2014年2月22日土曜日

そして通りすぎた街のことを思い出す




めずらしいものを手入れしている風景。
カマウにはトラはもちろん、銃が必要な大動物なんていない。当座のところ、戦争もないようだ。きっと先の戦争で使われた年代物だろう。
なにを撃つんだい。と聞くと、彼はニヤリとしてこちらに銃口を向ける。
僕はうんざりして、かぶりをふる。

そもそも銃の所持は禁止じゃなかったか。この国は。

 
そしてUSAじゃねぇか。分捕品かよ。
そういえばカマウでは多くの分捕品をみかけてなかなか楽しかった。水筒・バッグ・方位磁針。
ぜんぜん壊れないんだぜ。植林の休憩中、うちの副社長のフックは自慢の水筒を見せびらかす。水筒の中身ははちみつドリンク。

サイゴンにほど近い観光地、クチでは外国人も銃の試射ができる。日本からやってきた友人たちは嬉々と撃ちにでかけ、僕はといえばコーヒーを飲み銃声と嬌声を聞きながらながら待つ。
内規で禁止されている以前に気乗りがしない。なぜだろう。ガジェットとしては好きだと思うんだけれど。西部警察とか大好きなんだけどな。
ノリで銃を撃つ気にはならない。そのあたり、徹底的になにかしらの覚悟を欠いている。
怖がりなのだろう、ひらたく言えば。

実際、コーヒー飲みながらタバコを吸ってるほうがはるかに気分がいい。



本屋めぐりをす。

地下へ/サイゴンの老人 ベトナム全短篇集 (講談社文芸文庫)
日野 啓三
講談社
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日野啓三という人は知らなかった。従軍記者としてサイゴンにいたとのこと。
読んでいてとても懐かしい。おれはこの空気を知っている。そう思った。


ベトナムについてしばらくして、ハノイからサイゴンに移る。ひとつきほどの語学訓練。下宿していた路地裏のゲストハウスは湿気を帯びて、薄暗い。
連日てんこもりの宿題にうんざりして、タバコを吸うためにゲストハウスの屋上に上がる。隣にある学校とプールが見える。ホウオウボクのオレンジ色の花を見下ろす。

ハノイはどんよりした雲が広がっていた。サイゴンの空は青く日差しは強い。ホウオウボクのオレンジと空の青さは好対照だ。きっと、ずいぶん前からずいぶんなかよしなのだろう。

強い日差しは濃い闇を作り出す。外が明るいほど部屋の中は暗い。室内のひんやりした空気。とてつもない湿気。カビ臭い匂い。
片側が強まるほどに、反対側が強くなる。日差しの下には大胆に肌を晒す若い娘が闊歩していて、少し暗い場所ではいろいろなものが静かに腐敗している。互いの足りないものを補い合うみたいに。


日野は「向こう側」に憧れる。「向こう側」とはなんだろう。船着場からみたサイゴン川の向こう側でもあったし、北ベトナムでもあったはずだ。
暑くて発酵しきった南から北へ向かう、という物語には買い手がいただろう。ホーおじさんの国へ行く。ホーおじさんの国では砂糖すら手に入らなかったなんて話は、手を伸ばせばバナナやマンゴーが採れる土地ではまず信じられなかったと思うんだけれど。

とにかく「向こう側」はなくなった。この言い方はどことなく不正確だな。「こちら側」が「向こう側」になった。僕は日野が「向こう側」を求める気持ちがなんだか分かるような気がする。いったいどういうことなんだろう。僕は考える。


こちらは定番ですけど。
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開高健が特派員としてサイゴンに駐在した際、彼はマジェスティックで起居していたのは有名な話。さもくっさい安宿な感じで描かれているけれど、それでも5つ星ホテルだぜ。


題材が同じだから、日野の本と空気感が似ている。そしてそれらはいちいち僕の感覚を刺激する。

当時のサイゴンは日常と戦争がくっついている感じだったのだな。会戦みたいな戦争はあまりない。どこかが爆破されたとか、誰かが処刑されたとか。
なんだろう。危険ではあるものの、彼らの本からはやっぱり日常という言葉が思い浮かぶ。とても爛熟した「外人からみた」サイゴンの生活が広がっている。そして僕の住んでいたサイゴンともどこかで地続きなのだ。

地続きといえば、バストスという銘柄のタバコが当時からあったと確認できて嬉しい。
サイゴンを離れ、いよいよカマウ市からウミンに赴任する前日。彼の地ではたばこすら買えないかも、と1カートン買った。15万ドンくらいだったかな。一箱70円。

成田で買ったキャスター1カートンは手つかずで嚢中に。さみしくなったら吸おう、といういじらしい決意を昨日のことのように思い出す。
実際にはタバコ吸いどもは腐るほどいて、まもなく2年間お世話になった黒猫ちゃんに出会うことになる。
封切りして吸ったバストスは実に酸っぱかった。これがあと2年か、とカンカン照りのカマウの青空をにらみ、煙を吐き出す。ほろ苦いのではない。ただただ酸っぱいのだ。


雪は、汚いものを消す。
美しいヴェールの下に隠し、地面に押し付ける。隠して、押し潰して、時間をかけて消してゆく。その点サイゴンという土地は時間をかけることすら許さない。ずいぶん目立ちながら速やか消してゆくはずだ。
あの街で人は衰えて死なない。燃え尽きて死ぬのだ。

僕はたぶん、サイゴンで影を追っていた。影はいろいろな場所に僕を導いた。そんなふうにして、2年の間、断続的にこの街を訪ねては影踏みをしていた。
もちろんホームタウンのウミンには愛着がある。もちろんもちろん。
でも汚くて鮮やかで、強烈な光ととてつもない闇が同居するサイゴンは、僕にとって特別な街になった。そのことにいまさら気がついたりする。


この場所にないものとは、なんとキラキラしてみえることだろう。