2013年6月3日月曜日

その空の大きさをふりかえる

最後のアカシア植栽のお手伝い。

暑さにバテたり、イケナイお水を飲んでお腹を壊したりした日々からはや、幾星霜。
2年だし霜はおりねぇな、ここ。




写真整理。上が2年前の写真で下がこの前の写真。だいたい同じ場所。


2011年の8月。ほぼすすき畑。
写真の右上にぽよぽよと。


で、この前。3年生。
一畝くらい違うかもしれん。
トップは4m超えだ。

早いぞ早いぞ。わはは。日本のスギヒノキがゴミのようだ。
いやマジメな話、日本の林の成長の遅さを痛感します。









つまりあれだ。アカシアは陽気すぎて日本的な慎みとか、ないよな、侘び寂びとか知らないよな、という話。わーい太陽だーのびちゃえー、ってな様相で。まったくやんちゃなやつらです。




それにしてもわずか50センチくらいのこの苗木がねぇ。あっという間に大きくなる。



遠くのほうでは同時進行でエンバンクメント工事が。JICA供与のエクスカベータ稼働中。全部のODAがちゃんとうまくいっているとは思わないけれど、カマウでは大丈夫みたい。



写真を撮っていて、見なおしていつも思うのは空の大きさ。メコン・デルタならではでしょう。これ、植えているときは気が付かない。
というか、仕事中は単に暑いぜチキショウ、とか、となりの畝もやるのはいやだ、とか、はよ帰りたい等々、あらゆる怨念を過積載した愛の植栽マシーンと化していた。


あとで写真を見返すと、いろんな色の青空が大きく広がっていた。
うーん、これは。

日差しの強さ、暑さや足腰の重さ、さらにはおなかの変調といった仕事中に僕の感じていたことはきれいさっぱり漂白されてしまった。

オマエの事情などしらぬ。これが当日の出来事のすべてである。と言われているような気がする。僕としては釈然としない。






やっぱり思い出とはどうも、きれいに残るらしい。


実際、空のことなんて誰も気にしないんだ。下を向いて木を植える。下を向いて弁当を食う。背景としていつも空はそこにあったわけだ。見てないだけで。こんなに存在感があるのに、なんだか不思議な話だ。

毎日そこにある空の色が特に珍しくないし写真なんか撮らない。んじゃねえの。普通の人って。とするとやっぱり僕自身が「旅の人」だから空を見るんだろうか。
振り返った人へのご褒美かもしれん。そう思いながら、たまたま写り込んだにしては、あまりに存在感のある空を眺める。