「考える人」2010年夏号 新潮社 2010 村上春樹ロングインタヴュー p98
違うよな、それ、と思うことに対してどうしたらいいんだろう。
それは違う!といってみる。それもいいね。
ただ、そういった批判は「批判的であるムーヴメント」の中に回収されてしまう
無力感がある。いつもある。「批判的ムーヴメント」の本質は批判的であることだ。
僕がいまなんとなく思いついたんだから、僕が定義してしまおう。
とりあえず批判してみればいい。でも、その批判はムーブメントに回収され、
ムーヴメントの熱源に使われてしまう。消尽してしまう。それなんか残念だ。
それはある意味「壁」に与する行為になってしまうような気がする。
最初の「違うよな」の違和感が求めているのは、批判ではなく、
訂正であるような気がする。なんかうまく説明できないけれど。
であれば、求めるべきものはそうじゃない(より違和感の少ない)考え方だったり
姿勢だったりするのではないか。
ある種の姿勢を示すことというのは、責任が発生するんだろう。きっと。
言ったんだから、そうしろよ、と。
責任はめんどくさいのでいやです。と思う。めんどくさいもの。
じゃあ、自分の中にある違和をそのままにしておくのか。むむ。
僕には何が出来るんだろうか。