米山さんは、雲の上の上司であったわけでして、どうも他人事ではないような感じがしていまして。勝手にね。
個人的な感想からいえば、米山県政は風穴が空いた開放感のある時代だと感じていました。短かったけれども。僕のような箸にも棒にもかからないような木っ端技師がそう思っていたんだから、同じように感じていた人は少なからずいたような気がします。
僕はリフレ派ではあるけれども、本当にそれが確からしいのか少し疑うところがある。だからリフレ派と財政規律派がけんけん議論しているところがみたい。
一方、米山さんの最近の仕事は、規律派の守護聖人であるわけなんだけれども、筆致がいささか荒々しい。僕の理解している米山さんとはどうも地続きでない感じがする。
この種の突っぱね方を続けると、一番避けたほうがいい陥穽にはまるような気がするし、そこに気が付かない人でもないでしょうから。
伝わるのは、魂をかけて抗っていることであり、それは生半な人ができることではない。しかし、どうしてその論陣を張り、孤軍奮闘するのか。何かの捨て石になるつもりなのか。よくわからない。それでいいんですか?とは思うんだ。
一つ言えるのは、今この場面で戦わない規律派は、焼け野原になったあと芽吹くこともないでしょうね、ということくらいだろうか。
あの時抗っていたのは米山さんくらいだった、という記憶は残るだろう。