2020年12月30日水曜日

学術会議の一件から考える、左派へのまなざし

何をいまさらと言われそう。なんだか古い話になってしまった。

仕事柄、車での出張が多くてラジオを付けています。峠を3つ抜けるから、片道2回はチューニングが必要。NHK派。受信料、払ってます。そんなわけで、世間一般の方よりも、いささか国会中継を聞いている。今でこそ、コロナコロナで大変だけど、ほんのひと月前までは学術会議だってそれなりの大問題だったのだ。

野党の猛攻に、菅さんは壊れたレコード的答弁で応戦していた。菅さんはしどろもどろであった。論理的かといえば否である。でも、壊れたレコードだろうが壊れかけのRadioだろうが、菅さんは逃げ切ってしまった。仮に僕が追及したとして、あれ以上のなにかを引き出せるだろうか、なんてことを考える。

学術会議なんてずいぶん縁遠い。小難しい提言をしている団体でしょうきっと、と思っていた。学問の危機といえばまあ、そうなんでしょうけれども、でもまあ、ひとごとですね。

なんてことを考えていたら、思い当たった。ああ、これは学術会議か。

 「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能の評価について」平成13年11月 日本学術会議

今でも盛んに引用されている。森林は年間70兆円くらいの役割を果たしていますっていうやつだ。70兆円っていう数字は狭い業界内では割と有名。答申が出てからもう20年近く経とうとしていますが、未だに70兆円です。デフレーターとか噛ませなくてもいいもんでしょうか。

何しろ金額くらいしか知らなかったから、改めて読んでみた。いい機会だしね。これが100ページを超える大作だったなんて知らなかった。この話って森林についてだけの答申だと思い込んでいたんだけれども、実は農業と林業が対象になっている。ちなみに森林チームの座長は太田猛彦先生。この業界だと太田先生くらいしか横断的なとりまとめができそうな人がいない。

もう一つ意外だったのが、答申の中で金額に関係する記述はごくわずかしかないこと。多面的機能といえば70兆円、と思っていたので。これには理由があって、政府のオーダーは「定量的な評価を含めた手法や今後の調査研究の展開方向の在り方などを中心に…学術的な調査審議」をすること、なのだ。評価額を算出せい、とはひとことも言っていない。なのでこの答申では森林には、計量不可能な機能が様々あることを指摘している。

また答申では、貨幣評価について、金額の独り歩きは危険だぜ、と再三再四述べている。一方、僕らはいまや、70兆円という金額しか印象に残っていない。ええ、完全に独り歩きしている。こういうのってしょうがないような気がする。

学術会議についても少しだけ。
森林林業は幅広い分野があって、それぞれ第一人者がいる。それぞれの研究者は大まかな全体像は把握してるにしても、得手ではない分野もある。今回のように農業も含めたお題をいただいてしまうと、いかに博学の先生といってもつらい。確からしいことを公衆の面前で発信できるか、という意味でだ。
その意味で、専門家が束になってかかる組織としての学術会議は一定の意味があるだろうし、やっぱりあったほうがいいのだろう。そして、その組織は公的な機関であるべきだとは思うけど、公務員であるべきなのかどうかは、やっぱり議論があるんでしょうけどね。

しかし、口火を切ったのは菅さんなのでしょうけど、先の国会で議論の大半をこの問題に費やしたのは愚かだった。マジ愚か。国会が終わって一ヶ月。日本の世界もコロナで覆われている。


僕はたぶん、中道左寄りというところだと思う。しかし、なぜかこみ上げる左派に対する悪感情。不思議だ。僕は左派の何が許せないのだろう。

ということで、この本を読みました。キクマコ先生がおすすめしていたので。



好著でした、以上の手応え。序盤の北田暁大さんの話で僕の後頭部に直撃した。

わたしは日本の問題は、「左翼が下部構造(マルクス主義の用語で、社会の土台である経済の仕組みのこと)を忘れている」ということなんじゃないかと思っています

政府の学術会議への対応に抗議するのはいい。しかし同時に思うのが「誰が抗議を聞き届けるか」ということだ。別に学術会議に限ったことではなくて、環境問題でもマイノリティでもいいのだけれど。

腹が減っている人にメシを食わせたり、病気の人を看病する方が、他の問題よりも優先される。反論はあんまりないと思う。たぶん、単純に順番を間違えている。それが「下部構造を忘れている」という意味合いだ。

息も絶え絶えで、明日にも死のうとしている人に「学術会議」だとか「学問の自由」みたいな言葉が響くと思っているのかな。

僕には、とっても悪く響いている。


潜在的に左派は相当数いると思うんですよ。そういう人たちは今の政治に、なんだかなぁという感想を抱いているような気がして。上の本は少し古いけれども、そういう向きにビビットに響く本ではないかと思います。

加えるに、本書は経済学者の松尾匡さんも鼎談に加わっています。あんまり世間的じゃない経済や財政のあれこれについてわかりやすく説明してくれています。ちなみに「世間的じゃない」は褒め言葉。世間的っていうと、国の借金だとか、財政健全化とか。

僕は期待を込めて旧民主党に一票を投じたんで、責任の一端は負っています。当時なにも考えていなかったけれど、彼らが最初に始めたのは事業仕分けで、つまり民主党政権は緊縮財政を意図していたんですね。言われるまで気が付かなかった。あとから考えれば、財務大臣に与謝野さんを据えたり、野田さんが消費増税を確約したりしてるので明らかなんだけれども。

当時は全然考えてなかった。そこに驚きなのよ。

僕はふわふわと時制に流されている。仕方ない。ふつーの人だから。眉目秀麗なれどもな。


本書の松尾匡さんが危惧されたのはオリンピック後にインフレになって量的緩和が打てなくなることでしたが、幸いなことに外れています。まだデフレであるし、そもそもオリンピックはできるのかしら。まだまだ国債刷れるんだわ。


金を配ることを決意して、配る方法を検討すべき時なんだと思うんですけれどね。

Go to政策だってそうだった。しかし、それが破れた今、左派は対案を持っているようには見えないんだよね。