようだ。