娘を抱っこする。
彼女の柔らかな髪の毛は、僕の肌を刺激する。
僕は典型的なアトピー肌を持っている。
彼女の柔らかな髪の毛は、僕の肌を刺激する。
僕は典型的なアトピー肌を持っている。
だから僕は、あとぴー玄人といって差し支えない。
そしてもちろん、玄人であることと受忍できることは違う。
増悪しているときの不快さ。集中できず、満足にものを考えることができない。酒を飲んだみたいに顔が赤くなり、熱を持つ。たぶんひどい顔をしている。人と会いたくない。
そしてもちろん、玄人であることと受忍できることは違う。
増悪しているときの不快さ。集中できず、満足にものを考えることができない。酒を飲んだみたいに顔が赤くなり、熱を持つ。たぶんひどい顔をしている。人と会いたくない。
もうそういうことを恥じらう歳でもないだろうと言われようが、嫌なものは嫌だなのだ。
2月は仕事が混む。さっさと医者に行く。
ステロイドを処方されて塗布する。治まる。幾度も繰り返したこの流れ。
ステロイドを処方されて塗布する。治まる。幾度も繰り返したこの流れ。
僕より上の世代、例えば50代前後でアトピーで苦しんている人はそれほど多くないように思える。人と出会って、街で見かけて、アトピーだと思う人は概ね僕らの世代か、それよりも下だ。
だから、アトピーの関連でステロイドと永い付き合いをしているのも僕ら世代よりも下、ということになるのだろう。薬局で店頭に並ぶフルコートをみて、なんだか感慨深い気持ちになる。
これを読んでとても痛ましい気持ちになる。
あの日お会いすることができなかった「脱ステ」ママへの手紙 大塚篤司 Buzzfeed
あの日お会いすることができなかった「脱ステ」ママへの手紙 大塚篤司 Buzzfeed
痛ましい対象は、実際にアトピーに苦しんでいる子どもであり、そのママである。
アトピーの治療って、今も刻まれ続けている歴史だ。
そして、我々はステロイドに翻弄された世代といえるのではないか。
そして、我々はステロイドに翻弄された世代といえるのではないか。
僕はかなり早い段階からアトピーだった。親は薬局に足を運び、あるいは皮膚科に連れて行く。様々な薬のお世話になった。
このエントリーを書くときに改めて調べてみた。軟膏のチューブって、デザインが変わらない。目にしたことがある銘柄は、フルメタ、リンデロンVG、キンダベート。そして市販薬としてのフルコート。
フルメタは上から2つ目のベリーストロング、リンデロンとフルコートは3つ目のストロング、キンダベートは4つ目の中程度という分類だ。
興味深いのは、処方されたのが、上の2つ小学生、キンダベートは中学生のころだったこと。幼いときに最も強い薬が処方されていた。
時とともに処方されるステロイドが弱くなったのは、ステロイドの問題がクローズアップされたことと無関係ではないだろう。証拠というわけではないけれども、高校生から成人を過ぎてからはあまりステロイドを処方されなくなった。漢方薬や殺菌・保湿のためのローションを処方されたりした。美白で有名になったヒルドイドとか。
興味深いのは、処方されたのが、上の2つ小学生、キンダベートは中学生のころだったこと。幼いときに最も強い薬が処方されていた。
時とともに処方されるステロイドが弱くなったのは、ステロイドの問題がクローズアップされたことと無関係ではないだろう。証拠というわけではないけれども、高校生から成人を過ぎてからはあまりステロイドを処方されなくなった。漢方薬や殺菌・保湿のためのローションを処方されたりした。美白で有名になったヒルドイドとか。
状況が変わったのは。帰国した後。
あまりに憎悪がひどくなって、数年ぶりに皮膚科に行ったら、あっさりステロイドが処方された。中程度のロコイド。そしてステロイドではないプロトピックとか。当然治まるのだ。
あまりに憎悪がひどくなって、数年ぶりに皮膚科に行ったら、あっさりステロイドが処方された。中程度のロコイド。そしてステロイドではないプロトピックとか。当然治まるのだ。
寛解の速さよりも、対応の変化を感じた記憶がある。ステロイドは禁忌品だと思ってたから。
最近のアトピー治療については大塚さんがいろいろおっしゃっている。色素沈着だとか、白内障のリスクだとか、知らないことが多かった。やっぱり掻き崩しは良くなかったんだな。
僕個人の意見として。
患者はただ、かゆくてつらい。皮膚がボロボロに掻き崩され、血だらけの患部をまた掻くことになる。文中の「脱ステ」ママはたぶん、子どものつらさとステロイドの「害悪」を両天秤にかけて、ステロイドを使わないことにしている。
ママが十分に理解していないか、軽視しているのはかゆみのつらさだ。かゆみを我慢することは、僕にはできなかったし今もできない。睡眠時間や集中力、自尊心を容赦なく奪う。死んだほうがマシだと思うこともある。
自分で決めた我慢ならまだしも、人から強いられる我慢。しかもかなり首を傾げざるを得ない種類の我慢をさせるのは。
仮にそういう状況であったとして、ママ「子どものため」は、どこに向かうのだろう。
子どもが拷問のような時間を過ごしてよい理由にはならないし、親の信念の犠牲にしてよいとはならないはずだ。
僕のアトピー史のなかで、今から思えばステロイドの誤用も多々あった。肌の皮膚の薄さとか、今に残る後遺症もある。それでもたびたび発生した増悪を、その都度抑えていたわけだ。
一万歩譲って。
ステロイドが良いものだと思わなくていいから、アトピーのつらさを過小評価しないでほしい。すべての人はそれぞれの時間で、能く生きる権利があるはずだから。
僕も含め、アトピー患者はみんないつかは治ると思っている。と、思うのだが。
でもそれはいつなのだろう?
発症から40年以上経った現在でも、まだ僕のもとにその時は訪れていない。
治すための努力は尊い。
僕が治っていないのは、努力が足りなかったからだろうか?
そのことについて、僕は答えを持たない。ただし、こんな風には思う。
治るために努力し続ける時間は、首尾よく治ったとして享受できる楽になった時間と等価だ。割引率を考えるのならば、将来の時間の価値は小さくなりすらする。
なんと言えばよいのか。
たとえば。ジャンプするために屈む。その屈んでいる瞬間だって時間は流れている。
先のことは確かに心配だ。でも、もう少し今にウェイトを置いてもいいはずだ。
僕個人の意見として。
患者はただ、かゆくてつらい。皮膚がボロボロに掻き崩され、血だらけの患部をまた掻くことになる。文中の「脱ステ」ママはたぶん、子どものつらさとステロイドの「害悪」を両天秤にかけて、ステロイドを使わないことにしている。
ママが十分に理解していないか、軽視しているのはかゆみのつらさだ。かゆみを我慢することは、僕にはできなかったし今もできない。睡眠時間や集中力、自尊心を容赦なく奪う。死んだほうがマシだと思うこともある。
自分で決めた我慢ならまだしも、人から強いられる我慢。しかもかなり首を傾げざるを得ない種類の我慢をさせるのは。
仮にそういう状況であったとして、ママ「子どものため」は、どこに向かうのだろう。
子どもが拷問のような時間を過ごしてよい理由にはならないし、親の信念の犠牲にしてよいとはならないはずだ。
僕のアトピー史のなかで、今から思えばステロイドの誤用も多々あった。肌の皮膚の薄さとか、今に残る後遺症もある。それでもたびたび発生した増悪を、その都度抑えていたわけだ。
一万歩譲って。
ステロイドが良いものだと思わなくていいから、アトピーのつらさを過小評価しないでほしい。すべての人はそれぞれの時間で、能く生きる権利があるはずだから。
僕も含め、アトピー患者はみんないつかは治ると思っている。と、思うのだが。
でもそれはいつなのだろう?
発症から40年以上経った現在でも、まだ僕のもとにその時は訪れていない。
治すための努力は尊い。
僕が治っていないのは、努力が足りなかったからだろうか?
そのことについて、僕は答えを持たない。ただし、こんな風には思う。
治るために努力し続ける時間は、首尾よく治ったとして享受できる楽になった時間と等価だ。割引率を考えるのならば、将来の時間の価値は小さくなりすらする。
なんと言えばよいのか。
たとえば。ジャンプするために屈む。その屈んでいる瞬間だって時間は流れている。
先のことは確かに心配だ。でも、もう少し今にウェイトを置いてもいいはずだ。