とビリー・シーンがIn rock誌でのたまうもんだから、
当時15歳の僕はナルホド、と思い、レコードを買いに行った。94年のことだ。
シッピングであると1ヶ月くらいかかってしまうのに
いまはダウンロードで一瞬で届いてしまうから、時代は変わったものだ。
でもね、僕レコードジャケットみるのが大好きなんですよ。
で、King'sX。
ソングライターの二人と、バンド自身の
都合3枚の彼らの92年周辺楽曲のデモ集を出すという
暴挙に出ている。しあわせ。
・Ty Tabor - "Tacklebox (Ty Tabor Demos Vol. 1 & 2)"
・dUg - "Songs from the Closet (Doug Pinnick Demos Vol. 1)"
・King's X - "The Bigger Picture (4th Album Pre-Production Recordings)"
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聴き比べてみるととても面白い。
ビートルズ仕込みのポッピーさと構築主義的、立体的な曲の彫像は
gのタイのペンの曲であり、
ド・ファンクでグルーブが効いていて、それでありながら
なぜか寂寥感を覚える曲はbのダグの曲という分担。
やっぱりね、という感じ。ちょっとにんまり。
こうやって持ち寄ったのね、と考えるとちょっとほほえましい。
タイはポップでテクニカルな曲を書くけど、
声は素直で、薄くて高く、デモでは多重ハーモニーで補う。
ダグの声は深くてブルージーだけど、ノリ一発で単調な曲も多い。
まあ、彼ってファンキーだからさ。デモでもベースの音でけーよ。
バンドのデモは当時大流行のオーバープロデュースを免れており、
骨格むき出しで、オリジナルよりも聴きやすいのが面白い。
「早すぎたオルタナティブ/クロスオーバー」と呼ばれた彼らだが、 実際のところ、
オルタナティブと呼べる要素といえば、ダウンチューニングくらいしかなくて
今考えると少し不思議な感じがある。
タイのリフはヘヴィというよりも丹念に構築された印象の方が強い。
92年当時の”ローリングストーン”誌のレビュー「まるで目がくらむようなタペストリー」
という形容が、特に初期の彼らに関してはしっくりくるなあ、と個人的には思う。
94年以降の彼らは構築主義的な方法論から、直情的な方法論に転換してしまう。
識者からは「オリジネイターがムーヴメントに擦り寄る愚挙」と批判される始末。
B!誌からは66点を頂戴する始末。
シングルコイルの艶のある、どこかクールな音色は失われ、
グランジ・オルタナティブを表象する、あのささくれた音色に確かに変わった。
だから彼らについて考えるとき、どの時期を評価するのかが大きな問題なんだろう。
もっとも、僕としては転換以後もある種のうれしさがあった。
構築主義的な曲調が大きく後退した代わりに、ダグの声が全面に出てきたから。
虚飾を取り払ったあとに出てきたものは、開放され躍動する強烈なグルーヴと
深く暖かいダグの声だったから。
彼らは最初からこういうことをしたかったんじゃないか、と。
それはたしかに、Pearl JamとかNirvanaとかそういう人たちと近い音を鳴らしていた
のかもしれない。でも、だからといって彼らの演奏の価値を減じるものではない。
僕が大好きなのは89年1stのgoldilox。
youtubeで探してみたけど、どれもオーディエンスの声がいっぱい。
ダグもしょうがねーなー、という風。かわいらしい。
皆さん声そろってますね。ハーモニーつけてますね。
いいなあ、ライブいきたいなぁ。
ついでに、ビリー先生を召還する。
動きも顔もオモチロイが、すごい演奏。
ビリーシーンはベースを「歌わせる」希有な人である。
それは彼が目立ちたがり屋なせいもあると思うが、なにより
彼の使用音域が基本的に高い(今回はソロなので特別高い)せいもある。
使用フレット位置がギターみたい。
これを見ていて、ダグが左利きなのにいまさら気がついてみたり。
これじゃあ、ようわからん、というひとはオリジナルを。
ファーストのころのダグは今よりも声が細くて、儚げなVoが秀逸。
アメリカ的、大陸的、フロンティア的、うまく説明できぬが。
な、美しさと悲しさを感じるのさ。
たぶんフロンティアの記憶をもつ人間にしか、ああいう音楽は作れないんじゃないかな。