2014年3月1日土曜日

それはつまり儲けもんだと思うんです

どうも。誰得かといえば俺得です。

大量のカート本が濫造乱売されていた時代を思い出している。関係者のみなさまはさぞかしうまい飯を食ったのだと思う。あ、ひっかかったクチです。どの本かなんて忘れた。どっかのインタヴューだ。
カートはしきりにREMみたいに、と云う。たぶん、静かな冒頭〜フルボリュームのディストーション・リフ+咆哮みたいなスタイルに飽き飽きしてたんだ。彼自身に対して破壊的でさえあったかもしれない。

もう少し、ゆっくり息を吸って、吐く方法を。お手本としてのREM。そんな気がする。個人的に正直REMはあんまり。"周波数はなんだい、ケネス?"くらい、かなぁ。





Xと○と罪と (通常盤)
Xと○と罪と (通常盤)
posted with amazlet at 14.03.01
RADWIMPS
EMI Records Japan (2013-12-11)
売り上げランキング: 1,060

ようじろうくんはますます歌詞への執着が強くなっているような。そんなことを思いながら"実況中継"に耳を傾ける。このひとはまったく頭がいい。トリッキーな展開は磨きがかかり、ソツのない演奏は相変わらず。
ある歌詞が猟奇的だったとして、それで詩人が猟奇的な人間だとは普通ならないよね。あたりまえだ。変わったやつだな、くらいには思うかもしれない。
倒錯的な世界観を描ければ描けるほど、その世界と実生活をどう折り合いをつけるのかしら、と思う。要するに大丈夫なんだろうか、この人、と。

あるいはこんな感情もある。心配に羽交い締めにされる自分にひきかえ、自由(に見える)な人が羨ましく腹立たしい。ノージックはほんとうに最後の最後までリバタリアンだったんだろうか。病魔に冒された晩年、衰弱した自分と出会ってなお、「最小国家」で大丈夫、と言い得たのだろうか。

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界
ロバート・ノージック
木鐸社
売り上げランキング: 226,337

ノージックではなくロールズ、と思ったのは彼のほうが優れているからではなくて、なにより自分がノージックのように強くないことを自覚していたから、かもしれない。仔細に検討して納得したわけじゃなくて、僕の中にあったもやもやとした性分とロールズの佇まいが整合的だっただけじゃないか。そんなことを考える。いまさら。
ええ。余談です。ノージック先生もすごいけれどマック赤坂先生だって充分すごいだろ。

刃のようにすぱすぱ切れる強烈な詩と、そうでない詩の差はこれからもっと開いていくだろう。いつまでも「ふたりごと」とか云っているわけにもいかないだろうし。どれだけ現実離れができるか/どれだけ正気でいれるのか。興味があり、心配にもなる。
つづまるところ、僕は凡庸で弱いのだ。それはずいぶん前から知っている。



うむ。
宇宙の果てはこの目の前に
andymori
Youth Records (2013-06-26)
売り上げランキング: 17,250

"Follow me"の刹那的でやさぐれた疾走感を僕はたいへん愛している。でもこのラスト・アルバムも、可愛らしいとしか表現のしようがない、丹念に紡がれたメロディが詰まっていて好きだな、と思った。

彼らの強みはそうへいくんの独特の節回しだ。ロックなのに、どこか童謡のように聴こえてしまう。落ちるところに落ちていく。どこかで見た風景。どこだか知らないけど。
"スパイラル"は強烈なエモーションを放つ。曲のフレームそのものを破綻させかねない、魂を押しつぶさんばかりの歌唱。危なっかしさをはらみつつ、じっくりと深く、胸を揺さぶる。こういうの大好きなんです。"teen's"もティーンの時聴いてたらヤバかっただろうな。




伸びやかなレコードのようで、妙な焦燥感を覚えるのは、これが最後のレコードだったことと無関係ではないだろう。「なるべく大きくて、きれいな絵を」という意識は透けて見える、気がする。そしてその努力は実を結んでもいる。確かに今まででいちばん大きくて、いちばんきれいな絵だ。
たださ、そういうのって疲れんじゃん。凡庸貧弱なオレ基準で。
「時間がない 時間がない」と頭を抱えていたのは、実はそうへいくん自身だったんじゃないのかな。歌詞を読んで、そんなことを考える。

あれできれいに終わったとしたら、確かにカッコ良かった。でも結果として終わらなかった。最後のライブだって中止されたままだ。
ならばやっぱり「終わらなかった、そのあとのこと」が、これから歌われるべきなのだろう。
このレコードがどんなに情熱を注ぎ込まれ、アイディアを詰め込まれたものであったとして。


物語は続いていた。時間はまた生まれた。
泣くなよベイベー。