2008年7月26日土曜日

郷に入らば、

最初に長岡に住んで、東京に帰って、
今度は松本に住んで、伊那にすんで、また帰って
今度は糸魚川にいって、そして佐渡にいる。んだな。

ぼくはずいぶんたくさん引っ越しをしている。
どれくらいだろう、細かいのを合わせると7、8回。
子どものことの引っ越しは子どもなりに大変だった気がするけれど
大人になってからの引っ越しもずいぶん大変だ。
いろいろな手続きを自分でしなくちゃいけないし、仕事はあるし。
あと、年度初めに引っ越しはあるから、前の部屋も新しい部屋も寒い。
これが一番印象あるな。引っ越しは寒い、と。

大人になってから思うことは、関係性の再構築、ということ。
住む場所の、仕事も、食べ物も、いちから作り直す感じ。
ぼくは引っ越すときはほどんど地方なので、いろいろ風土の違いを
感じているような気がする。
「上京」する感じとはきっと違うのじゃないかな。

佐渡の印象は花がすきなひとが多いのだろう、ということ。
もう夏になっちゃったけれど、春先は実に花がたくさん咲いていた。
この島にはお地蔵さんがたくさんある。
島沿いの道を走っていると岬ごとにお地蔵さんがあるようだ。
たくさんあるお地蔵さんには必ず花が供えられている。
ずいぶんまめな人たちだ、と思うけれどその心根は好ましく感じる。
あとはお祭りが好きですね。
5月なんかほとんど毎週のようにどこかの集落でお祭りがあった。
夏といえば夏祭り。実は今日もお祭りです。
鉱山祭り。なんというネーミング。
ぼくの住んでいる相川には佐渡金山があるのですよ。

それほど、ご近所さんと仲良くなっているわけではないんだけど、
お祭りはなんだかうきうきするしね。これからちょっと顔だしてみよう。

2008年7月10日木曜日

治山事業と森林整備

民有林の森林整備は造林補助金によって行われるものが大半だと思っていた。
む、まぁそれは間違いではないけれど、治山事業でも森林整備を行っていることを
改めて認識する機会になった。
うむ、佐渡にきた甲斐があったというもの。

治山事業は基本的に保安林に対して実施される。
山地災害などによって荒廃した森林を人為的に修復する。
といっても災害の中には松くい虫やカシノナガキクイムシなど
病害虫による森林荒廃も含まれる。
そして、事業主体は森林所有者ではなく、県になる。
森林所有者に代わって、県が森林を整備する、というのが保安林整備事業。

整備面積的には大したことない。のだと思う。
せいぜい、エリア単位で造林補助金の10%程度だと思う。
ただ大きいのは100%公共事業で実施していること。
「補助金」ではない。

翻って新潟県の保安林面積は県の森林面積のだいたい半分。
重複して指定がかけられているため、実面積は若干下がるとしても
1/2の確率で保安林ということですね。
しかも、保安林は基本的には解除されない。したがってどんどん増えていく。

斜に構えてみると、保安林整備事業は1/2の確率で適用可能ということなんだろうか。
もっとも、事業採択には「興廃」していることについての説明が必要ではあるけれど。
同じ森林でも方や、補助で、方や公共っていうのがなんか変な気がする。

2008年7月7日月曜日

ガマンすることとガマンする必要のないこと

社会人は、社会化されているから社会人なんだ。
いろいろな部分で自己規制して、社会にアジャストしているんだな。きっと。

最初はすごく我慢している気がする。でもだんだん慣れていく。
居心地が良くなっていく。とりあえずはよいことなはず。
問題は馴化してよいのかどうか、ではなくて、
馴化していく自分に納得できるのかということなんだと思う。

もちろん、自己規制ができない人は会社にはいると苦しい。
直す必要がないから直さない。でも周りはそうは受け取らない。できないヤツになってしまう。
僕はそんなに自分に自信はなかったから、オドオドしながら馴化していった。
社会のカタチに自分を合わせていった。
あそこを削って、ここを付け足して。
いくばくか自分の自尊心が傷ついていくのを感じながら。

大学で哲学を勉強していたとき、就職活動は「社会復帰」に近いニュアンスを含んでいた。
当時僕の周りに広がっていた背景は、いわゆる社会化とはかけ離れていた。
僕自身、社会化されることをバカにしていた部分がある。
でも、こんな孵卵器的な世界は続かないだろうな、とも思っていた。ような気がする。
だから、一応、就職活動して、ここにいる。一種のリハビリなのかもしれない。

話を戻そう。
僕が考えているのは僕の社会化されてしまった身体はなぜか自分の不在を感じる、ということ。
まったくよくある議論ですね。でもそうなんだもん。
いろいろなものにアジャストした先になにがあるんだろう。
この社会からドロップアウトしてもそれは解決策にならない。
でも、努力して社会に馴化していった先に、自らが空疎なものになってしまうのはなんでだろう。

世界はパルプンテではない

茂木健一郎と立岩信也のシンクロニティについて。

以下茂木
(コンピュータのような規則的反応ではなく、かといってサイコロのような不確実ででもない
ものを指して偶有性とよんでいて)
どうなるかわからない、予測不可能性をはらんだかたちでの偶有性をもたない他者は、動かしがたい絶対的な存在になると同時に、「私」という自我が深くかかわるべき相互作用の対象としての資格を失います。

『「脳」整理法』 茂木健一郎 ちくま書房 2005

以下立岩
(私が制御できないものを他者と呼びながら)
私が手を触れようとおもわないことがある。…制御すべきではないという感覚があると思う。
…このことは、他者に対して、自己の制御の及ぶ範囲を限定するということ他者に対して
自らの価値の適用を断念するということである。
「むしろ自己によって制御不可能であるゆえに、私達は世界、他者を享受するのだと思う。

『私的所有論』 立岩真也 勁草書房 1997


科学者と哲学者が微妙な邂逅か。

他者とは茂木のいうところの偶有的存在。
アトランダムではないけれど予測不可能性が つきまとう。
完全にアトランダムな存在は私の関心をひかない。
神とか外部環境とか。ただし「環境」はさいきんでは
環境問題などで「汲めども尽きぬ泉」でも 「単なる背景」でもなくなってきたことから
偶有的存在として持ち上がってきた と指摘する。

また、偶有的存在は当然コントロール不可能な存在だ。
他者が領有可能ならば、すべては私であり、退屈してしまうと立岩。
他者は、制御不可能だからこそ、私は世界(≒自分以外のもの)を享受できるのだと。
科学者は偶有的存在と対峙する時に脳は活性化すると述べ、
哲学者はその偶有性≒他者性こそ、私が享受できるものだと述べる。
茂木は「触る」「触られる」(ダブルタッチ)といった直接的な感覚を述べていて
立岩はもっと受動的な「享受」としてそれを拡張しているような違いはあるにしても。
位相的にはだいたい同じことじゃん?


他者の他者性の剥奪はなにやらアメーバみたいなイメージがする。
周囲のモノがすべて私になってしまうということ。
私は周囲を侵食していく。世界が私になっていく。
リバイアサンみたいでもある。

偶有性は享受するものでもあり、ストレスでもある。
どれだけ「領有」できれば楽なことか、と思うこともある。
「私でない者としてその人が在るということ自体が、苦痛であるとともに、苦痛を
もたらしながら、快楽なのである。」
私しか、いない世界。
「そこでは私は私にしか出会わない。だからその世界は退屈な世界である。」

単純に他者の存在≒ストレスと考えそうになるけれど、立岩はそこを短絡しない。
むしろ、他者が不在であることによる欠落感をみよ、と言っている。ような気がする。

人と話をすること、本を読むこと、音楽を聴くこと、テレビを見ること
ミクシィのレスポンスですら(「足あと」ですら!)、他者を享受していることになる。
私ではないものに触れる、ということ自体が私を豊かにする。
もちろん、苦痛でもあるのだけれど。

秋葉原の事件も考えさせる。
他者の存在を渇望するということは誰にでもある。
他人との関係だから茂木のいう偶有性があてはまるだろうか。
想像をしてみる。「私だけの世界」は、
私にとってどのような世界だろう。想像してみる。
想像できないけれど、想像してみる。