2010年4月25日日曜日

出口が見えない

普天間のお話。

新聞も県も住民も強硬な論調、のように見える。
誰も折れるつもりはないらしい。
今や首相が一番慎重だと思う。
オーケー。じゃあ首相が公約を果たせなかったとして、
退陣したとして、今の強硬な人々はどうするつもりなんだろう。
賭け金をつり上げているのは、いまや住民やメディアだ。
うまくいく見込みがある場合はたくさんベットしてもよいと思うけれど、
あんまりうまくいかない見込みがある場合、ほらみたことか、といえるか。
メディアは言えそうだ。

もちろん沖縄の人々の受苦をそのままにしておいてよいとは思わない。
でも一括移設は可能だと住民や首長は思ってるのだろうか。本心はどうなんだろう。
うまくいかなかったとき、また他人のせいにするんじゃないのだろうか。
また、沖縄の人は「人のせい」にする権利があるような気がする。
他の県は「うちに米軍は来させない」で、守りきった権益は
素直に諒とできるのだろうか?
それを「生活や子どもたちのため」という理由ですっきりするんだろうか。
僕にはそうは思えない。
裏側には「沖縄は受苦せよ」というメッセージが含まれる可能性があることに
気がつかないんだろうか。

みんながダメだというのであれば、それはほんとうにダメになるんだろう。
そんな結論の出し方でいいのか。ダメにしたことの責任はダメだと言った人にもある。


最後に「難しい問題を片付けられると思うのが甘く見ていたということなのだ」と
のべた谷垣さんは、問いの立て方が完全にずれていると思う。
彼らが政権を担当していたときは、この問題は「埋めておく」方針だったはずだ。
処理の仕方に文句をつけるのは結構だが、問題として表出するかしないかは
まったく別のフェイズである。沖縄の人が受苦しているときに、人が死んだりしたときに、
自民党はなにもしなかった。
だから、明らかに現政権の姿勢のほうがこの問題について向き合っていると思うし
その意味で自民党政権は明らかに劣る姿勢をか示してこなかったと思う。
だから、(いまさら)手続き論的批判をする自民党に、薄ら寒い気持ちを覚えるほかない
わけだ。