2014年3月9日日曜日

書評のつもりが単にねこ好きを開陳するだけになってしまった件:にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語

うちは、こと本に関しては恵まれていて、Newtonを購読してました。
出張で新潟行ったついで、久しぶりに購入しました。今は1,200円もするんだ。時期柄、ちょうどタイムリーな原発の特集で。

本当のことがわからない/嘘をついているかもしれない、みたいな疑念は震災後しばらく蔓延してて。今それほど問題にならないのは、その手の疑問が全て解決されたからだろうか。どうもそうではないように思うのです。

ウソをついている、と判断するとしても相応の理由は必要でしょう。知識の取得は今後の処し方にいくらか影響を与えるだろうし、自分がなるべくウソを言わない戒めとして、大切なことであるような気がします。まあ、単に船の中でのひまつぶしなんですけど。
まだ子どもだから/もうジジイだから、知らなくてよい、ということでもないような気がします。
セキュリティ・ホールが開きっぱなしっていうのはパソコンにしても、生活にしてもいささか問題があるはずです。



と、そんな気負わずとも知識は手に入ります。だらだらしながら手に入る。

「にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語」, サム・キーン, 朝日新聞出版, 2013

つまりあれだ。二重らせん、ワトソンとクリック、以上。

にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語
サム・キーン
朝日新聞出版
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丁装のきれいな本が好きです。


科学の歴史には当然たくさんの科学者が関わっているわけで、長く、分量も多い。遺伝学は比較的新しい分野だと思うんだけれど、それでも膨大だ。
この本はメンデルの法則からヒトゲノム計画や、クローンひつじのドリーさん、さらには流行りの遺伝子検査まで。歴史を追いながら遺伝学の概説のように読むこともできる。

それだけなら教科書と一緒で、お勉強になってしまう。本書は科学者の性格、当時の状況や議論の行方が細かく織り込まれている。
そりゃあショウジョウバエの研究なんかしてたらそうなるよね、というエピソードが目に浮かぶようで面白い。絶対やりたくないけど。
それにしてもどうしてこう研究者って、狷介な性格のひとが多いんでしょうか。なんだか身近になります。ああ、こういうおっさんいるわ。
研究に至る事情や、やったおっさんたちの人となりにが遺伝学という取っ付き難い分野でも手触りを与えているように思えます。
教科書はあくまでエッセンスだけを抜き出しているから早く学べる分、抽象度が高い。これが学問の近寄り難さなんじゃないかしら、と思って僕は結構いいことを云っている気になりました。

著者のユーモア感覚も冴えていて心地いい文章です。訳者がいいのかも。軽妙でユニークで、知的な語り口。こう、口の端が引き上がる程度の笑いがそこら中に散りばめられて。
なのでだらだらしながら、へええ、と読める「物の本」になっていて、いいですね。寝る前とかに。すぐ寝ちゃってなかなか進まないですけれど。


印象的だったのがねこ屋敷の住人の話。600匹以上のねこを飼った夫婦がアメリカにいた。ねこはトキソプラズマ原虫を持っていて、人にも感染する。
細かいことは一切省略するけれど、端的にいえば感染した人は、なんと、ねこ好きになってしまう、かもしれない、らしい。
なんてこった。

感染したからってとくに問題はないらしい。
ただ、ねこずきになる。かもしれない。らしい。
全世界の1/3はポジティブだというし、フランス、ドイツ、オランダなんかは80%を超えているとか。妊婦と子ども、免疫システムの病気があるひとは要注意とのこと。ねこずなをいじるときは手袋をしようぜ、だそうです。
Wikipedia-トキソプラズマ症


そういえば、ねこ、好きなんですよね。最近。
昔は圧倒的にいぬ派だったんですけど。
感染したかしら。これは。



乾いた風に吹かれるヨルダンねこ。行儀よく愛想もよい。アラブねこは和ねこよりも毛がみっしり生えているような。夏暑かろうな。



ベトナムでは一般的にいぬは愛されつつも食われますが、ねこは単に嫌われます。Meo(ねこ)がNgeo(貧しい)と語感が近いせいだとも。



カンボジアではあんまりそんなことはないよう。



話をそらした。
細胞内に格納されているミトコンドリアはもともと異生物だった、なんて歴史を振り返るまでもなく、生物の歴史は感染の歴史でもあり、遺伝子にその履歴が残されているという。ヒトとウイルスですら8%もの遺伝子を共有しているらしい。

ばっちいものに触らないことは、衛生上とっても大切だ。お腹壊したりするものね。でもヒト(僕はヒトだから、さしあたり)の歴史は常に他者との接触・感染の歴史であり、研ぎ上げられた免疫機構である。手洗いうがいとか、抗菌とか。我々は誰と戦っているんだろうか、と思う。僕の身体をなす多くの部分はかつての仇敵なのだぜ。
そうはいっても先日のインフルはひどかった。あれはしんどい。ダメダメ。負ける。手洗いうがい、大事ですね。


もうひとつには、これほど生物は互いに交じり合っていて、トキソのようにヒトの意思さえ操っている可能性がある。著者も触れているけれど、ヒトの自由意志とはなんだろね、と思いを巡らさざるをえない。
もし、意思を持った機械がいつかできたとしても、トキソは感染しないだろうから、彼(機械)にねこ好きの気持ちはわからない。してみれば、そういった合理的でない何かが、人たらしめているような気がしてならず、よく出来たアンドロイドとヒトを分かつことになるのではないだろうか。
ガンダムで出てくるハロとか、実にねこ的な機械じゃないか。

どうも僕はニュータイプになれる見込みはなさそうだ。


それはそれとして、僕はこの、だらりとしてかわゆい異生物をどう扱えばよいのだろう。
けっこう切実な悩みだぜ。


そう、書評だった。興味深いテーマと語り口で、けっこう難しい遺伝子の世界をざっくり紹介する本書。注釈もすごかった。長い。メンデルの法則から順に(・∀・)ニヤニヤしながら学べ直せてしまったり。こぼれ話が読めるところも秀逸、というよりもむしろ本の体裁を整えるためにむりやり注釈に回したんじゃないか。

冒頭、著者自身が遺伝子検査について触れていて、文中では遺伝病と思われる疾病を抱えていた偉人たちについて考察する。しまいには自身で受けることを決意する。
メンデル、ワトソン-クリックの時代から比べれば現代の遺伝学に関する知識ははるかに多い。だから、彼らの手法のあやまりや未熟さをけっこう高い位置から指摘できる。僕は半寝でははは、と笑える。分かったことは多いし、過去を面白おかしく振り返ることもできる。
ところが遺伝子検査みたいな現代的なイシューには多くのことがいえない。やっぱり、分からないし苦悩せざるを得ない。知のあり方というのは、どこまでいってもそんな感じなのかもしれない。

じゃあ勉強してなんになる、と云われそうだけれど、まあおもしろんだからいいじゃない。