2014年3月30日日曜日

書評:『天性の小説家 ジャン・ジオノ』を読む

ヨーロッパの小説に出てくる"Oak"を安易に「カシ」と訳してはいけないんだ。ヨーロッパの"Oak"の多くはナラの木なんだから。
あれこれなんか合コンで使えそう。一体誰に習ったんだろう。そこから楢山節考に話を転じ、ドン引き、というのは実に信州的ではあるまいか。いい意味で。

国語の教科書は読み物集だと思う。授業中にほかのところを読んでいて、先生にあてられ、どぎまぎ、ということもあったような。
ふだん自分が手に取らないものも入っているのがいい。オムニバス。「よみがえれ、ハリヨ」とか、「サロマ湖の変化」とか。そして「木を植えた男」。

天性の小説家 ジャン・ジオノ〜『木を植えた男』を書いた男〜
山本 省
彩流社
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母校の先生が本を書いておりまして、面白かったのでご紹介。




退官されたと風のうわさを聞きましたが、お元気でいらっしゃるようですね。
森林文化論、取りました。大好きでした。「優」、頂きました。どうもありがとうございました。
気怠い昼下がりの授業。前期の授業で、信州の春から夏にかけては光に溢れ、爽快そのもの。しかも先生はラジカセ持参でクラッシックを流す。お腹いっぱいの腐れ学生どもは、当然お昼寝に興じるわけです。
先生はにこにこ・ぼそぼそとフランスの自然と文学や音楽について話される。まったく素敵な講義でありました。だぶん、オレは、一度も寝てない。断言してやる。

なんかの弾みで先生の研究室で飲むことに。ロッカーから次々と出てくる赤ワイン。たくさんの面白い逸話と素敵な音楽、そしてワイン。実に愉快な夜を過ごした記憶がある。翌日の二日酔い。



本書はジオノの小説をいくつかのテーマ別に論じる、という趣向。木について、水について、音楽について、友情について、そして平和について。
解説書、といってよいのかな。

ジオノの小説は風景描写が美しい。プルーストのように美しい。
そして長い。プルーストのように長い。プルースト読んだことないんだけどな。
こんな執拗に風景を描写していく必要があるのか、と僕は読みながら思う。気が急いてしまうのだ。なんで長ったらしい背景に付き合わなくてはいけないのか。
事件よ早く起これ。

ところが本書では、描かれる自然や水にジオノは様々な思い重ねていることが解説される。水は単に水だし、木はいつまで経っても木だ。違いは誰の、どんな眼差しか、というところでしかない。
ジオノの向ける眼差しや託した気持ちが彼の過ごしたオート・プロヴァンスの風景描写に表されているとすれば、それは物語の筋とともに大切な部分であるはずだ。
そんなことを考えると、僕はジオノを読んだようで、全然読んでいないような気になってくる。

そして本書、例示されるシーンがかなり重複する。それぞれ象徴的なものであることは言うまでもないし、テーマごとに視点が変わるから読み方・味わい方が変わるからもちろんいい。
僕はそもそも数えるほどしかジオノの著作に触れた機会がないから、読んでいない物語でも、そのありようをこの繰り返しで追っていくことができる。どれでも一冊でも読んでいれば、なんとなく想像ができる。頭のメモリが足りてないこともあり、こういうのは便利だな、と思いました。読みながら、読んだことのない小説を玩味している感じ。



『木を植えた男』。わずか10ページほどの小品にもかかわらず、清水少年の心になにかしらの跡を残したのは、どうも確からしいのだ。すっかり長じた、のちの清水中年がいうのだから間違いない。なんとうっかり、森林科学科に入ってしまうのである。

先生はこんなことをいう。
当時、信州大学農学部森林科学科に所属していた私は、この作品について学生諸君にいろんなことを訊ねてみたのだが、おおむね好意的な反応が見られた。なかにはこの物語が「木を植える」ということに関心を向けるきっかけとなったという学生もいた。年度によるばらつきはあるが、一年に三名から五名程度の学生がこの作品に感銘したことが森林科学科に入学する契機になったと答えたことに、『木を植えた男』の影響の強さを痛感した。  p12
そ、それが全部の理由じゃないんだからねっ。

強く人を惹きつける何かがこの作品にあるのは間違いないし、多感な時期に教科書に載っていたら、いい感じで道を踏み外す若人がいたとしても不思議ではない。経験者が語ってやる。

で、大学で何を習うかといえば、意外にも(そんな気はしてたけど)日本には新たに木を植える場所なんてどこにもないこと。林内作業は地味でしんどいこと。
就職したならば、なんだかわかんない書類をたくさん書かなくてはいけないこと、なんだか知らないけれど電卓を叩きまくること、木を植えるにも金がかかること、土地には所有者がいること、木の値段はすんげぇ安いこと。
このご時世、羊飼いとして放浪するわけにはいかないこと。等々。
物語と現実との間には、ずいぶん隔たりがあるのだ。

現実がクソみたいになりがちだからこそ、自由や喜びが語られるべきだ。人間関係がドロドロとしたものになりがちだからこそ、喜ばしい人間関係が描かれるべきだ。現代っ子の視点ではジオノはいささか刺激に欠け、退屈かもしれない。だからこそ、ジオノの仕事は日々の清涼剤としてお役立ち。
そんな気がするんだが、どうだろう。



そういえば、こういった講座に対する「役に立たないことしてる研究室」という眼差しになんとなく居心地の悪さを感じていたんです。そんなこといえば林業自体が斜陽産業で、ほかの2学科(農学科とバイオ)と比べれば17週くらいは確実に周回遅れなんです。僕がいた林業経済学も含め。
僕らはみんなめくそはなくそだった。そういう意味ではな。
農学部のHPをみたら、文化学は閉じてました。今年度で中堀先生が退官されるとのことなので森林環境学も閉じてしまうだろう。なんでもアリだった林学の魅力を減じている。そんなことにも気がつかないのが、OBとして本当に残念で。
どこまでいっても僕らは冷や飯喰らいの役立たずで。
だからこそ、見つかる生き方や仕事もあろうと思うのですが。

頭に血がのぼった。



最後に。この本、序文がとっても素敵です。ジオノが先生に乗り移ってます。全文写経したいくらいだけれど、少しだけ。もし本屋で出くわしたら手にとって、最初の数ページだけでも少し読んでみてください。
自然のなかで暮らし、愛情や友情や隣人愛に包まれ、よく食べ、よく飲み、よく遊ぶことが必要である。もちろん忍耐強く仕事をすることも大切なことである。しかし、金を儲けるために仕事をするわけではなくて、自分がこの世に生きてきたという印をすこしばかり残すために仕事をするだけだから、無理はしないようにしよう。
煙草が好きなら大いに吸おう。これも禁じられたら、こっそり片隅で吸い、さらに空想でたくさんの煙草を吸うことにしよう。小説を書くことができるなら、物語が佳境に入ったところでは、必ず主人公に煙草を吸わせることにしよう。 p5,6
あータバコのくだりはほとんど自分のために写したんだ。実際そうなんだ。





夜、どんぐりを選り分け水に浸し、日が昇れば植える。朴訥とした佇まいは、静かに心を打つ。その波紋が少しずつ広がっていくように。
森の広がりで変わる風景の中で、当の本人はそれを知らず、栄誉にも浴せず、黙々と仕事を続け、静かに亡くなる。ヒーローの系譜でさえある。
でもそれやっぱ徒労だろ。
そうした徒労を続けるには、その行為の正しさを胸に強く抱き続ける必要があるはずなのだ。自信、言い換えてもいい。初読からは確実に20年は経た現在でもなお、心惹かれるのは、仕事(業といってもいい)に対する自信に裏打ちされた強い精神、なのかもしれない。

そうだった。僕は木を植える男になりたかったんだった。
そんな話。