2008年5月25日日曜日

公共の福祉

4.17.2007

って公民とか政経とかで習った。
なんかマジックワードだなという感想を持った。
法や経済の根拠についての記述の最後に
出てくる魔法の言葉。なんだい、こいつはってね。

「リベラリズム」を思いつくままに、説明してみると

①他人の権利を侵害しない限りにおいて、
②自己の自由を追求してよい。

ということになるのだろうか。
公共の福祉という言葉は①に対応する。
つまり②の奔放さを規制する概念として①という但し書き
があって、公共の福祉という変てこな概念があると
理解できる。
知り合いに学校の窓ガラスを割って歩く15歳がいたら
教えてあげてください。
なんで中坊のときこいつを変てこだと思ったのかといえば
こいつの入った文章が権利に関する記述であることを
踏まえていなかったからじゃないかと思う。
それは文脈自体で自由に関する記述をしていた。つまり①が
前提としてあって、足かせとしての②が出てきていた。
足かせばかりが気になる年頃でしたので、でも
よく考えてみるとなんにしても、自由に関する記述よりも
その制限に関する記述の方が多い気もする。
別に自由を記述しなくとも自由にしているからいいという
ことなのかしら。



なんでこんなことを書いたのかといえば理由は二つあって、
一つには長崎市長が撃たれたことに、若干衝撃を受けたこと。
暴力はじつにあっさりと、簡単に、他者の身体と表現の自由を
奪ってしまう。
もうひとつには、北田暁大の読書ノート書こうとおもって読み返しているから。
なんてリベラリズムはいいかげんにして大切な概念なのでしょう。
と今反芻しているところです。