2010年8月29日日曜日

責任がある

「民主党に投票した人は、結果に対して責任をもてよ、最後まで支持しろよ」

と、友人がクダを巻いていた。彼は、霞ヶ関で働いて居て、しかもその時は割と酔っ払っていた。
彼の忙しさがどれほどのものなのかよく分からない、大学時代スタミナの塊のようだった彼は
すごく痩せていて、確かに疲れていた。

僕は責任を持つ、と応じたよ。投票したもんね。これ以上はたまらんとおもったからね。


僕が民主党に投票したのは、たぶん政局政局の繰り返しにウンザリしたからだと思う。
自民党内でくだらない足の引っ張りあいをして、グジュグジュと決めたんだかよくわからないことを言う。
君らはもうよい、とおもった。ちゃんと政策を話し合えと思った。
だから投票したんだと思う。
そういえば、選挙権を得てから自民党に投票したことないや。はは。


思うことは二つくらいあって、一つはやっぱり選んだ結果に責任をもつべきだということ。
くるくる支持を変えるということは、なにも変えたくないという意思表示にちかいのではないか。
負けるにはそれにふさわしい要因が確かにあったことはまちがいないけれど。
くだらない無用な政局を作り出しているのは、僕ら自身ではないか。

そして代表戦は結構なことだけれど、衆院選を経て一年間、君らはなにもしていない、ということを言いたいな。
本当になにかを変えるような決断を果たしたのか、それが実績か。そう問いたい。
結局、君ら自身も政局と戯れているだじゃないのか。
それじゃあ自民党とまったく変わらない。
なにもしていないくせに3回も首相が変わるような政党だったら、さすがに愛想つかすね。

2010年8月24日火曜日

ワイヤレスキーボード

使って見ました。
現在Ipadを使用中なんだけれど、入力操作の違和感が解消されなかったので。
タッチ式のキーボードは場所を取らない。それはたしか。
でも、短文ならまだしも長文を書くのはとってもしんどかった。
非常に好調ですね。これ。
いい感じ。

2010年8月23日月曜日

フジフリカエリ10


天日干ししっぱなしの寝袋をしまう。ようやくフジ終了ということで。
また僕の車には第1駐車場の入場券が乗ってるけどね。残り香。

昨年は酷い雨だったけど、今年もフラれちゃった。
昨年豪雨で通行止めとなった、ホワイトステージへ至る仮橋は盛土して高くなっていた。盛土周囲はトンパックで補強し躯体は鋼板。仮設工というよりは本設。僕の現場ではまずできない。お金ないもん。
いい仕事してるね。でも高いぜこれ、という土木トークをいっこ主任と。
グリーンステージにクラッシャーランt20で敷いたらもっといいと思う。ちゃんと保安林の作業許可を提出いただいているとの掲示があったので、こちらも安心してモッシュできるというものです。


以下順不同

○them crooked vultures
デイヴ・グロールのドラム。
キットを「ぶっ叩いている」感じが非常に心地良い。繰り出されるアタック音は、今回聞いた中でダントツでかい。にしてもデイヴ先生。リストの強さというか出音の大きさが規格外。よくあれでバックコーラスとれますね。

兄さんからもらったレコードを聞いてみると、そこまでデイヴのドラミングは印象に残らない。とはいえタイトだしScumbag bluesのスネアの音は凄い。
けれどライブを見てないとそうは思わないだろうな。ジョシュ・オムのVoよりもデイヴのコーラスの方が声がクリアでして、そこはさすがのフーファイなわけだな。
フーファイでもデイヴが叩いてデイブが歌えばもっと説得力が出るかも。

もう日本に来る機会はないと思われる(観光ならあるか)
御大ジョン・ポール・ジョーンズもさすがの演奏を披露。見かけは老夫。ベースを下げると伝説の男。キーボードを弾く姿はやっぱり老夫。
こちらはレコードでこそ、強くつえっぺりんを感じるのです。非常に豊かなベースラインで楽しませてもらいました。いいかげん再結成しちゃえよ。


○atoms for peace
フリーのせいでファンキーになってしまったこのバンド。the eraser という繊細で複雑なレコードに肉付けがされた印象。血の通った演奏、これが本当の姿、なのか。
とはいえ、レコードにはまるで精細な静物画を思わせる冷たくて、鋭く切り取られたような風景が収められていて、それはそれで圧巻であると思うんだけど。

分かる部分と分からない部分で揺れながらみた今回のステージ。個人的に正直Radiohead は時に不快だ。理解できない部分が多い。聞いててイライラしていることもある。理解できる部分は共有できる部分なのか。あるいはセルアウトされている部分なのか。

僕は退屈している時間はあっても、飽きている時間はない。
打ち込みの鎧を脱いで剥き出しになった”video tape”を聴いて、確かでやわらかな
質感を感じることができた。とにかくトムは子どもみたいに楽しそうだった。
僕が40歳になったときにこんなに楽しそうにしていられるといいと思う。


○Jamie Cullum
彼のHigh and dryが聞きたかったんですよ。ああ、聞けてよかった。twenty somethingも聞きたかったんだけど、聞けて嬉しかったけど、もう僕はtwenty somethingではないから。
土曜はいろいろあって、やっと行動開始が午後4時。日中の強い日差しが陰りはじめた時間帯にジェイミー登場。ジャズピアニストとしての彼は、非常に現代なプレイヤーに映る。
ビル・エヴァンス以降のひとつの潮流。ダークなフレージング云々。

が、ロックの耳で考えると、彼のフレージングは単にギターのリフなのだ。すごくいい意味で。職業ジャズピアニスト/シンガーは単なるロック大好き少年 でした。

ピアニストとしてのテクニックはもちろん凄まじいし、歌もうまい。終始無邪気でうれしそうな表情に婦女子はイチコロだろう。なにより本人の満面の笑み。ステージを全力で楽しんでいたので、こちらももちろん楽しかった。
もうちょっとやるぞーの(本人志願の)アンコールも素敵。踊りながら陽光を受けて飲むビールは格別に美味しかったよ。




○Local Natives
ライブバンド。
Voがフレディに似ているという話をしていて(口ひげね)、聴いてるとほんとにフレディの声に似ているような気がしてくるから不思議。あとでレコードを買ったけれど、レコードからは ライブでこんなに複雑なことをしているのは伺い知れない。
正直あんまりレコードの音も良くない。分離が悪い。

来年のアースセレブレーションで鼓童と共演したらいい。キレがあってボトムがしっかりしているライブで見てよかった。頻繁過ぎるパートチェンジ、太鼓たたきすぎ、4声ハーモニーをつけすぎ。

でも”Shape shifter”は佳曲。すごく練られている。激賞。
曲調は明るくないのに、なんか励まされている気がするな。


○Bell and Sebastian
申し訳ないが初見かつ初聴。
ベルはおそらくあのグラマラスな彼女であるとして、セバスチャンはどっちだい?あ、バンドなんですねというレクを受ける。Peace for atomsで個人的にはお腹いっぱいになっていて、
後は流しちゃってもと思いながら、なんとなくビール片手にホワイトに。予想以上に楽しめた。あんにゅい。いとろうたげ。そんな感じ。何かを思い出しそうな、かわいいメロディ。
Get me away here, I'm dying が僕は好きです。かわいい。2Dからもらったデータが多すぎて探すのに苦労しちゃった。曲調からは信じられない、このタイトル。



今年も楽しかった。
なんか僕らの周囲にいる人たちはいい雰囲気です。
ずっと前から知っている人も、初めてお会いする人も、
なぜか兄妹が揃うのも、全部が面白かった。
誕生日お祝いしてもらってとってもうれしかった。
ジャンパンとケーキありがとう。
なぜかホチキスをもらったのもうれしかった。
みんなでげはげは笑っている雰囲気が、僕はなんだかとっても大事です。
あそんでくれたみんな、ありがとう。

僕は来年行けるのかな。まだわからないけれど、
いつかのフジロックでまた会いましょう。

2010年8月21日土曜日

で、僕はどう違うんだい?

「 卵を支持するというのは、気分的なものではだめなんです。それなりの決意と、最後まで責任を取る覚悟が必要です。僕は地下鉄サリン事件の実行犯の裁判を聴いていて、そのことを強く感じました。この人達がやっとことはまぎれもない悪であり、許されないことだ、それでもなお僕は彼らの側に立ってものをしっかり考えなくてはいけないんだと。そのことで被害者の人に糾弾されたとしても、社会に糾弾されたとしても、その気持は変えられない。その気持が『1Q84』のなかにもずいぶん入っている。イスラエルのあの刃物が混じったようなぴりぴりした空気の中で考えたことは、僕がいま小説で考えていることにそのまま地続きでつながっています。もちろんここでけりがついたわけではなくて、僕はこれからもずっと同じように考え続けていくことになるでしょう。」

 「考える人」2010年夏号 新潮社 2010  村上春樹ロングインタヴュー  p98

 
 違うよな、それ、と思うことに対してどうしたらいいんだろう。
それは違う!といってみる。それもいいね。
ただ、そういった批判は「批判的であるムーヴメント」の中に回収されてしまう
無力感がある。いつもある。「批判的ムーヴメント」の本質は批判的であることだ。
僕がいまなんとなく思いついたんだから、僕が定義してしまおう。
とりあえず批判してみればいい。でも、その批判はムーブメントに回収され、
ムーヴメントの熱源に使われてしまう。消尽してしまう。それなんか残念だ。
それはある意味「壁」に与する行為になってしまうような気がする。

最初の「違うよな」の違和感が求めているのは、批判ではなく、
訂正であるような気がする。なんかうまく説明できないけれど。
であれば、求めるべきものはそうじゃない(より違和感の少ない)考え方だったり
姿勢だったりするのではないか。

ある種の姿勢を示すことというのは、責任が発生するんだろう。きっと。
言ったんだから、そうしろよ、と。
責任はめんどくさいのでいやです。と思う。めんどくさいもの。
じゃあ、自分の中にある違和をそのままにしておくのか。むむ。
僕には何が出来るんだろうか。

2010年8月14日土曜日

ひとまずは

よかったね、俺。
ということにしよう。

ちょっとさきばかり見てあせってしまう。
確定したことは確定ということで。
考えて見ると、 三年前の三月に上司と大喧嘩をしたんだった。
そのときは、絶対ここから出てやると思ったものだから。
ずいぶん時間がたってしまった。
そのときはno ideaだったわけだからずいぶんいろいろなことをした。
ほとんど形に残っていないけれど、僕もほとんどわすれているけれど、いろいろあった。
と思うんだよ。
まだ完成してなくて、ひっくり返される可能性も含みながら、
それでもよく頑張りました、と自分にいってあげよう。
今日ぐらいはね。

2010年8月5日木曜日

暑いから休みませう

暑いっていってもそれほどでもないと思っているのです。ほんとうは。
暑い、汗が出る時は、自分がなにか作業をしているときであるので、
何もしなければ、まあ、汗はしっかりかいているのだけれど、それほどでもない。
それほど不快ではない。

僕の場合はアトピー性皮膚炎なので、汗は猛烈にかゆみを増すので
猛暑日に僕に僕に作業をさせないで。
ベトナムいったらどんなだろうか、と思う。今年は海外旅行はしませんが。

今日言いたいことは、何も猛暑日に100歳以上のお年寄りを探さなくても
いいんじゃねえの、ということだな。例えばこれが半年遅れて、なにか致命的
な問題がでるか、といえばきっとでないでしょ。
生きている人は生きているし(熱中症に注意)、死んでいる人はずっと死んでいる。
違法に年金受給している人はわかり次第返してもらう。それだけだ。
だから目くじら立てることはないじゃない。なんで急ぐ必要があるのかしら。
暑いんだからさ。涼しくなったらやったらいいのに。
こんなに効率の悪い時期の仕事に残業代とか払うのが逆に市民としてムカつく。

2010年8月3日火曜日

佐渡→苗場→東久留米

絶賛夏休み中。
フジロックから帰省。
今年もしっかり雨に降られて、結構しんどい思いをしたものの、
まったく楽しいお祭であったと思う。
僕の足は偏平足である。たぶん、普通の人よりも使えれやすい。
女の子のショッピングに付き合うのが割と苦痛であるくらいのレヴェル。
友達の万歩計が35,000歩を記録していたという。
一歩60cmとして、ざっくり一日20kmくらいはあるいたことになるのだろうか。
これが3日として、60km。ほんとかな。けっこうな距離だけど。

東京は暑いね。みんな佐渡に来るといいよ。