2010年5月9日日曜日

連休の至福といってよい

ごろごろしながら本読むってステキ。


日本の製紙会社は大雑把にいって二つの会社がある。王子製紙と日本製紙だ。この二大グループは戦前、もともと一つの会社だった。財閥解体で細切れにされ、六〇年かけてようやく二つにまでなった。

ところで、なんでパルプ会社が財閥解体にあわなきゃならんのか。僕は今ひとつ理解できなかった。パルプ産業の始祖は、本当は渋沢栄一なんだけど満鉄あたりから脇道へそれ、実質的な母体は亜細亜産業/亜細亜パルプという会社であったという。国策会社というか右翼会社。現在ではなんとも理解し難い組織あるようだ。実質一社しかなくて、集中排除法なわけだから、いいのかもしれない。

イメージ重視で非常に恐縮だが、東京の東北部は僕にとってかなり怖いイメージがある。王子とか北千住とか十条とか。製紙会社が乱立しているあたり。埼京線で池袋より北にいくと突然さみしくなる。そのあたり。カントリーサイドオブトーキョーの出身だからか。

東京の古い工場地帯であり、あまり治安がよろしくないイメージ。でもこういうところは物価が安くて住みやすいらしい。緑ある都会を演出している府中とか、牧歌的すぎる東久留米とは空気が違う。就職活動で日本製紙を受けたときに建物は真新しさと、周囲とのギャップが妙に気になった記憶がある。

そして下山事件の舞台も北区の十条とか王子のあたり。僕、心霊にはあんまり縁がないけど(怪談話はスキ)、地霊・地縁にはけっこう興味あります。ゲニウス・ロキ。

「下山事件~最後の証言」柴田哲孝

児玉誉士夫とか田中清玄とか白洲次郎とか「戦後の日本史を代表する何したかサッパリわかんない人々」が列挙されるのがなかなか壮観である。読んでもやっぱりわかんない。

 僕が怖いと思う印象と下山事件の不可解さは割とあのへんの印象とかぶるものがある。ふと気になって犯罪発生率を調べたら、北区は普通でした。となりの足立区が大変なようですが。街の印象と履歴(にしては割と新しいものだけど)は割と気にするほうなので。科学的な視点とは言えません。殺伐とした東久留米市民は4万人くらいいるでしょうから。

思うのがエピソードを読むと活写劇のように不思議と生き生きとしていること。不謹慎の謗りは免れまい。ごめんなさい。「大陸から財宝をかっさらってきた」などという記述をみると、もはやワンピースのようである。こんなの海賊である。戦後、右だ左だとかいっているうちに定型化/定常化が進行した感はある。だから妙に新鮮に読めてしまうのかも。今ごろ白洲次郎が称揚されてみたりするのも同じ感じだろうか。定形に飽きちゃった。国境なんて超えてやるゼ、みたいな感じだろうか。同時に、定形が「越えられない壁」になっている印象も強い。フテンマとかね。あ、くどいですか僕。

ルフィは思想を語っているか。いいや。でもなお魅力的ではあって、海賊王になりたいかといえば、吝かではない。つまり、思想なんてホントのトコロどーでもいいのかもしれない。「「先生」は思想的にはゼロの男さ」(@羊をめぐる冒険)

でも、やっぱり血が流れるって現実ではすごく悲惨なことだ。基本的にルフィは超タフだからさ。フィクサーたちの行状が僕らには「よくわかんない」のは、ちゃんと語られてしまったらすごく身も蓋もないから、じゃないのかと僕は推測する。そもそも僕らはちゃんと「血が流れる」こともよくわかってないわけで。