2009年9月27日日曜日

ヨハネによる福音書

わたしの愛にとどまりなさい。
これらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなた方の内にあり、
あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。

持って帰ってきた結婚式次第に書いてあった。

あなたがわたしを愛していたことは、わたしは気がつかなかった。
あなたの愛を、わたしは受けていたのか。
そうだったのか。
愛されていたことに気がつかなかったとしても。
事後的に聞かされる、届かなかったメッセージ。
事後的だからこそ、より強く届くように思える。

よい結婚式だったんだよ。

2009年9月26日土曜日

武田邦彦の最大の欠点は、その言葉に希望が持てないことだ。

根拠を掘り崩す作業は、大切なことかもしれないけれど、夢がない。

値相対的な虚無感とそこはかとない怠惰のにおいがする。

彼のことはどうでもいいけれど、 ま、導入にはよい。


群馬県の決議に関しても、通ったらどうなるか。
勝利の余韻とともに、ゆるい虚脱感と退嬰感が漂うだけじゃないのか。
経団連の主張が通っていたらどうか。 救う会ならどうか。 同じことだ。


反応としては、シェルショックに近くて その決定自身は彼らをどこにも導かない。
後に引けないという、へんてこな決定主義だけがそこに残る。
たぶんそれはしんどいし、もしかしたら、甘美な感情かもしれない。
でもやっぱり、それは彼らをどこにも連れて行かない。


ただ、 ふつうに生活できればよくて、
たんともうけられればよくて、 愛する人がかえってこればよい。 
それだけなはずでしょ。ほんとうは。


その被害者に固着している人を引き剥がすのは難しい。
シェルショックの穴倉から追い出すのは難しい。

追い詰めるのではなく、固着した人を救い出す方法を考えるのが大事だ。