2011年7月31日日曜日

Phân viện khoa học lâm nghiệp nam bộ


Một tuần trước, tôi đá đi Phân viện khoa học lâm nghiệp nam bộ.
日本語でいうなら、さしずめ、
林業研究院 南部支所といったところ。
相変わらず、言っていることがよくわからない。
語学の課外授業という位置づけで、
うっかり英語を使ってしまい、
同行している Thầy Thuyếtに怒られる。
それくらいいいじゃん。






これから扱うことになるcây tràmをみることができたのが収穫。たっかーい。ほっそーい。が、第一印象。
樹皮が剥けている。シラカンバ、ダケカンバに似ている。樹種そのものは全く別。ダケカンバは日本でも標高1400m以上の高地にしかない。
まるで水の中に浮島があって、木が乗っかっているような。不思議な風景だ。
ほんとに、あれ、っと思うくらい細い。


 cây thàmはもともとベトナムに自生している樹種。メラルーカの一種。薪 、家の基礎材、木炭、木材に使用されている。また、油分が豊富な一部の樹種ではエッセンシャル・オイルに加工される。
 Sau khi chế biến cây tràm, sẽ có nhiêu loại sảm phẩm. Tư cây tràm nhủ : củi , cừ, gỗ làm nhà, tinh dầu, viện năng lương, than giấi.

しかし、ベトナム産の Cây thàmは成長が遅いので、近年ではオーストラリア産のものが植栽されているそうだ。


さすがにここは熱帯。日本では40年かかる伐期がここでは最短6年で収穫してしまう。早成樹は卒論でも扱ったんだけど、実際にしげしげと見るのは初めて。


驚いたのは植栽本数。 ha当たり10,000~20,000本植栽。日本は2,500~3,000、吉野杉で4,000本/haであることを考えれば、その多さは際立っている。ただし、20,000本/haといっても lípがあるために林床は暗くない。日本で本当に密植してしまうと完全に真っ暗になるところだけど。印象としては広葉樹の2次林の中にいるような、そんな感じ。



メコンデルタは雨期に入るとしばしば冠水する。cây tràmに冠水耐性が備わっていることに加えて、強酸性土壌にも耐える。メコンデルタは亜硫酸塩土壌。湛水すると pHが低下するやっかいな土壌だ。 pHで3~4程度まで落ちてしまうとのこと。Tシャツ漬けとけば漂白できるんじゃないか。排水された水は、妙に黒みがかっている。

メコンデルタが有数の稲作地帯である理由は、水田システムが水をフローさせるものだからだ。逆に云えば水をフローさせないシステムで、農業をするのは難しい。
酸性土壌で植栽するため、この土地ではlípと呼ばれる盛土が行われている。簡単に言えば畝。盛土によって植栽地周辺を強制排水してしまう。あとで気がついたけど、畑でも果樹園でもlípを作っている。そういうことをしないとうまく育たないんだろう。


短期間で収穫してしまうこと、植栽本数がすごく多いことから、収穫する木材は直径15㎝程度と細い。
15cmは薪炭利用するにはたしかに手頃な太さだ。でも薪は安い。

植栽本数と材の利用方法。とりあえず、ここらへんから考えてみることにしようか、などとぼんやり思った。あと、できれば幹材積表を作ってあげられれば便利だろうなぁ。など。



Anh Dất, thầy Thuyết, em Hiênと。
Anh Dấtに cây thàmのテキストを買いたいんですが、
とお願いすると、Không, sách này không bán.
との答え。
でも、フミにあげるテキストならある、とニヤリ。
兄さんありがとう。

Em Hiênはベトナム人女性についてどう思うか聞く。
僕は rất dẹp, と答えるが、彼女は不満そう。
すまん、まだ使える形容詞の数が少ないんだ。。

2011年7月26日火曜日

プラスチック・ソウル


デビット・ボウイのやるソウルは、かつてそんな風に呼ばれていた。「火星人」の頃のボウイが好きな僕は、その後のディビットがピンとこない。 "Let's Dance"とか全然キライ。
 僕より少し前の世代の人が想像するプラスチックって、半永久的に、色鮮やかで、しなやかで強い素材というイメージだったのだろうか。"プラスチック・ソウル"という言葉は、「白人のやるニセモノソウル」の謂だった。そう聞く。

キャッチーでポップ、つるりとした質感を。しかしそれは、まがい物でしかないことを。
「プラスチック」という言葉は載せていた。ボウイはずいぶん頭のいい人だ。




ここの道端には、プラスチックでできたテーブルやイスがそこらじゅうに置いてある。あるイスはカフェのイスであり、またあるテーブルは屋台で買ったものが食べられるように。あるいはただ単に、住人が往来を眺めるために。沿道にイスは置かれている。


新しい物もあれば、古いものもあって、その数の多さに思わず目がいく。


僕だってプラスチックにはずいぶんお世話になった。なんであんなに作ったのかわからない大量のプラモデル。型から切り取って、ひとつの形ができあがる。色とりどり、つるりとした、たくさんの部品。ニッパーで切り取って、嵌め合わせる。
たしかにそこには、何がしかの夢のかけらがあった。そんな気がする。

もう一つのプラスチックのイメージ。人のいなくなった砂場に忘れられた、子ども用のプラスチックの小さなシャベルだ。砂にまみれて落ちている。表面はがさがさとして、白っぽく退色している。
このシャベルはかつて、鮮やかな色と光沢、つるりとした質感をもっていたはずだ。砂浜を歩いて、打ち捨てられたシャベルを拾い上げては、そんなことを考える。


日本海の浜辺を歩く。実にいろいろなプラスチックに出会った。
たとえば秋の一日。楽しい海水浴の残骸。
あるいは早春の海岸。ハングル文字のボトル。日本海の冬を乗り切って、疲れきったプラスチックの残骸たち。揉みつくされ、洗いつくされ、打ち上げられ、くたくたになったそのカケラたちは、なにかの秘蹟のように、静かに横たわる。

プラスチックの話だ。

太陽が、紫外線が、プラスチックを劣化させる。
ボウイはもしかしたら永久に持続する物質として、プラスチックを夢見たのかもしれない。でもそんなことはない。人と同じように、物質だって歳をとる。



ベトナムにはプラスチックの製品が多い。イス、つくえ、コップ、はし。あらゆる物がこの場所ではプラスチックによって作られている。

僕はここで、プラスチックという素材について思いを巡らせる。
夢のような鮮やかな、でもどこかしら毒々しいその光沢について考える。その鮮やかさ、しなやかさはほんとうは限定的だ。「プラスチックの栄光と衰退」はどこか、スターの凋落を思わせる。栄光と、退廃。

劣化し、鮮やかさ・しなやかさを失ったプラスチックだって、もちろん機能はある。白っちゃけようが、がさがさになろうが、イスはイスだ。壊れるまで、もちろん使える。


でも不思議なことに劣化したプラスチックには道具としての魅力を失う。なんでだろう。色合いを失ったプラスチックは、なぜか新しいものと取り替えたくなる。
きっとプラスチックは出来上がったときがポテンシャルの最高潮なのだ。エントロピーに従い、そのポテンシャルは失われる。徐々に魂が抜け出てしまう。
白っぽく劣化した、プラスチック製品はどことなしに白骨を想像させる。

プラスチックは「間に合わせの品」、「交換可能な品」を表象し、機能している。色褪せ、しなやかさがなくなり、いずれ棄てられるを誰もが知っていながら使われる。かわいそうなことだと、僕はちょっと同情している。
最近よく使われる生分解性プラスチックなんてさ。いずれ消えてしまうことに価値が見出されるんだぜ。かわいそうじゃないか。


変わりつつある国。変わりつつあるからこそプラスチックを使う。アジアにプラスチックはよく似合う。どんどんと取り替えていくことによって、極彩色の夢を持続させているかのようだ。


この場所は何かをストックする場所ではない。作って、間を置かずに消費する。富も、食べ物も、自然も。そうしないと劣化してしまう。この場所はストックする意味はあんまりない。生まれてから最も「フローな世界」に、僕はいるのではないか。

そんなことを考えていると、プラスチックという素材と、はどことなく親和性があるように思える。いろいろなものが、この国では仮縫いなのだ。ほどけたら、また仮縫いする。そう、手近なプラスチックとかをつかって。
本縫いする時間も余裕も、持ち合わせてはいないかのように、人もモノも、めまぐるしく動きまわる。


2011年7月24日日曜日

がー。

























カバは虫歯とかになるんだろうか。
サイゴン動物園。動物園なんて 20年ぶりくらいにいったわ。
きっと最後にいったのは上野だな。小学生だったな。

個人的には素知らぬ顔の向こう側のあいつがなかなか好きです。
たぶん、すごく大人なんだと思います。


1864年にできた動物園だけあって。十分古びている。


 中には植物園と名乗る建物も併設して
おり、熱帯的な植物が展示されている。
見たこと無いな、とか、こいつがウワサの
食虫植物かっとか、人気の無い建物で
勝手に面白がることが出来るのも、
農学部卒だからかもしれない。

建物がいい感じで古びていて。

冷房室にいるホワイト・タイガーを
みるよりも。
そういえば、OSにライオンが出たな。
ユキヒョウ君から変えたほうが
いいんだろうか。やっぱり。

建物は順調に古びているのに、
植物だけはいつも新しい。


朽ちていく建物と反比例するような、植物たちの色あいがちょっと素敵だ。







なによりいいのが、園内に巨木がたくさんあること。
知らない木がたくさんある。


学名が khaya senegalenesisとあるから
きっとセネガルの木なのね、ということしか
わからない。

とにかくでっかい。

2011年7月18日月曜日

海外で迎える誕生日

少し、熱があるのかな。
起きたときに、とても気だるくて、どこにも行く気がしない。

む。宿題せねば、とパソコンを開くと
父からのメッセージ。

僕と父は最近、メールで近況をやりとりしている。
32年間、僕と父は、僕と父の関係を続けているわけだが、
こんな風にやりとりするのははじめて。

”私たちは東京であなたのお祝いをします”
僕がいまここにあることを、喜んでくれる人がいるのは
なんてうれしいんだろう。

友達や先生からたくさんメッセージももらって。

なんだか少し、元気になってきた。

32歳も頑張ります。
でも今日はもう寝ます。おやすみなさい。

2011年7月16日土曜日

ベトナム語を学ぶこと

「フミはシンプルセンテンスをもっと使いなさい。
書き言葉と話し言葉は違うのだから」

僕の名前は「フミ」となった。
ひとつの言葉で4母音あると発音が難しいとのこと。

プレゼン後、発音の誤りをたくさん指摘して頂いた後、
thầy Thuyếtはそうおっしゃる。英語とベトナム語で。
言外に長文を作る能力ないだろ、オマエ、
というニュアンスが込められている。
そのとおり。まったく優しく、スパルタ教育して頂いている。
そう、僕はまだシンプルセンテンスをすらすらと話すことすら困難だ。
 Đa. と答えるのみ。
頭の中に大量の日本語文の言いたいことがあって、
それを変換しようとして、クラッシュする。の繰り返しをしている。
思ったよりも、複雑な思考をしているのかもしれない。

そしてなにより発音が非常にやっかいだ。
母音の数が違うことと、声調によって意味が異なることで
スペルは合っていてもまったく伝わらない。ほんとーに伝わらない。
ベトナム語について「まるで歌のよう」とものの本に書いてあったが、
たしかに自分が音痴になった気分だ。本当に音痴だけど。
間違ったキーで歌っている。そんな感じが確かにする。
いかに日本語(と英語)は声調に関して無頓着であるか。
そんなことをうつうつと考えている。


つらつら日本語で考えてみる。ああ、楽。
文字にほとんどの情報が入っているのが日本語で、
発音にも情報が含まれるのがベトナム語、ということになるのか。
もちろん、ベトナム語の文字にすべての発声情報は
含まれているから、読めばわかる。同じか。
でも日本語には発声情報は含まれていないな。

ベトナム語は使われる文字数が少ないが、含まれる情報量は多い。
文字記号と発音記号と声調記号。
さしずめ共同溝のように、複数形式のデータがビルトインされている。
日本語は単一形式データだが、使われる文字数が多様だ。
 thầy Chánhは日本語には漢字があるから覚えるのが大変で、
それに比べればベトナム語なんて、という。
それはそうだけど、 thayとthâyと thấyとthầyとthảyで
意味が全く違うこちらの身にもなってくださいよ、と言いたくなった。
漢字とひらがなは表意文字と表音文字でたしかに異なる表示形式。
しかし、意味内容を表すという意味では同じ種類のデータに数えていい。

日常生活においては、例えばこういう文章において、
漢字は意味内容を明確化するために使われる。
かんじはいみないようをめいかくかするためにつかわれる。
ほら、読みやすい。スペースを入れなくても読める。

漢字を廃してしまったハングルでも新聞を読めば括弧書きで
漢字が書いてあることがある。結局漢字って便利なんだと思う。
ああ、話が逸れている。
つまり、ベトナム語が三階建ての言語であるならば、
日本語って1.5回建てくらいじゃないの、ってこと。

確かに漢字は難しい。
禅とか幽玄とかが好きな外人にオマエほんとにわかっとんのか、と
つっこみたい瞬間はあるけれど、僕に分かっているかどうかもわからない。
僕は日本人だから分かって、彼らは日本人ではないから分からない
というのは非対称な考え方だと思うけれど、そういう部分はある。
それはベトナム人が生得的に12個の母音を使っているようなもので、
6個の母音で31年間やってきた僕が2年住んだからといって、
それは結局理解できないんだ(と思う)。


個人的に、ひらがなにこそ豊穣な世界が含まれている、と思う。
ベトナム語の音声情報が多様なのとなんだか似ている。

漢字には音読みと訓読みという二つの言い方があって…
と、ベトナム語で説明するのは語彙が少なすぎて今の僕には不可能だ。
もちろん英語だって不可能だ。

でも、音声の響きに独特の美しさ、日本らしさがあるのは
ひらがなに負うところが大きい、と思う。
なんだか国学者のよう。

たおやめぶりとか、ますらおぶりとか、そんな言葉もあった。
それは女らしい様とか、男らしい様、という言語内容以上のデータが
含まれている、と僕なら思う。僕だけかもしれない。

いとおかし、とか、ろうたげなり、っていう言葉は
他言語に変換する以上の情景が、見える気がする。
古語辞典を翻訳すればいいのかもしれないけれど。けれど。
該当する漢字があるのに、ひらがなを使いたいときはある。
それはひらがなの方が適当だと判断していて、かつ、
そのことばの世界を僕が想起しているから、にほかならない。

そのニュアンスを日本人以外の人に伝えられるか、
そもそも、他人に伝えることなんてできるのか。
言葉って難しいね。
さしあたり、
音読みは日本語の世界の半分だけなんだよ、とは言いたい。

しかし、それがどのタイミングで、誰にいうべきなのか見当もつかない。
…だから?と言われそう。
結局言語って知りたいと思う人しか興味はないし、
知りたいと思う人しか知りえないものなんだろうな
という雑な結論に到達してしまう。

2011年7月9日土曜日

雨が降りそうだけど

オープンカフェ。降るかな、降るかな。


今週、まちなかでKansasの"Dust in the wind"を3回も耳にした。
[Point of know return]は1977年のレコード。ヒット曲だけれど。
ベトナム人をDust in the windを、オリジナルよりも情感たっぷりに編曲する。
もともとしっとりした曲だから、もはや演歌の領域。
いい曲だと思うけれどね。
ちょっとね。不思議な感じがするね。


ここ数週間、耳の不調もあり、ほとんど音楽を聴いなかった。
ライブラリをかき回していて、なかなかぴんとくるものはない。
ロックを聴いてもね、とか、ジャズを聴いてもね、とか。
たぶん日中耳にする音の量が多いんじゃないか。うるさいんだ、ここは。

なにか、流しながら、考えごとをするのに都合のいいものを。
ふと、Steve vaiの[7th songs]を見つける。
鬼才、というか自らを「エイリアン」と称する彼は
レコードの7曲目をインスト・バラードの指定席にしている。

このレコードはその「7曲目集」。
この国ではyoutubeも満足に閲覧することができない。
そんな時だけ社会主義なので、まったく困ってしまう。

"Boston rain melody"



雨は、きっと、通奏低音のようなものなんだろう。ホワイトノイズ。
サイゴンの雨はうるさくて、もしかしたら、主旋律をかき消してしまうかもしれない。

ギターはなんだかテルミンのよう。冒頭のハーモニクスの使い方がなんとも。
ま、変拍子はいいとして、ザッパ門下生に恥じない変態っぷりなのに
スタンダードに聴こえてしまうところが彼の知性なのかも。

たぶん、甘くなりすぎないことを意図している。
ギターをあんまり泣かせない。
ほんとうは泣かせることは嫌いじゃないんだけど、
ただ泣かすのもね、という風。実に抑制が効いた演奏。

職人肌なせいか、クリーントーンを臆面も無く使い続けられたことが
それが当たり前のことであるのにもかかわらず、
なんだか彼を稀少種じみた生きものにしてしまったんじゃないか。
流行り廃りとは無縁で、古びない理由であるように。
アーティスティックというか、冷静なんだろうな。
アメリカ人は本当はクリーントーンが大好きなんだと思う。
だってなんだか、トップガンみたいじゃない。アメリカの夢だ。

レコードでも運指が雑なインギー先輩と違って、彼はすごく丁寧。
テーマからブリッジに流れる展開が秀逸。というか好き。
俯きがちにソロに入って、ギターに走らせ、歌わせる展開も好き。
コントロールしているのに、時に自由過ぎて、小節の数かぞえてるのかな、
とも思うんだけれど、もちろん破綻なんてあるわけがない。

バラードだからか、曲にスペースがあるせいか、
ひとつひとつの音に訊きながら、考えながら、また次の音をだしてみる、
という風に聞こえる。

とても静かなレコード。といってもパッションに欠けるわけではなくて。
それは、モダンジャズのクールさに通じるような気がするし、
レコード一枚分の、彼自身の省察を聞いているような気分。
考えごとの時間だ。


ベタベタするのは好きじゃない。
自然に、寄り添うように音がある、っていうのが好い。
常時汗ばむベトナムの空気によく合うのかもしれない。
静かに、淡々と。ずっと続くような雰囲気が、今の気分に合っている。


ついでに。




"Touching tongues"とはまたエロい。
オリジナルでは若き日のディヴィン・タウンセンドの咆哮が聴こえる。
たしか、このとき19歳とか、それくらいだったはず。
Vai名義でリリースされたSex & religion。
ピアノでの演奏はメロディが際立つ。
でも、変なことをしているのはがあまりよくわからない。残念だ。
オリジナルの音源がベトナムでは利用できないのです。

やっぱりオリジナルの方が好い。
テリー・ボジオ、TMスティーブンス、 ディヴィンの完璧なスーパーバンド。
93年のレコードだ。

せいぎについてろんじますをろんじます。

evernoteを雑記帳につかっていて、
ベトナムで調子がわるいので救出目的で採録。
震災があって、なんだか遠い昔の話のような
気持ちになってしまうんだな。



なぜサンデルの本なんぞが売れ売れだったんだろうか、と不思議に思う。教授は東京ドームで始球式までやってしまう。『これからの正義の話をしよう』は40万部以上売れているとのこと。ぱららと読んでブックオフに売ってしまった。系譜学の本、という感じ。系譜を学ぶのは大切だが、もどかしい。かつて『ソフィーの世界』が売れ売れだった時代もあった。うちにもあったんだけど、あんまり面白いとは思わなかった。たぶん、系譜学/哲学学の本だとおもったからかもしれない。関心のあることを探究することと、関心のあることのアウトラインを学ぶことは異なる作業だ。

『正義の話をしよう』を読んで、題名と内容が違うじゃん、と読んだ人は思わないんだろうか。「正義」という文言は例えばショッカーをやっつけてみたり、マントの裏に墨書してあったりといろいろな表出があるが、総じて共通したイメージがある(んじゃないかと思う)。サンデル先生の本書はそのイメージに連なるだろうか?
僕の想定するイメージは「決め方の論理」(そんな名前の本もありますが)を考えるうえで何かしらの基準が必要でしょ、という飢餓感のようなもの。表題に惹かれて買った人がいて、いろいろなケーススタディを読みながら、これが正義に関する議論?っておもうんじゃないか。僕ならそう思う。しかし、さしあたり、これが正義に関する議論と呼ばれている。

普通、「正義」という語感と、例えば「無知のベール」とかの概念は簡単には結びつかない。ショッカーもショッカーなりに主義主張があるんだ、とのたまう四歳時がいれば、もうその子にはいうことはない。
ちなみに仮面ライダーはショッカーも含め「改造された」人間である。人間である。まさに正義論の出番であるべきイシューであるのだが。ほんとうは。最近の仮面ライダーについてはとんとよくわからない。なんか、改造されていないような気もする。


『「正義」について論じます』大澤真幸 宮台真司 左右社 2010
あまのじゃくなので話題にならなかった方を。

対談集。宮台はよく「これわかんないヤツは単なる馬鹿」とか言うからまったく怯えてしまう。僕はアホで勉強不足なので、宮台のいっていることはあまりわからないし、後半になると皆目見当つかなくなるが、前半の30ページくらいの議論でもずいぶん面白いと思った。

正義とは何か?と聞かれたら、僕ならばとりあえず「善の構想だ」と応じている。ショッカーにはショッカー的善があり、それに基づいて行動している。もちろん、そのショッカー的善は、しばしば僕らの善と相入れない。
仮面ライダーはショッカーを粉砕してしまうわけだが、これは正義の適用とはいえない。なぜか。相手を撃滅してしまう行為だから。ショッカーも改造されているとはいえ人間である。刑法に即していえば正当防衛の連発である。これでいいのか、と考えて話が逸れたことに気がつく。


宮台は社会学について「みんな」とは何かを考える学問」と定義してみる。これは好い。「善の構想」だけでは正義の定義としては足りない。複数の善が散在してしまうし、「ショッカー的善」は撃滅されてしまう。

「善には複数性や多様性がありますが、善は個人にとっては信仰内容そのもので、自明性が低いからこそ善なのです。ところが正義は善よりも複雑性縮減力が強い―つまり善に比べて多様性が少ない―のに自明性が低いままなのです。
社会学者にとって、正義は「非自明だが、縮減力が大きいので必要不可欠」といえる特殊な社会現象です。いわば「不可能なのに不可欠」なのが正義・・・。 」p13

「多様性が少ないのに自明性が低いまま」とすれは、正義の一番の使い道はここでいう縮減力—複数の善を集約するツール、ということになる。「不可能なのに不可欠」っていうのがなんとも好い。高校時代なぜ社会契約説なんか勉強するんだろう、と思っていた。それって、昔の人が考えた単なる物語でしょう?ってね。「不可能なのに不可欠な物語」(の変遷)を、僕らは学んでいたような気がする。


大澤は応じる。
「もし普遍的な正義を放棄するならば、さまざまな集団は、それぞれの善を掲げあいながら、お互い排他的に関わり合うしかないのか、もっともましでも、せいぜい「敬して遠ざける」ような関係を保つしかないのか。
しかし、いまさまざまな事件からもわかるように、たとえば犯罪やテロのような顕著な事件が端的に示しているように、社会の包摂性をもっとあげてゆかねばならないことは、はっきり見えています。」
もし正義論が求められているならば、ここなのではないか。
僕らが物語でしかない社会契約説なんかを学ばなくてはいけなかったのは、きっと、社会を協約する物語はこんなものでした、ということを知っておかなくてはいけないからだ。もちろんそれは物語でしかないのだけれど、とても大切な物語。王様がいる時代から王様がいない時代に至る物語。反証可能にもかかわらず、未だに有効に機能している(とされている)物語。

「普遍的な正義」っていうと大上段に聞こえるけれど、身近な問題で考えれば。おとなりさんとの協約可能性がないとずいぶん居心地がわるいはずだ。
となりの県では?農村と都市では?国と国では?自明性の低い無数の善がこの世にはある。
こうやって考えると「正義のミカタ」は結構ダルい。徹底的に実際的に正義の見方の仮面ライダーはきっと公務員みたいな仕事をしているような気がするな。アフターファイブに居酒屋でグチっているような気がする。きっと腹だって出ている。



ほかにも、中間組織の崩壊による行政への関わり方の変化(「監視するな」と昔はいっていたのに、監視を怠ったことが責任になっている)などの議論。固有名詞が大量に出てきて、ひけらかしか?と苦情もいいたくなるけれど、巻末に用語集あるので安心。意味分かんないけど。

正義の所在を考える題材としては沖縄のこと。大澤はこう述べる。中身はいたってシンプル。ちょっと長いけれど引用しよう。
「 沖縄の人たちは、基地の「県外移設」を要求した。その要求には共感できますが、しかし、もしほんとうに県外移設を望んでいるのであれば、「県外」移設と主張しただけではだめです。どうしてかというと、「県外移設」ということは、基地が沖縄と鹿児島の県境を超えて向こうに行けば、沖縄県民にとっては万々歳ということになります。つまり、基地が辺野古でなく、徳之島にあれば良い、ということになります。この主張はセルフィッシュなものに聞こえてしまうのです。それだと、これまで沖縄の県民が受けてきた苦しみを徳之島の人に転移しただけだからです。これがカントのいう「理性の私的使用」ということです。
それならば、どう主張すればよかったか。基地を県外に移設したかったら、沖縄という特定の県の外への移設を要求するのではなくて、任意の県の外への移設、そしてついては任意の「圏」の外への移設を要求しなくてはいけない、と僕は論じました。」

「沖縄の人たちが「県外移設」を要求したときに、念頭におかれている「みんな」は、真の「みんな」、包括的な「みんな」ではなくて、特定の県民だったということです。…超えるためには、排除されている側の「みんな」を、真に包括的な「みんな」に拡大しなくてはいけなかった。
「みんな」として支持されている範囲が、このようにちょっと立場が違うだけで変化してしまうのは、結局、現代の日本 において「みんな」の指示対象とな実体が不安定だからです。」p27


まったく当たり前の話でしょう?なんであのときこんな話にならなかったんだろう。
知事会で沖縄県知事が何を言ったか、それに対して他県の知事はどういったか。そもそも知事会で決めるべきイシューではないかもしれない(でも、誰が決めるんだろう)。日本にいて、これ以上、緊張感をもって「みんな」とは誰か、この問題における「正義」ってなんだったのかを考えさせられる問題はない。
「みんな」が嫌なものをどうするか。誰かに押し付ける?その誰かは「みんな」の中に入っている?
あのとき、誰もが反対しているように見えた。それは、一体誰に対して、何を反対していたんだろう。



話を変えちゃう。環境的公正は[environmental justice]と訳される。もともとは社会的公正[social justice]から派生した概念。「核のゴミ」の置き場が先住民の居留地のそばだった。日本にも原発立地とか、同じようなことをしている事例がある。
社会的公正は環境的公正に優先する、としている。僕はこの考え方が好いと思う。社会的公正がのほうが大事なんだよ、という環境的公正の佇まいがなんとも好い。何を大事にしたいの?何を守りたいの?というところに繋がっていると思えるから。
みんなとは誰のことなんだろう。あるいは、
みんなはなんでみんなじゃないんだろう。
とても大事な問題だと思うんです。


「みんな」ってやっぱり絵空事のようだ。社会はそんなにあまくない。でも絵空事すらない社会に、僕の住む場所はあるんだろうか、と考えると、なんだか慄然とした気持ちにもなるのです。

2011年7月8日金曜日

スコールがふる。

ホーチミンに来て一週間。

だいたい毎日ふる。

「バケツをひっくり返したような」という形容詞は
昔から耳にしたことはあって、
へへ、また大げさな、と思っていた節もあって。
本当に降るんだね。バケツをひっくり返したようなやつが。

時間雨量にして30〜40mmといったところだろうか。
瞬間的には50mmを超えている、と見える。
昨年、僕の現場が押し流された忌まわしき思い出が。

語学の授業の直前にスコール、濡れそぼって教室にはいると
先生もmôt chút!と。
バイク通勤されているためやはりびしょびしょになったみたい。
乾くまで待った。それはこちらも同じなので別にいい。


路上飲食がとてもお好きなお国柄なせいか、
ベトナムの人は食べ残しを路上にぽい、と捨てる。
スコールが、それを洗い流していく。
偉大なるお片づけシステムの一部として機能しているよう。
洗い流し、浄化する雨。

スコールのないハノイと一番違うことかもしれない。


雨が降って、軒先で
ぼんやりと食べさしのおわんを片手に空を見上げるおばあちゃんや
しかたねぇ、とハンモックでぶらんぶらんしているおじちゃん。
なんだかおてんとさまに寄りかかっているみたいに見える。
ハノイとはずいぶん印象が違う。


その寄りかかりっぷりは
親の腕の中でぐっすり眠り込んでいる子どもみたいに、
正体がなくって、なんだか無邪気だ。