そんなわけで、カマウ市の若者たちは、7割の哀れみと3割の失笑で、ようやくiphone5を手にした世界を眺めている。
まあ、こちらのiphone5は中国製なのだが。
ホーチミンの夜は長い。生演奏を売り物にするバーも数多い。
テレビでみるベトナムの音楽は社会主義的なアレを強く想起するものも多いが、こういったバーの演奏は垢抜けた音楽が多い。
垢抜けながらも、どこかトラディッショナルなベトナム音楽も想起させる。ジャズなら少しだけ甘めになったり、ロックならもう少しだけ泣かしてみたり。
この人のレコードを一枚買って帰ってきた。10万ドンくらい。
そういえばこういうふうにレコードを買うのって久しぶりだ。
この国、レコードショップと呼べるお店はほとんどない。正規版を売っているお店という意味で。国内の歌手はともかく。海外の音楽については堂々と海賊版商品を購入することができる。iphone5的アレ。調子に乗って購入すると、帰国時に没収されるらしい。
音楽は街中に溢れている。急性難聴になるんじゃないか、という音量で。
僕としてはタワレコでもHMVでも一件くらいあるとうれしいな、というところだ。
ベトナムのitunes storeは音楽配信を行なっていない。amazonのMP3配信はベトナムでは利用できない。個別のサイトはあるかもしれないけれど、ここの国はクレジットカードが普及してないからウェブ上で購入するのは難しい。
そんなわけで、市中でもダウンロードでも違法な音楽がたくさんある。
いまさらSave our music!とかない。むしろ逆だ。
Radioheadの"It's up to you!"や、プリンスの「雑誌のオマケ作戦」の例を引くまでもなく、レコードに対する価値は大きく変わり始めている。
思えば、日本は海外の音楽に触れるのがとても楽な場所だ。
レコードショップにいけば知っている音楽も、知らない音楽もたくさんおいてある。バックカタログも豊富。お店のフロントにはアイドル的な泡沫音楽が、後ろの方にはクラッシック音楽が鎮座ましましている。そういう風景に魅了されていた。
有難がって聴かれるクラッシック音楽なるものを聞いみむとして聞くなり、とか、Led Zeppelinの4枚目はすごいらしい、とか。どこかで手に入れた断片的な情報をレコードショップに持ち込んで、回遊する。
僅かなお小遣いを使い、意味不明っぷりに玉砕することも少なくなかった。
店員さんの偏見と過剰な愛に溢れたリコメンドも大好きだ。
そういう見知らぬ世界を享受する場所として、レコードショップは大事な場所だ。
あとに残るかどうかは今ここで聴かれることとは、また違う水準があるだろう。バックカタログとは、さながら、ついに消尽しつくされなかった事実に対する記念碑のように思える。街中で流れているクズみたいなダンス・ミュージックはどうなるんだろう、とたまに思う。
ベトナム人の大好きなイーグルスがろくにレコードを発売しなくても、今なお満員のコンサートを開くことができるのはなぜか。そもそもなぜホーチミンのHard Rock Cafeで、毎晩飽きもせずホテル・カリフォルニアが演奏されるのはなぜか。
かつてサイゴンと呼ばれたころ。その記憶が、ホテル・カリフォルニアとも結びついているのではないか。
そう考えるとおもしろい。
去年一年間、お昼休みはカフェでゴロゴロしていた。もうなくなってしまったけど。
カフェといってもお家の表にハンモックが吊るしてあり、カフェダーを飲みながらうつらうつらできる、という簡素なものだ。お家には小さい子どもがいて、おひるねをしなくてはいけない。カフェの主人・兼おかあさんは子どもを寝かしつける。
南部のこもりうた。ベトナム語の授業で習った曲が実際に歌われているんだな。
こういうのは、これからもずっと残っていくんだろうな、という安心感がある。
ギターを泣かしてみがちな彼らの理由が透けて見えるような気がするけれど、実は泣かす、というよりも振幅そのものに意味があるんじゃないかと思ったり。
こぶし以上のなんかなんだろうな。
業務連絡を繰り返します。
僕としましては、ただ単にホーチミンにタワレコが1件ほしいだけなのです。