原因不明の発熱してみたりとなんだかバタバタしていた。
森林・林業基本法の第9条に「森林所有者の責務」という条文がある。
(森林所有者等の責務)
第9条 森林の所有者又は森林を使用収益する権原を有する者(以下「森林所有者等」という。)は、基本理念にのっとり、森林の有する多面的機能が確保されることを旨として、その森林の整備及び保全が図られるように努めなければならない
らしいぞ。
2.24.2011 mixiより
たとえばこんな記事。
「なぜ人気? 中国人、日本の森林を相次いで買収」
せせこましい林業業界で一昨年くらいから話題 になっていたイシュー。昨年くらいから全国紙に取り上げられるように。 最初に聞いたとき、なんでそんな面倒なことを、と思った。 実態はどうかということについては、五島列島での事例があるので 興味がある物好きな方は「林政ニュース」を。
ずいぶん紳士的であったとのこと。なんだと思ってたんだろうか。
保安林整備で人様の山林を整備するときには施行承諾書をいただくお約束になっている。新規で手をつける場合は保安林の指定が必要になる。地目を「山林」から「保安林」へ変更するのだ。
猫の額のような土地がたくさんある場合、当然手間は多くなる。
仕事柄、問題だと思ったのは山林を抱えたまま人が亡くなることだ。 昔の入会山は未だに多い。財産区や地縁団体が名義人であればいいが、記名共有林になっているところも少なくない。 つまり集落の山を集落の人全員で登記しているのだ。
GHQは第3次農地解放として森林を検討していたが、ついにそれは実施されることはなかった、と聞く。このことは、一面では大山林所有者を残したが、一方で旧態依然の所有形態をも温存してしまう結果となった。
日本の場合、土地には目的がある。これを地目という。宅地とか山林とか。「堤」という地目もあることは、法務局で登記簿抄本を取得したりするようになって初めて知った。
地目を変更する場合、その土地の登記名義人の承諾が必要になる。当人が亡くなっている場合、均分相続されるため、配偶者、子ども、孫、とまさに承諾が必要な人がねずみ算式に増えていく。
孫子の多くは地元にはいなくて、東京とかにいる。移り住んだあちこちに照会をかける。尋ねあたれば僥倖で、尋ねあたらない場合もしばしば。たとえば、大正年間に登記された一筆百何十人の記名共有林など、絶望的な労力と時間を要する。
ここまでできるのは公共事業だからだ。調査の上、放置すると危険が及ぶと判断された場合、事業は導入される。時間がない場合は別途方法もある。
でも森林組合や民間の造林業者が山林を整備したいと思っても、それはたぶん不可能だろう。そこまでのコストを払うに値するベネフィットは得られないことは明らかだから。僕ならやらない。
登記簿の写しをもらうのに一枚(一地番)何百円もかかる。家族の森林ならまだしも、他人の土地の登記簿を取得するのは。個人情報保護という時代ですので。けっこう大変だと思う。
承諾を得る相手が故人であること。なんだか哲学的な響きだけれど笑い事ではない。山が荒れていても、あるいは魅力的な森林に育っていても、集落の人ですら手をつけられないということだ。 それはまるで、死者が冥土に森林をもっていってしまうようだ。
外国の人が買おうがなにしようが、森林を生きている人の手で扱えるということは、とても健全なことだ。僕はそう思うんです。
今現在、「死者のもの」になっている森林がどれほど多いことか、あるいは、これからどれくらい増えていくことか。
ウタキはあってもいい。神さまでも妖精でもお化けでももののけ姫でもなんでもいればいい。 でもそんな森が増えすぎると、生きていく人のための森がなくなる。
個人情報の保護が大切なことは分かる。でも個人情報の保護の名のもとに森林を塩漬けにするのは、やっぱりおかしい。森林を買い占めることは「営利」だとして批判したり、入り口を狭くする心情も分かるけれど、そのままにしておくことは誰の利益になるだろうか。
安易に「外人が買うからダメ」っていうのは同意するわけにいかないんです。そういう人だって実は知らないうちに山林を相続しているかもしれないんだから。
夜も眠れないほど心配する必要はないけれど、冒頭の基本法9条で謳われていることは大事だと思うんです。