遅せぇ。
ベトナムの青年が僕にこう言ったことがあります。「ベトナムでは漢字とチュノムを捨ててフランス人宣教師が発明したアルファベット表記に切り替えました。その結果、欧米語へのハードルは下がりましたが、僕たちはもう祖父母の書いた手紙も日記も読むことができない。寺院の扁額も読むことができない」
— 内田樹さん (@levinassien) 2013年4月26日
せんせは英語が現代における支配言語である事実を踏まえ、大企業がエイゴエイゴしている昨今の状況に疑問を投げかけておられます。このツイートだけみると何が何だかわからないけれど、せんせのご意見には賛成です。
僕にとって日本語はとても心地いいし、日本語を離陸してしまったコスモポリタン日本人やコスモポリタン日系会社は、一体どこに向かうつもりなんだろう、という素朴に思ったりもします。
が、本論とは何の関係もございません。せんせのご主張につきましてはツイートをご覧下さい。
先生の仰るフランス人宣教師はアレクサンドル・ドゥ・ロードという人。現代ベトナム語がアルファベットが使われている理由でもある。彼が今のベトナム語を「発明」した。12個の母音、6つの声調として話し言葉と書き言葉を合致させた。17世紀の話。
それまでは、漢字とチュノムと呼ばれるベトナム漢字を組み合わせて編まれていた。日本もひらがなをつかい、あるいは独自の漢字を作り出し(「峠」とかね)たりして、そういう意味で日本と近いかもしれない。
仮に同じ漢字を使っていたとしても、その言葉の表層も中身も全然違うだろうなぁ、と想像する。国破れて山河あり、ああ、國破山河在、か。
…これは五言絶句?五言律詩?忘れた。まあ、いいや。
その「國」とは、長安なのか、京都なのか、フエなのか。全然違うんじゃないかなぁ。
そもそもひらがなを使った書き下し文でしか読めない時点ですでに僕は日本的漢字解釈をしているわけで。中国やベトナムにおける落魄の感覚なんて、精確には分かりえないでしょうよ。日本人的にその情景を想像し、玩味しているに過ぎないわけです。
島流しの気持ちなら分かるけどな。
さて、基本的にはせんせの仰るとおりの事情が展開されていると思う。 でもな。
この「ベトナム人青年」とは、シティーボーイじゃないか。ハノイとかの。そんな匂い。お寺の扁額を読んだり、父祖が漢字を使ったりしている子孫であることを自認しているわけでしょ。それって、キン族の視線、だ。
ベトナム人の86%くらいはキン族(Người Kinh)。ただこの国には他に53の民族がいる。2番めに大きなタイ族(Người Tày)は2%くらいというから、やっぱりキン族はこの国ではスーパーパワーではある。
僕が今住んでいるメコン・デルタはフランスが入ってくるまで「草莽の地」であった、らしい。漢字文化はそれほどない。クメール様式の寺院があるし、ボランティアが活動している地方・山岳地域ではベトナム語が喋れない人々もザラにいると聞く。
この国にはそんな場所もあるから、ベトナムとして漢字文化が「失われた」というのは、いささか違和感がある。大きな部分では合っている。でも全てじゃない。86%、だ。
中国による支配、対抗、憧憬、交流。ベトナムの「正史」として編まれてはいるけれど、ある人々にとっては「他人の歴史」だ。青年の述懐は本音だったとしても、そこに無垢さと無神経さを感じ取る。そういうところやぞ、と思う。外国人としては。
何の因果か今の国境は引かれ、そこに54の民族がいた。「ベトナム語」という言語は不完全であるにせよ、これらの人々の紐帯として機能しているような気はするんだよ。
キン族青年が漢字文化を失ったもののひとつとして数えるのはいいけれど、ベトナム語という基盤は「居心地悪くもたまたま乗り合わせてしまった人々」をひとまずはユナイトしている事実を多としてあげてもいいのではないか。
そして、ベトナム語が他の民族の言語や文化を圧殺しかねないことにも敏感であったほうがいいと思うんだな。おっちゃんは。
そう思っている人、絶対いるよ。キン族さん。