2015年3月26日木曜日

口上がうざいと思ってしまう僕はまだ初心者だ

新潟県の林業、さらには佐渡の林業の益々のご発展を祈念いたしまして、とか。
訳知り顔で頷きますけど、意味がわからんよね。他に言うべき言葉が思いつくわけではないし、こういう定型文ってラクだ。そういう話はあるけれど。
叶わぬと知って、何を願うか、という根本的な問題。
どうせ誰も本気になんぞしてないでしょ。新春を祝いでいるなんとか物産さんだって、えいぎょーでCM入れてるだけだろう。




古来、呪いと祈りは同義である、と読んだ。祈りとは、予祝であるだとかなんとか。
あらかじめ寿ぎ、祝う。するとうっかり願いが叶うそうなんだな。ベクトルが正反対なだけ。そんな話を聞いたらそれはお客さん、もう僕は予祝を中心とした日々を過ごしますよ。

誰かをディスるよりも祈っているほうが、当人の精神衛生上いいんだと思うんです。僕がディスるのは新井さんだけです。またゲッツーかよ。
いや、新井さんにすら今の僕は祈りを捧げられるはずです。市民球場でホームランだぜ新井さん。

だぶん、祈ったものが叶うかどうかなんてどうでもいいんだ。誰かの何かを祈ること、そして誰かに対して祈る姿勢こそ大事なのだろう。
そんなことをうつうつと考えながら、上座に祭り上げられておりました。