ずいぶん気温が高くなってきた。
すくなくとも一晩に70センチくらい降ることは今後はなさそうだ。
雪の下に埋まっているはずの、イチゴとニンニクを掘り返すことにした。
大体のあたりをつけて雪を掘る。
見つからなかったけれども、畑の地面まで掘ることができた。
イチゴもニンニクも行方知れずだが、何しろくたびれた。
積雪深は未だ2メートル。首尾よくイチゴとニンニクは見つかるだろうか。
こうした「春」な作業をしていると、過ぎてしまった「冬」を反芻する。
ふとんにもぐりこんで、嵐のような外の音に耳をすませる。
障子は風でかたかたと揺れる。
子どものころの、冬の夜の話だ。
ふとんが温まる。
ふとんと僕の間に、少しだけ親密な空気が流れる。
温まるにしたがい、僕の親密さは外へと拡張する。
ベッドへ。この部屋へ。カタカタ揺れる障子へ。湿気ってカビの生えたガラス窓へ。
つまりは冬の夜、僕は家になっていた。
家としての僕は、外の風景を眺める。
叩きつける風を浴びたり、深々と降る雪を静かに見つめたりしていた。
不思議なことに、気候が緩みはじめるとこの手のことは考えなくなる。
心も先に向かい始めるからかもしれない。
3月も半ばになって、今年もそういうことを考えなくなった。
どうも、今年も「底」を乗り切った。
新しい暖かさの中で、次の何ごとかを考えるのは、もう少し先の話。
ひとまずは底を打ったことを、静かに喜びたい。
本当はもう少し前に思っていたけれども、今日たくさん残雪に触ったものだから。