2015年11月20日金曜日

Chris Cornellさんの老い支度

OB会というやつがありまして。諸先輩にお酒を注ぐ仕事。
出席された最年長は84才との由、僕より50年くらい先輩です。僕が生まれたときが、50前後の働き盛り。沸き起こる自らの小僧感。
和やかな会の中で一番ドキドキしたのが、御大が挨拶を終え、降段されるときの足元だったりして。

年に一度、旧知の安否を確認するための会としても非常に有用であると感じました。じゃ、また来年な。達者で暮らして、またうまい酒を飲むぞ。みたいなね。


こちらも安否確認、もしくは老々介護。




相変わらずの男前っぷり。

Chris Cornell名義としては4枚目のスタジオ・レコード。前作の"Scream"が2009年だから、6年ぶりか。アコースティック・ライブ"Song Book"を挟んでいて、こちらがすばらしい出来だったので、空いた感じはしない。なによりもSoundgardenの新譜もリリースされているから。
"Scream"がピコピコとした作風で、楽曲もあんまりな感じだったのに対して、本作はクリスのソロとして系譜を受け継ぐ、アコースティカルな作風。

ロックというよりはブルースと表現したくなる本作は、これまでどおりのソロの作風を踏襲し、あるいは、踏み込んだ内容だといえる。
アコースティカルというよりも、純粋なアコースティック・レコード。"Song Book"がとても良い出来だったからだろうか。楽曲に彼の声がしっくりと収まっている。自然だ。そんな印象を持った。
しかし、それがよいことなのか。
やぁ、今回もいい作品ではないか、と思いつつ、98年の一枚目のソロと聴き比べて愕然とした。クリスの声の変化。

この人は、順調に枯れつつある。



初めてクリスの声に触れる人であれば、ちょっとしゃがれていて、かっこいい、くらいに思うかもしれない。
でもこの人の前半生は、そんな生半可なたぐいのものではない。



狂気ですよ、これは。
のっけからオマエは何を云っているんだ。仏教徒なのに心配してしまうぜ。

カートをして「こんなやつにかないっこない」と言わしめた破格のポテンシャル。すばらしい。
全盛期サウンドガーデンでの彼の歌い方は、歌唱というよりも「メロディを伴った咆哮」という表現がふさわしいと思うのね。


そんな彼が、一枚目のソロ・レコードで魅せつけたのは、狂人だと思ってたけど意外にまともな人なんだな、という事実確認。あるいは、ばかでっかい排気量のエンジンを積んだ人が、静かな曲を歌う様であった。
 
僕、この曲大好きなんですよ。ほんと大好き。

余裕綽々の歌い回し。ファルセットからスクリーム、バリトンからテナーまで。なんでもござれ。思い出したように、ばん、とアクセルを踏むのだ。一気に回転数が上がるスリル。
一通り、引き出しを披露してやったぜ、みたいな充実の一枚。
思えば、表現の幅において、彼はここのあたりがキャリアハイだったのではないか。


youtubeでサウンドガーデンの最近のライブを眺めた。やはり彼の声は、この10数年でざらつきを増した。
もともとハスキーな声ではあったが、声を自在に操れる人であった。なにしろ積んでいるエンジンが違う。
しかし今や、出力を上げるほどに声の雑味が増す。芯がなく、ぼわぼわとしてしまう。でっかいエンジンに耐え切れず、身体が悲鳴を上げているようだ。
素人目に見ても、サウンドガーデンのウルトラハイピッチな楽曲は明らかに出しづらそう。

聴く者を挑発し、あざ笑い、圧倒する。そんなかつての小憎たらしさ消え去り、自らの楽曲と格闘し、苦悶するクリス。
どうもね。ライブをみて、イタい気持ちになってしまった。「サウンドガーデンのクリス」は、どうも賞味期限が近い。
そう感じざるを得ない。

加齢とともに声は変わる。サウンドガーデンみたいなクレイジーな曲を歌う歳ではないのだ。頭はでは分かっているのだけれども。



今作は過去なんかどうでもよくて、渋い声のアコースティックな曲が聴きたいよ、という方にも安心しておすすめできるクオリティ。16曲も入っているけれど、どの曲にもしっかりとしたフックが用意されていて、丁寧に作られている印象。あと、楽器、特にアコギの鳴りが良い。ひとつひとつの音に、耳を澄ますことができる。

鳴りの良さといえば、ざらついた声。咆哮するクリスではなく、ひとりの歌い手としてのクリスは依然、魅力的であり、洗練を重ねてすらいる。今回のレコードで印象に残ったのは、彼の声の「音色」だ。

 

最初の歌い出しの声の良さ。
ざらつく現在の自らの声の良さを、きっと彼はちゃんと知っている。自分の声の響きを自ら楽しんですらいる。

いままでよりもいくぶん低めのキーで歌われる今作は、声を張り上げるコーラスよりも、低いヴァースのパートの方がはるかに素敵。
ざらつきは、たくさんの倍音が含まれるということ。今の彼の歌声からは、たくさんの音が聴こえる。それ自体がアンサンブルみたいだ。陰影、奥行き。オーバータヴがないパートでも分厚く聴こえ、声の表情が豊かだ。
シンガーとは、変容していく、生身の楽器である、と。



グランジは瞬間風速的なムーブメントだった。持続可能性など考えず、むちゃくちゃで、素敵な楽曲がうまれた。ビギナーではない僕は、その辺りを考える。
退場してしまった気ままな連中はいい。徐々に枯れる、生身の身体をもった者はどうすればよいのだろう?

ソロワークを始めてからのクリスは、スタンダード・ナンバーをよく披露している。ビートルズとか、マイケル・ジャクソンとか、ホイットニー・ヒューストンとか。ポピュラー・ソングを。
 
こうした一連のカバーワークは、「確信犯的なシフト・ダウン」だったのだろうか。もしかして。


アメリカ人はいつでもイーグルスが好きだと思う。ホテル・カリフォルニア。全然クールじゃない。アメリカのキッズだってそう思っている(はずだ)。
なぜイーグルスを手放さないか。そこに思い出が詰まっているからだ。イーグルスがクールだった頃のキッズたちが腹の出たおっさんになって、未だに聴くから。
レコードを出さなくったって大丈夫。だって俺たちには「ホテル・カリフォルニア」があるもの。
そこに進歩がない、オナニーだ、とキッズなら云うだろう。僕だってキッズだったら云っただろう。その辺りが許せるようになったのは、単純に僕がもうキッズじゃないから、なのだろう。へこむわ。

月並みな表現だけれど、なくしたものの数を数えてもしょうがないし、あるべき姿なんてものはそもそも、最初からなかったのだ。
僕が、クリスの衰えがイヤなのは、イーグルスが好きなおっさんと一緒で、そこに思い出がたくさん詰まっているからだ。


今手にしているものを、所与のものとして、楽しめばいいのかな。なによりも、こんなに素敵なレコードを2015年という今に届けてもらえたのだから。ねぇ、クリスさん?