2019年10月2日水曜日

心は、これからに向かう

知人の通夜。
いろいろと思うことがありました。



快方に向かっているという話を聞いていたものだから、逝去の報があまりにも唐突であった。同僚と電話で仕事の話をしていた。旦那さんとも退院したら旅行に行く、という話をしていたそうだ。
不意打ちであったといってよい。

だから、不条理だよね。という話をしたいわけではない。
もちろん、不条理なのだけれども。そんな不条理は、この世界にごまんとある。
もちろん、不条理に慣れろというつもりもない。
僕だって、不条理を感じたら、めいいっぱい神仏や天地や社会や人を恨む。


彼女のブログ見ている。
もう更新されることのないブログ。
これからの仕事の予定と、なんとか乗り切っていきたい、というコメント。


人は息を引き取るその瞬間まで、この先のことを考える。
よし、おれの人生これでおしまい、と思う人は少ないはずだ。
だってそれがいつなのかなんて、当人には分からないものね。
来週はあれをしよう、明日はこれをしなきゃね、と。

心は「これから」に向かう。
身体とは別に。あるいは途中で身体を落っことしたとしても。
僕は奇妙な感銘を受ける。


彼女の存在感は、これからしばらくは、ありありと残るだろう。
今や、彼女の意思だけがこの世に残っている。

かなしい、くやしい。
そのように思う「残された人」をふわりと笑いながら。あるいは、慈しみながら。
意思だけが、「これから」に向かって、軽やかに飛んでいくのだ。