2025年12月30日火曜日

いま・ここでLostprophetsを聴く意味

年末なのに年末にならない。重い宿題残しちゃった気分だ。

イアン・ワトキンスが死去したニュースを聞いて、胸がチクリと痛んだ。

まず最初に言っておくと、イアンがやったことについて酌量の余地は一切ない。彼は牢獄にぶち込まれるべきことをやったし、その行為は一切許される内容を含んでいない。


2000年代中盤はLostprophetsをよく聴いていたことは個人的な事実として残っている。2010年?それくらいにイアンが逮捕されたニュースを目にして、そっとライブラリから削除した。15年くらいは聴いていなかった。

ニュースを目にして、Radditを見に行った。
なんかすごくわかるコメントばかりで、ちょっと気分がほっこりした。
僕がやったこと/思ったことは彼らとよく似ている。

Does the death of Ian Watkins change your decision whether or not you are listening to lostprophets songs?

僕がやったことは音楽ファイルの削除。CDはまだ実家にある。
でもその行為自体、少し後ろめたい気持ちでいた。

なぜ後ろめたいんだろう。
児童性愛者の音楽だから?
犯罪者の音楽だから?
たぶんどちらでもあるのだろう。
僕自身が、何かしらステートメントを残せば、もう少し後ろ暗い気持ちにならなくても済んだのか。

問題はそういうことなのか。少し違うような気がする。

犯罪を犯したから。
世間体が悪いから。
僕のライブラリに置いておくのはなんとなく気分が悪いから。
僕はファイルを削除した。
そして、その削除の判断にあたって、僕はファイルの中の音楽への評価を脇に置いた。
後ろ暗い理由はたぶん、これなのだろう。


僕は、音楽に対しての評価を隠して、手近な社会的正義を召喚して振りかざした。
僕自身の欺瞞や卑怯さを、イアンの罪状をダシに、こっそりきれいに埋め立てたのだ。

きれいに埋め立てて。蓋をして。
それで終わりと思うなよ。

イアンの死に接して、思い出されたのはその音楽の強度だった。

屋根の上から飛び出せ。
身の中のあらゆる蛮勇を奮って。

日本語話者の僕としてはそういう意味として受け取った。

2006年当時、20代後半の独り者にはそれは強烈なインパクトだった。
当時の僕は知恵も打算も蛮勇に優っていた。蛮勇を振るう体力もなかったし、そもそも恵まれていた。屋根から飛び降りる理由はなかったのだ。
自分にないものを探すような気持ちで聴いていた。
自分ができない飛躍をこの歌に仮託していた。

だから、15年くらいの時を経て、まるで昨日の続きのようにこの曲が聴けてしまった。


僕はもう少し姑息で卑怯だ。その瞬間だけを切り取ればセーフ、みたいな。
前後関係を切り落とされた、ただ、その瞬間の思念です。みたいな。

そうであれば、僕は、この歌は、救われるか。
違うだろう。


そんな種類の過ちは世の中にごまんとある。そして被害者が今、この世界・この瞬間に世界のどこかにいる。僕はそのことを忘れるわけにはいかない。

一方、それを高レベル放射性廃棄物みたいに取り扱っていいのか。誰も触らない、宙吊りの存在として、僕はきれいさっぱり忘れることができるのか。
それもやっぱり違うのだろう。


どんな骨も、誰かに拾われるべきだとも思う。
焦点はもう絞られている。僕はこの骨をどう扱うべきか。
考えるべきことははっきりしている。