2026年1月17日土曜日

檻で泣く、奇妙な怪物 - "Even In Arcadia" / Sleep Token

皿洗いのときは、だいたい音楽をかけている。
だらだらしている7歳がこんなことをいう。
- おとうちゃんはこのごろ、この人の歌ばっかりきいてるね。 好きなの?
- うーん。たぶん。そうなのかも。

後ろでは4歳が
- ぼく、音楽きくと、おどりたくなっちゃうんだよねっ

といって、くねくねしている。
君については、おかあちゃんに歯を磨いてもらって早く寝なさい。



彼らを認知したのはオジーのBack to the Beginnigのステージ動画。
仮装したV系みたいな人たちがいるんだなと思って。

そうはいっても知らないものだから、まずは聴いてみたわけだ。

あんまり最初の印象は良くなかったのかな。きれいで整っている。悪くないね。そんな感じ。あと、彼・Vesselの声は僕の中ではオジー声という印象。
低くて太くてのっぺりとしている。さすが帝王。誰をステージに招くべきかわかっている。


そんな感じで折に触れて聴いて、じわりと侵食された感がある。
端的にいってハマってしまった。

まず耳を惹くのは楽曲の多彩さ。メタル耳なので、派手にディストーションがかかったリフだとか、プログレ的変拍子だとか、そんなところを聴いてしまったけど、それはこのレコードのごく一部でしかない。
R&B、ゴスペル、ゴシック、アンビエントあたりがごちゃっと投入された闇鍋が、レコード一枚分展開される。

楽曲は総じて短尺で、奇妙だけれどとっつきやすいメロディ。演歌的なクサさすらある。難解で拒否される音楽ではない。でもその構造はとても複雑。
なにかしらのメロディができたとしたら、夜中に人知れず小人職人集団が分業でせっせと脱構築・再構築を繰り返したらこういう楽曲になるのかもしれない。どの曲にも耳を惹くフックが用意されている。

ミックスで重視されているのはドラムをはじめとしたリズム、そして声。
リズムトラックはすごく聞きやすく配置されていて締まった音。リズムに追い立てられているというか、弛緩を許さない種類の音楽。
彼らのジャンルをどう形容したらいいのかよくわらないけど、不要なら生ドラムだってギターだって簡単に外しちゃうし、必要ならブラストビートを叩かせ、高速リフも刻ませる。
その融通無碍な着脱可能さはバンド・オリエンテッドではなくて楽曲・オリエンテッドだから、という理解。たぶん、いいんだろうと思うけど。
実際、メンバーがどう思ってるかは知らない。前作までは、もう少しメタル然とした音の作りでバンドサウンドとしては減退している。もしかしたら僕は、メタルバンドが解体されていく過程を見ているのかもしれない。


R&Bって独特のリズム感で歌われるからヴォーカルの技量的に高いような気がする。声の出力とか個性に頼らない歌い方。
その点、R&B的なパートもVesselはそつなく歌いながら、同時にメタル/コア的なスクリームもこなしてしまう。最近の若い子は本当にすごいんだよ。
彼のスクリームはデヴィン・タウンセンドを想起させる。グロウルみたいなやつじゃなくて、仄かにメロディの匂いを残したスクリーム。

僕は割とオジー声を嫌ってしまう。だってオジーの声って野卑で何も考えてない感じがするじゃないですか。なんだか、生暖かくてのっぺりとした奇妙な怪物の声でしょ。
でも彼のオジー声は、聴いているうちに気にならなくなってきた。声の太さはこのレコードに安定をもたらしているし、このレコードに必要な存在だと感じる。

小人的職人集団を統べる小人的プロデューサーが作り上げた、一切の譲歩も温かみもない、徹底的な構築美の中で、「生暖かくてのっぺりとした奇妙な怪物」の彼こそが、温もりを与えてる存在ではないか。


遅刻が許されないリズムがあって、編み上げられた確固たるストラクチャーがあって。
その場でなお、彼は泣いているように聞こえる。
その不思議さはどう形容しよう。
システムにとじ込められた感情の埋み火、とでも言おう。
その哀しみをどう形容しよう。
ジャンルも文脈も違うけど、ジェイムズ・ブレイク的哀しみと名づけよう。

ある感情が放っておかれ、辺りに漂う感じ。
コロイドみたいに、いつか沈殿する時を静かに待つ感じ。
壊れても癒えてもいなくて、ただそこにある感じ。

悲しいから歌うのではなく、歌われている状況・状態が悲しい。
その感情への説明は一切ない。
感情がただそこに「ある」ことを、僕は感じる。
背後には厳密に刻まれるリズムがあって、むしろそれがあるから、彼の声の細かな震え・余韻に耳がいく。だからこそ、このレコードのピントは彼の歌にぴたりと合わされている。


彼ら、信者がいるらしい。なんとなくわかる。それこそV系的なしぐさだと思う。
僕が10代だったらなっていたかもしれない。

彼らが非実在存在であったとしても僕は別に驚かない。AIミュージシャンだっているし。
実在存在であったとして、器用貧乏の可能性も否定しない。「何でもできること」はレコードの充実とは一致しない。
加えて、僕は崩壊の途上にある徒花を見ているような気もしている。

それでもなお、このレコードは聞くに値するものだし、それ以上の何かがある。


そう感じるんですよ。お皿洗いながら。
7歳には言わないけど。