2008年8月3日日曜日

山古志にいってきた

山古志にいくのはたぶん小学校の修学旅行以来。長岡市立深沢小学校以来。
てことは、20年ぶり?えっと、錦鯉、みました。たしか。

ここは尾根に人がすんでいる。すこし驚く。
古来、日本人は沢沿いの田んぼやりよいとこに住んでいる、
と司馬遼太郎先生がおっしゃっていたような気がした。
よく考えてみれば目元の小ジワのような沢に住んでいても仕方がないよな。

いたるところに、復旧工事の跡が見えて往事の被害の大きさを感じるけれど
ほぼ現地は一段落というところ。
新しい家も建ちはじめ、着実に平時を取り戻しつつあるのだと思う。

今回は林野庁の直轄事業を見学。道ばたなのでどれも普通にみれますが。
http://www.kanto.kokuyurin.go.jp/chuetsu/recovery/prevention1.html
規模がでかい。事業費もでかい。簡単に10億とかする。
山腹崩壊だらけなので、のり枠と集水井のオンパレードだったけれど
円筒上のセルダムはおもしろかったな。上のリンクにのってます。
矢板で円筒をつくり、土砂を入れ込んでしまう。
施工地が不安定土砂の上であり、かつ現場発生土がオニのようにあった
ことを考えると合理的な工法なのか。なるほど。
でもなんだかきもちわるいよ、あれ。

対策未着手の場所地では、昔に作ったダムの袖が20mくらいふっとんでたり、
満砂というより沈没といった方が適切なダムがあったりと、
名誉の戦死を遂げた残骸がたくさん。
僕と同い年のダムは、埋まりながら亀裂を走らせながら建っていた。
堆積した土砂で、発生したであろう土石流の大きさが感じられるし
壊れたり埋まったりしながら、(必死に)土砂を捕捉した谷止め君たちに敬礼。

誰も住まない場所は、どれだけ崩壊していても危険ではない。
そこに人が生活しているからこそ、危険性が初めて立ち現れる。
だからこそ、こんなダムやらのり枠やらといった工事をするわけで
それらの工事はあるいみ、
今後もそこで生活していくことが前提となっているわけだ。
黙契というか。

山古志は読めない地名が多い。種苧原(たねすはら)冷子沢(ひゃっこざわ)
南平(なんぺい)。冷たいことを長岡の人はひゃっこい、しゃっこい、というのを
思い出したりして。
閑話休題。いわゆる古語とはちょっと違う気がするけれど。
ここではないけれどよく地域に存ずる地名として「たぎり」という名前がある。
田切だったり小田切だったりするけれど、これは「たぎり」は「滾る」を指す。
お湯の沸騰だったり急激な水の流れ。つまり急流域に存する場合が多い。
同様に沢というのは水の流れが緩やかの場所を指す。水田域はしばしば
沢の字がついている。
インドネシア語で水田は「sawah」であることから連関が指摘される。

話を戻す。
急激な流れから、緩流を経て、海にたどり着くのは自然の流れであろう。
一定になろうとする流れを止めようとする試みは、エントロピーの法則上からも
虚しい業であることは明らかなこと。
僕らは、ばらばらになる運命にあるものを一時的に固定化させ、
一定になるべきものにエネルギーを使って差異をもうけようとする。
片付けるのは散らかすよりもずっと疲れる。

それは、僕らは大汗をかきながら差異化したものと、
最終的に均質化していくモノの間で生きているからに他ならない。
そのような、あわいを縫いながら、僕らは生活している。
道路や、ダムなどのまっさらなインフラだらけのこの場所にいると
そのような新しく差異化されたものが記号のように見える。

私たちはこれからもここで生きていくのだ、という決意のように見える。
ほんとうに?と僕は思うけれど。