2014年8月20日水曜日

読んだ:弱いつながり

あとどれくらい続くかなぁ、この生活。と思いながらとぼとぼと帰ってきた。
自分の持続可能性の限界に挑戦中。


2年間、ベトナムの南のはずれ、カマウ省のウミンというところに住んだわけであり、本クソブログも断続的ではあるれど、継続された。

結果として、「カマウ」や「ウミン」という単語で検索をすると僕のブログが出てくる。面映いことに。ずいぶん下のほうなので、マウスのホイールをぐるんぐるん回す必要がある。
あるいは「メラルーカ」という言葉。僕が初めてこの言葉を検索したとき、ねずみ講まがいの変な会社が出てきた。面食らった。違うんだぜ。木の名前なんだぜ。

そんなことで、ほんの少しではあるけれど、いくつかの言葉、そして僕の眼を通した、その言葉や場所の「おくゆき」を、日本のみなさまに紹介することができた。
全然関心が持たれないことだと思うんだけれど。

そんな総括の仕方もあるのかしら。たとえばそんな話。

弱いつながり 検索ワードを探す旅
東 浩紀
幻冬舎
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あずまんこと東浩紀さん。「一般意志2.0」以来の本になる、のか。
最近では「福島第一原子力発電所観光地化計画」の関係で、よく目にするか。
福島第一原子力発電所観光地化計画プロジェクト 株式会社ゲンロン

一読して、というか、一読したら終わってたくらい平易なつくりの本。二時間半のフェリーの旅で最初の一時間で読み終わってしまい、残りの一時間半をどうしてくれるのだ、と呆然とした。


冒頭の検索の話。本書では「チェルノブイリ」という言葉で著者は紹介している。日本語、英語、ロシア語。違う言葉で検索すると、得られる情報が変わる。

ベトナム語でカマウは"Cà Mau"、ウミンは"U Minh Hạ"。声調記号がある。アルファベットで"Ca Mau"と書いたっていい。"Ca Mau"だと英語のページに、 "Cà Mau"はベトナム語のページが多くヒットする。
日本語、英語、ベトナム語。カマウに関して一番濃い情報を持っているのはどれか。考えるまでもないよね。
仮にあなたが”Cà Mau"と検索する。声調が入力できないなら、ここからコピペして貼っつけて。すると、「カマウ」「Ca Mau」の検索する以上の情報に、あなたは出会う。
あとは自動翻訳かけて、できあがり。

入力で出力が異なる。あたりまえ。しかし同じ場所にとどまっている限り、入力する言葉を変えるのは難しい。
3年前、僕がベトナムに行かずに日本に居続けたのなら、絶対に"Cà Mau"とは入力できなかった。そもそも「カマウ」という言葉を検索しなかった。
僕を成す一部がこの間で、いささか変容したのだ。そう考えてもいいのだろう。


場所を変える。環境を変える。それがどうも重要らしい。
統計的に予測された人生からはずれ、「たったいちどの人生を、かけがえのないものとして生きたいと願って」いるのならば。
偶有性が大事。なるほど。
同じ環境にいる以上、自分から「想定外」を作り出す可能性は低い。予測を裏切るためには、動かなくてはいけない。別にバックパッカーとしてタフな旅行しろ、とは言っていない。「観光客」になれ。東さんはそういいます。

なんだか思い当たるフシがたくさんある本だな、と思いました。


もうひとつ。東は「言葉」ではなく「モノ」が大事だ、と言及していて、際限のない言葉のメタゲームを止めるため「証拠」が必要だ。そう云っている。ただ、上の主張とはどうも収まりの悪いような気もする。
むしろ「動かない人たち」が、無為に終わりのないメタゲーム(例えば、そもそも慰安婦の定義ってなにさ?とかの際限のない脱線≒脱構築)に興じるのに苛立ち、おまえらは動け、といっているようにも読み取れて、そうすると全体が線でつながるように思えた。
大事なものはモノさ。そのモノを手に入れるためには(モノを大事だって思うためには)動かなくちゃダメでしょ、と。
そんな理解の仕方。
もちろん「モノ」とは、「観光地化計画」にもつながるのだろう。
これはちょっと思うところもあるので、また別の機会に。


それほど彼の文章をたくさん読んだわけではない。でも、彼の文章はとても誠実だと思うんです。ツイッターとかニコ動での東さんとはすごく印象が違って、そのギャップに驚かされる。
いつも思うんだけど、彼の喋る言葉やツイッターの文章よりも本のなかの彼の文章のほうが断然素敵だ。物書きなのだから、当たり前なのだろう。
邪魔者がいない静かな場所で、本当にいいたいことをゆっくり考え、しずしずと語る感じ。

ベトナムで「思想地図β Vol.2」を読んだ。親に送ってもらって。ずいぶん心を動かされたんだ、と思い出していたら痕跡を発見しました。
そして本はほとんど読まなかった  2012.1.2
なにより日本語の本に飢えていたな。そんな思い出。
いくらかはずかしい文章だけど、当時はけっこう真剣にそんなことを考えていました。


宙吊り状態を経て、僕は無事地面に着地した。そして確かに一介の労働者に戻った。
時間がない時間がない、と日々思うけれども、もう少し必死に働こう。
それから、また考えることにしよう。

とりあえず、週末からベトナムに里帰り。できるのか。