2016年4月21日木曜日

忘れないで欲しい、ということ

そんなことが言われる。
記憶を風化させないように、と。

なにしろ悲劇はしばしば起こるので、「忘れないで」が溢れかえっているように思えてしまう。10年ぶりにテレビが導入されたせいだろうか。
たくさんの「忘れないで」は、なにしろたくさんあるから、昔の「忘れないで」は、新しい「忘れないで」で上書きされてしまう。そんな感覚がある。
僕は、あといくつの「忘れないで」に出会うのか。

ところで、人はなぜ「忘れないで」、と願うのだろう。

東日本の時も同じことを思っていて、僕自身、うまく答えが見つからなかった。
そうそう、大阪にいたあのときだ。




経験知として「忘れない」ことには、それなりの意味があると思うんだよ、もちろん。忘れて、過ちを繰り返してしまうのが人間ではあれど、少しでも悲劇は避けたいもの。
テレビを通してみる「忘れないで」は、将来の僕かもしれない。そういう意味で、忘れないほうがいい。

でもテレビから見る人々の「忘れないで」は、それとは少し、意味が違うように思う。
元来、僕は忘れっぽくできているので、そんな風に語る人の顔すら、すぐに忘れてしまうのだけれど。
その出来事が、僕が恍惚の人になるまで記憶されるとしても、その人々のことを忘れないのは不可能だ。テレビの向こうの誰かさんだって、僕が忘れたことをわかるまい。そもそも僕と彼は他人同士だし。
僕と同じようにそこに住まう人がいたし、いまも居続けることはわかる。でもそれは「忘れない」こととは違う。

どんな出来事だって記憶は徐々に薄れ、風化する。「忘れないで」は、そうした風化に抗うものなはずなのに、そもそも言葉そのものが遠慮ぎみだ。奥ゆかしいというか。

やっぱり、もうすこし、違うのではないか。あの「忘れないで」は。


考えあぐね、狂言の「隅田川」を思いつく。

たしか、「女ものぐるひ」はお経をあげているときに、なくした子どもの幻影を見るのだ。抱き寄せようとしても、抱き寄せられない。やがて朝になり、子どもの幻影は消える。「女ものぐるひ」たる母親は、悲嘆にくれる。
たしか、そんな筋だ。たしか。てきとーだけど。

「女ものぐるひ」は、確かに物語の語り部ではあるのだけれど、それ以前にひとりの母親。そしてこの物語の聴き手として在原業平さんはいる。彼が聞くことによって、この話は転がるのだ。「ものぐるひ」ではなく、ひとりの母親としての姿が現れる。

この話ではその後のことは語られない。母親は失いっぱなし。しかしきっと、彼女にだって、後日談はあるだろう。
短い時とはいえ、我が子の幻影に接した経験は、彼女にどんな影響を与えるだろう。ひとりの「人」としての彼女のその後はどうであったか。
それくらいの妄想はしたっていいだろう。

ハッピーエンドではないにしても、この物語をきっかけに、とにかく話は転がる。というか、転がれ。そう願う。
「転がること」が大事なのではないか。ふと、そんなことを思う。



なかなか興味深く読めました。
なぜ、被災地で「幽霊」がたくさん出るか 16.4.2016   金菱 清 プレジデント
被災地の人々は、曖昧な喪失を大切に抱え続け、終わったこととして自分の中から消し去ろうとしていない
うむ。


僕は、すべての「忘れないで」を聞くことはできない。また、すべての「忘れないで」を覚えていることはできない。その上で。
「忘れないで」は「お前は忘れるな」というよりも、「私は忘れない」というステートメントなのではないか。そしてその、「私は忘れない」という決意を、誰かが聞いてあげたほうが、きっといいのだと思う。
聞き届けられることで、話が転がっていけばいい。というか、転がっていけ。

だから、これからもたくさん聞くことになるであろう「忘れないで」に、耳を傾けていこう。覚えていられないくらいの、たくさんの声を。それなりに。真剣に。

いやね、都合のよい解釈だな、と思うんですよ。業平さんのように男前ではないしさ。
僕にできるのはせいぜい、これくらいのものですから。



あなたの声はちゃんと聞いた。きっと僕は、そう応えよう。テレビのこちら側で、心のなかで。
そして、明日が今日よりも、少しでも素敵な一日となりますようにと、そう願おう。テレビの向こう側へ、心のなかで。