2008年7月7日月曜日

ガマンすることとガマンする必要のないこと

社会人は、社会化されているから社会人なんだ。
いろいろな部分で自己規制して、社会にアジャストしているんだな。きっと。

最初はすごく我慢している気がする。でもだんだん慣れていく。
居心地が良くなっていく。とりあえずはよいことなはず。
問題は馴化してよいのかどうか、ではなくて、
馴化していく自分に納得できるのかということなんだと思う。

もちろん、自己規制ができない人は会社にはいると苦しい。
直す必要がないから直さない。でも周りはそうは受け取らない。できないヤツになってしまう。
僕はそんなに自分に自信はなかったから、オドオドしながら馴化していった。
社会のカタチに自分を合わせていった。
あそこを削って、ここを付け足して。
いくばくか自分の自尊心が傷ついていくのを感じながら。

大学で哲学を勉強していたとき、就職活動は「社会復帰」に近いニュアンスを含んでいた。
当時僕の周りに広がっていた背景は、いわゆる社会化とはかけ離れていた。
僕自身、社会化されることをバカにしていた部分がある。
でも、こんな孵卵器的な世界は続かないだろうな、とも思っていた。ような気がする。
だから、一応、就職活動して、ここにいる。一種のリハビリなのかもしれない。

話を戻そう。
僕が考えているのは僕の社会化されてしまった身体はなぜか自分の不在を感じる、ということ。
まったくよくある議論ですね。でもそうなんだもん。
いろいろなものにアジャストした先になにがあるんだろう。
この社会からドロップアウトしてもそれは解決策にならない。
でも、努力して社会に馴化していった先に、自らが空疎なものになってしまうのはなんでだろう。