2024年3月10日日曜日

なんとなく1年が終わろうとしている

 はやいなあ、と思う。

去年の今ごろはどうだったか。去年の来週に大きな仕事が入れられた。1年後、どうもそれはうまく実を結ばなかったようだ、と風聞に聞く。その仕事は前の職場であとに残そうとして取り組んだ仕事でもあった。うーんそうか。残念だったなと思う。

それでも世界は進んでいく。「自分の不在」とは、世間的、もっといえば会社的には全く大したことがなかった。そのごくあたりまえのことを改めて知った1年間でもあった。僕がだらだらと枝を折り、かまどに放り込みながら豆を煮ていても、世界は猛スピードで動いていく。

おかしいのは僕か世界か。そうは思うけれど、早いこと知れただけよかったかもしれない。僕だって1年前までは理不尽な理由で自分自身を、すごく悪い意味で調練していたかもしれない。「しょってる」と言われれればそれまでだけど、本人は字義通り背負ってるつもりになっている。そして事故に至るケースはままある。だから、僕の脱洗脳には少なくとも成功した。

それとしてスピードの差異を埋めるのは別の話だ。僕は遅すぎるのか、世界は早すぎるのか。

どんなに世界が早く動いても、僕の自我が激しく取り残されていたとしても仕方ないじゃないか。僕はあんな速度では動かない・働かないと決めた。だからこれは、望んだ弛緩であり、望んだ孤独なんだろう。

緩んでいる割に、なんだか気忙しいのがなんともかんとも。