横の人が泣いていたりして、感動的な作品だった。
あ、僕は泣いてないよ。汗かいたんだよ。
最初はフッテージなんかみてどうだろう?と思ってたのだけれど。
印象的なのは生きたマイケルの歌を聴いたということ。
生(映画なんだけど)のマイケルの体温を感じる。
バックの人の演奏はレコードではあんまりちゃんと聴いていないから。
ライトハンドが上手なGのおねーちゃんをはじめ完全な玄人集団の様相。
Dsの人とかすごくタイトでうまい。
マイケル本人は、その時、完全に準備ができていた。だから映画にできた。
ダンスはもちろん、声も僕の知っているマイケルのそれ。
あ、デンジャラスからだ。僕は。
どうもBadは出だしで志村けんが浮かんできてだめだ。
マツタケマンなのよね。。知らない人ごめんね。
インビジブルが最後だっけ?あの人、都合10年くらいは歌ってなかったような。
声って変わるじゃない?それがさ、全然ないから。
完璧なステージを作るための、他の演者のための準備、という印象。
というか、この映画のためのリハーサルのようにすら。
映画の中でマイケルはしばしば、愛、LOVEを口にする。
スタッフとかよく周りの人びとを祝福している。
僕は、ちょっと陳腐すぎやしないか、いいおっさんなんだから、と毒づく。
バックステージで彼がどれだけ汚い言葉を使うのか、僕にはわからないけれど、
映画の中の彼は、紳士、というよりもむしろ純粋。
そんな仕草が印象に残った。
ro誌にしばしば寄稿する一條さんは、妖精を引き合いに出し、
「信じる人がいなくなると、妖精は死ぬ」と述べた。
細かいディティル忘れちゃったんだけど。
このことは、僕の皮肉な視線を逆照射するものでもあって、
さらにいえばゴシップまみれだった彼自身をも逆照射するものであった。
まったくなんなんだ、と思う。
どっちがフェイクかとかはたいした問題ではなくて、
たぶんどっちも正しいということが問題なんだと思う。
ゴシップのネタを振りまきながら、愛を信じて周囲に伝えるマイケルと
アイロニーを手放すつもりもないのに、彼の言葉に心を動かされる僕自身に。
human natureで環境問題がすごく気がかりというマイケルのコメント。
シニカルな僕は月並みなことを、と思う。世界有数の浪費家が、と思う。
そういえば彼は(彼の歌も)いつも月並みなことを言っている。
リハーサルの最後の場面だろうか。スタッフと団結ガンバローのシーン。
「4年間で世界を変えよう。心配しないで。」と彼は言う。
彼は本気だったんだろうか。ほんとに世界を変えてくれるはずだったんだろうか。
うまくいかないところがみたかったのか。僕は。ネタにするつもりだったのか。
でもそうじゃない気がするんだ。
ちょっとアイデンティティがグラグラする経験。
久しぶりに頭を使っている感じがある。クモの巣はってた。
トムヨークみたいに、何も変わらないことを理由にして
何もしないことを批判する姿勢はすごく共感できる。
でもマイケルのそれは、ちょっと僕にはわからない。
根拠がまるでないし、思いつきのようでもあるし。
でもちょっと信じたい気がした。
なんで信じるに足るのかしらん、と思うのだけれど。よくわからない。
それはきっと、彼が妖精だったせい、かもしれん。
偽善者と偽悪者のどっちがいいか、についてパオロ先生は、
偽善者に決まっている、と答える。あたりまえだ。
とすると、あいつは偽善者だ、という指弾は有効か。無効だ。あたりまえだ。
偽善だろうとなんだろうと、善きことをしたほうがいい。
彼の「この後」がみたかったな。そんな感想を持ったよ。