2025年5月24日土曜日

会いたくない人に会うとしたら、

キライっていうんじゃなくて、合わす顔がないという類の方々。

どうも心構えができていないな、と思った次第。


過去に不義理をした人が何人かいる。僕が悪い。それで疎遠になって今に至る。そういう経緯を知らない方が、君に紹介したいといってくださる。もう100%善意で。

端的に困ってしまった。正直に僕のクズエピソードを開陳して、だから疎遠なんです、って言ってもいいんだけれど、相手がドン引きするとともに僕も相応に傷つく。

曖昧な笑いで逃げてしまった。善意って怖い。

それはそうとして、僕はこれらの人々をどうしていくつもりなのだろう。「合わす顔がない」から死ぬまでずっと会わないつもりなのだろうか。先方が明確に「会いたくない」場合もあるけれど、そこの確認は取れていない。何しろ会っていないのだから。

僕が先方をキライであれば話はシンプルだ。会わない。会う理由がない。

そうでないならどうか。僕は何がイヤか。たぶんその時の不義理を蒸し返される(かもしれない)こと。そこはもうごめんなさい、しかないのだけれど。まあ、書いていて気が重い。

一方、「曖昧に笑っている」自分はそれほど好きではない。少し自己保身的ですよね。心にささった小骨のような気がしていて、結果はどうあれ抜いたほうがすっきりするだろうな。抜くと出血すると思うけど、死ぬことはないのだろう。と思う。


抜くべきか、この骨は。