2014年3月16日日曜日

内示日に考える

久しぶりに内示の日を迎えた。そうそう、こんな感じだったよな、と思い出す。
ああ、僕の内示はでなかったんですけれど。
昔よりもずいぶんあっさりした感じだったのは、IT化の流れでしょうか。なんというか、組織に属している感じがした。すごくした。




先輩はこんなことをいう。
たいていの場合、内示に大した意味や意思はない。嘱望されるひともいるだろうけれど。あとの人たちなんてガラガラポン、さ。
なるほど。そんなものかも知れない。

我が社、数千人の社員を抱えているし、同じ職種でも200人以上いる。ひとりひとり人物を見極めての適材適所、なんてね。各々好き勝手な希望を調書にたくさん書くし、がんばるほど人事に費やすリソースが多くなってしまうし、うちらはそもそも林業ですし。
パズルを組むひとだって、やだなぁ、と思いながらやってるんだろうな。

2年前に自分で異動先を作って出て行ってしまった人間としては、こういうのもいいなあ、と素直に思いました。

準備やら手続きやら議会やら地震やらなんやかんやで精神崩壊しそうな中、しんどかったのは「出て行く理由」を固めることだったかも。自発性には理由が必要だし、それを他者に示す必要がある。そんな気がしていた。
きれいな旗を掲げないと。それがどんな不純な動機であったとして。

そんでもって友だちや先輩に割と謹直な出立のあいさつメール書いた。書きながら病気とかで絶対に帰れないな、と。すげぇお腹痛かったんっす、とかで帰ったら、かっこわるいもの。ひとつでも、持ち帰れる手土産という名前の成果が必要だ、とかね。
それくらいしょってたのだ。ずいぶん青々しいことで。

自分の住む場所や仕事が他責的に決まるのは、おもったほど悪いことではない。
ほどよい文句や愚痴を垂れ流しながら、残ったり異動したりするほうが集団にとっては生産性がいいのではないか。自分で決めてそれを証し立てるのは、しんどい。


そんなことで、通算5年目の佐渡暮らしがはじまる。