2017年3月22日水曜日

兄について

追記:"兄"は亡くなった。
いずれ、年老いた彼にどこかで会うのだろう。そして、彼は変わらず元気なのだろう。
根拠もなく、そう信じていた。
所在のない思いだけが、辺りを漂う。



僕には兄はいない。姉と妹だけだ。
まあ、兄のような人の話である。
彼の名をソンさん、という。




まったくあやしい人であった。どちらかというと人相の悪い、多弁でチョビ髭の男。
俺は、こいつに確実にだまくらかされる。初見でそう思った。

実際のところ、彼は当地における僕の保護者であり、推定監視人でもあった。
もちろん、僕を騙したりはしなかった。
しかし、じゃぱにーずれすとらんを開いて、一緒に大儲けしようとそそのかした。
まったく軽薄な御仁である、と思わざるを得ない。

そう、彼は軽薄な男である。


しかし、大きな愛に満ち溢れた人でもあった。
身の内に秘める愛が大きすぎて、隠そうにも隠しきれず、また、当人としても特に隠そうともしなかった。当然の帰結として、成分が残余として漏れ出てしまい、結果として彼は外見的に軽薄なのだ。
一方、彼は勤勉な男であった。独学で英語をマスターし、僕が帰国の頃はカマウ在住のドイツ人をつかまえてドイツ語を学んでさえいた。かつては熱心な共産党員であったとも聞く。
彼は、妻と子どもたちを愛し、支え続けた。
軽躁さと真摯さが絶妙なバランスで入り交じりつつ、やや軽躁さが勝るのが彼であった。


考えてみれば、ずいぶんと長い時間、彼と過ごした。他愛もない話をたくさんした。
そもそも、英語を使って誰かとコミュニケーションすることを教えてくれたのは彼だ。文法なんててきとーでいい。一生懸命話すんだ。楽しく話すんだ。
云っていることが何一つわからない。何一つ喋れない。ベトナム語はおろか、英語にすら汲々としていた当時の僕を、彼は自らの流儀と態度で救った。
このことを思い出すことで、今の僕までも救い続ける。
こんなことなんでもないじゃないか、と。ソンに肩を叩かれている気がする。


そして、たぶん、おそらく。
彼のまっすぐな親しみを、僕はまっすぐに受け止めることができなかった。奥ゆかしい日本人であるからして。
確かに僕らは彼のお家で飯を食い、ビールを飲み、いろいろな話をした。でも、まっすぐに受け止められたか。受け止める度胸があったのか。
気がついたのは、そのことを悔いている自分の存在であった。

僕は、あの軽薄な男の足元にも及ばない。

彼は今、病床にある。
そのメッセージを受け取って、これを書いている。



僕の住んでいた村から、日差しの強い道を砂塵を巻き上げ(残りの半年は雨に打たれながら)バイクで1時間半。省都にある彼の家につく。鉄柵をくぐり抜け、バイクを小路に入れる。
僕は彼を呼ばう。ニヤニヤした顔をした半裸の彼が家から出てくる。ばんばんと痛いくらい僕の肩を叩く。フミ、元気か?ウミンの生活はどうだ?


涼しい日陰のベンチに僕を誘う。ベトナムによくある、コンクリートでできたやつだ。
灰皿を持ち出し、タバコを勧める。
お前のは強すぎる。身体に悪いぞ。これを吸え。
愛用の黒猫ちゃんではなく、台湾か韓国だかの、細巻きのタバコを二人で吸う。

通りから離れてしまうと、喧騒は遠のく。
奥さんがお願いしてくれたと思しきカフェが運ばれてくる。
僕らはタバコを吸いながら、ぽつぽつと互いの近況を語り合い、冷たいベトナムコーヒーを飲む。


遠い遠い空の向こうにある、静かな小路のベンチ。
心地よく吹き抜ける風を、僕は思い出している。