2020年11月22日日曜日

あんまり感心しない研修会

今年は少ないから余計印象に残ったのかも。

当方、普及員なのでコミュニケーター的なスキルも仕事のうちに含まれるらしい。意識したことはないけれどきっとそうなのだろう。その辺のスキルアップ研修、ということで。

子曰く。業務の目的に立ち返るのだ。お客様の幸せってなんだっけ。初心を忘れずがんばっていこうぜ。などなど。職員研修とかでよくやるやつだ。あなたの仕事は?上司や部下をハッピーにするには?みたいな。

2020年11月19日木曜日

ちょっとうんざりしている。でもまだ、終わりそうにない。

コロナの話はしないつもりだったんだけれど、ずいぶんと長丁場になってきたし、生活の一部ということでいいのかなと思って。

僕のうんざりに付き合ってくれる人もウィルスもあんまりいないと思うんだけど。 当方、十分に田舎な場所に住まっていると思っていたのだけれども、ついに感染者の報。

こういう書き方をすると、なんだかホラー映画とかホラーゲームみたい。

2020年11月2日月曜日

ほんもののにせもの

三度Apple Musicの世界に足を踏み入れてしまったわたくし。ずっぽりです。 
一枚一枚に金を払うわけではないから、もうやりたい放題。
エアチェックみたいな感じでぽんぽん聴いちゃう。

便利な反面、よくないなとは思うんですよね。
音楽を聴くのには、それなりの心構えがあったのではないか。以前は。
気のせいかもしれないけれども。

サブスクじゃなかったら聴かなかったと思う。
あ、こんなの出てるんだ、なんて。
なんて気軽。


ロックに目覚めた時、既にフレディはこの世を去っていた。
タイミングよく「メイド・イン・ヘブン」がリリースされた。
Burrn!で91点だった。ろくでもないことはよく覚えている。
ろくでもないことにメモリを消費すると浪人するよ、と中3の僕に教えてあげたい。
僕の印象の中では91点どころではない。
世界はこのラストアルバムで、フレディの余韻に浸っていた。

アダム・ランバートについて、今さら付け加えるべきことなんかない。
伸びやかな高音や、くるくるとトーンを操るテクニックはライブレコーディングであることを忘れてしまいそうだ。いくつかの部分でフレディを超えているかもしれない。
そんなアダムの能力を確認する意味で、面白いレコードだった。
同じ意味で、ポール・ロジャースと組んだレコードも面白かった。ざらついていてパワフルなポールの声質はいかにもロックンローラー然としていて、クイーンのロック的な側面が露わになる。

こうしたクイーン+アダムもしくはクイーン+ポールのプロジェクトは、クイーンの(つまりはフレディの)一面を強調する再解釈/実験のように思える。
齢70のポールはもう大御所の伝統芸能みたいなもので、貫禄とノリでなんとかなっちゃう一方で、30代のアダムはバンドやファンに配慮しつつ果敢に曲を攻め、自分の色を出そうと懸命だ。そのアダムの健気さは買うし、実際彼の声は素晴らしい。

この種のプロジェクトのキモは、フレディから離れつつ、どこかでフレディに接続することだと思う。なんて離れ業。
フレディ的なシンガーを迎えたらフレディとの比較がついてまわるし。全然違う味のシンガーを入れたらファンに石を投げられる。どんなシンガーでも嫌だろう。

多くの人が思っていると思うんだけれども。
ジョージ・マイケル好きとしては、彼がクイーンだったらと思わざるを得ない。
ワム!の後はいくつかの佳作を送り出したが、リリース機会にも楽曲にもそれほど恵まれなかった。もっとできただろう、と思う。
ジョージ的なもう少しマイルドなクイーンも聴きたかった。


ところで映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、フレディの高性能クローンが爆誕したことも記憶に新しい。マイク・マーテル。彼がフレディの「声」を担った。



この人は本当の意味で変態だ。


フレディの後にマイクが入れば、確かに違和感はなかったかもしれない。
なんてったってクローンだから。
そうなんだけれども、そういうことじゃないんだ。うまく説明できないけれども。

クイーンの歴代シンガーは、現在でもフレディただ一人だ。
他の誰かなんていらなくて、フレディだけでよかった。

それはクイーンが「今を生きるバンドではない」ことを意味している。
フレディの死とともにクイーンも死んだ。みんなもちろん知ってる。
ところで、フレディの死後も残響は響き渡り続け、たぶん地球を何千周もしている。もっとかもしれない。今や残響は、振幅を繰り返し複雑な形を成している。

その時間はどういう時間なのか。
もう死んじゃってるからさ。抜き差しならない大切さなんてないでしょ。
けれども、暇つぶしどころではない。商業ベースでレコードをリリースしてライブもやる。
生前からのファンも含めた多くの人が詰めかける。ゾンビを見に、ね。
卒業式の後の打ち上げをずーっと続けているようにも思えるし、もっと深いなにかがあるのかもしれない。意味性はよくわかんない。

主客は30年も前に去ってなお、余韻は今も響いている。
これはさ、なんて偉大なことだろうかね。

やっぱりレコードから離れちゃうんだけどさ、そんなことを思いましたよ。