ブログのエントリーでもなんでもよいのだけれど、一つの主題を設定すると、関連するエピソードが無数に思い出される。そうなんですよ。僕って。
書いていくのは、僕にとっては結構楽しい作業だったりする。昔を思い出すのは楽しい。当時思いつきもしなかった側面が発見できたりするし。そうやっていくつもエピソードが浮かんできて、割と楽しんで書いている。しかし、それは本当に主題について書いていることになるのか。僕は少し悩む。
テーマから生成されるエピソードはたいていは断片的で、断片たちが物語として編まれるくらいの強度があるかどうかはまったくわからない。
結果としてうまくいく場合もある。いくつかのエピソードが物語として連結できれば。でもそれができなければ、ただ思い出を思い出して一人で楽しんでいるだけ。もちろん、ブログくらいならそれでいいのだけれど。でも、何かしら結論めいたことを書きたいけれどエピソードたちがが結論に導いてくれない場合、僕はけっこう呆然とする。なんだ、一人で書き散らしただけじゃないかと。
じゃあ、主題に沿って話を書いていけばいいとも思うんだけど、僕は書き始めに結論をもっていない。というか、書きながら思考しているから、筋書きに沿って書くという行為が原理的に不可能だんだ。
困った!というほど困ってはいない。でもハズレの日はクソみたいな細かいエピソードを書き散らして、どこにも行けないクソの山ができあがる。あたりはずれが大きすぎるというか、生産性が低いというか。このブログにしても未公開のエントリー(クソ)がどれだけ積み上げられていることか。
原理的に論理的に書けないなら、もうそれは無理ですよね、ということにしかならない。病気というより個性ですよそれは。今日もクソの山をこさえてしまった。まったく困ったものですよね。と思いながらグラスに残ったウィスキーを飲み干して、頭をふりふり寝所に向かうしかない。
エピソード記憶を思い起こし、接合できるポイントを探して見つからない。この種の所作っていうのは、なんだか事物の外縁部をぐるぐる回る行為のように思える。簡単に言えば徒労だな。
断片をブリッジするような通し糸が見つからないと考えると、ちょっとした問題のように思えてくる。たとえば思考能力の低下。思考能力といより主題を維持するに必要な握力の低下とか。書いていて結構深刻な気がしてきた。
そのようにして、今日のエントリーができあがりました。主題に対しては割と実直に書けた、クソみたいな文章、というのが自己評価です。