英国に飛んだ勢でも課金勢でもなかった。
オジーは僕には合わない。あの声とかダメだ。のっぺりとしていて何がいいのって感じ。ブラック・サバスにしてもロニー期が一番好きだ。トニーだって悪くない。
LAを車で走らせたとき、3日で2回、ラジオで"Crazy Train"がかかった。アメリカ人ってオジー好きなんだな、と不思議な気持ちになった。なんでみんなオジー好きなの?どこがいいの?
未だに理解できないものに対峙したようなもやもやとした気持ちを抱えている。
そんなこといっても全然きらいってわけじゃない。ラジオでかかってシビレた経験はある。メタルっていうのは早くてやかましくないといけない。15歳の僕はそう思っていた。
不穏なベースリフから耳をつんざくように突き刺さるダイナミックなギター。リフで駆動する音楽のかっこよさを知った。
改めて聴くと、ヴォーカルのメロディラインはギターリフの一部と同じで、やや凡庸かもしれない。(僕にとって)大事なのは声ではなく構造だ。それを作り上げたのもオジーではあるのだけれど。今に至るまで、折に触れて頭の中でこのリフが鳴っている。
無課金勢の僕としてはyoutubeで拝聴した。ごく断片的にではあるけど。
玉座に鎮座したオジーについては特に言うべきことはない。ソロでもサバスでも。オーバーキルっていう言葉があるけど死んだ人に使ってもいいのか。たぶんダメだろう。その意味で完全に無敵の人だ。一方、トニー・アイオミとギーザ・バトラーはまったく現役で70代後半の人たちとは思えない。特にギーザは凄い。
見るべきところは、最晩年どころか死の3週間前にこの場を作ってしまったことだろう。巨大な生前葬。帝王は確かに歌う必要はあった。椅子に座っていようがロクに声が出ていなかろうが。歌わないとしたらそれはフレディ・マーキュリーみたいな追悼コンサートになってしまう。オジーの声はこの強烈な磁場を作り出すためのスイッチであった。
オジーのステージを眺める。細く、震える声で歌う年老いた男は、その筋の人々から有り余る敬愛を受けている。脂の乗り切った面々がオジーの脇を固める。それはなぜか。やっぱり疑問に思っていて、どうもそれは永遠の疑問になりそうだ。
そういえば大学時代の友だちは、"ママ、ぼくは帰ったよ"とかいっちゃうのがかわいいの、と言っていた。なんでしょうね。母性本能を刺激するタイプなんでしょうか。
ところでキュレーター/プロデューサーがトム・モレロっていうのが興味深かった。出演者の誰よりも異質な人間が監督に収まった。トムは監督として(あっさりと自分のスタイルを捨て)完全にメタルフェス興行の仕掛け人(ちょこっとプレイヤーではあったけど)に徹し、破綻なく完遂してしまう。面白かったしその人選で僕は俄然興味が湧いた。
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは、あの時代、メタルに対するアンチテーゼだった。トムは「オジー的な世界」を壊すはずじゃなかったのか。人を見る目に関しては、オジーは(シャロンかもしれないけど)最後まで耄碌しなかった。
あと、ヌーノ・ベッテンコートの立ち回りもよかった。彼の本質は、ミュージシャンというよりコンポーザー、コンポーザーというよりプロデューサーなんだろう。こんなことしてちゃレコードを作っている暇はない。君はExtremeとかソロを頑張れ、と思うのだけど、たぶんヌーノ自身はそうは思わないのだろう。ヌーノは元気で今を生きている。それでいいような気がした。
オジーは優れたシンガーではなかったし、優れた作曲家でもなかった(私見です)。ただ、若い才能を次々と引っ張り上げた。金にさえだせば優れたミュージシャンも楽曲も手に入る。オジーが歌えばオジーの曲になる。「クールな」若手を従えて、オズ・フェストみたな巨大なステージすら回した。世の中に転がっている才能はすべて俺のものだとすら思っていたのかもしれない。
ご案内のとおり、帝王は胸がすくような切れ味で自身の物語に終止符を打った。からりとしていて、なんともいい佇まいに感じる。音楽的にほとんど語ることがない僕としても、その見事さには少しだけ胸に迫るものがありました。
"Back to the Beginning"は、メタリカやスレイヤーといった大御所すら麾下に収めた「帝王は誰か」を示す閲兵式であった。そこからわずか3週間が去るなんてだれも想像できなかったはずだ。
きっと、オジーはずいぶんステージの出来に満足したんじゃないか。