2014年11月29日土曜日

線的愛情

2件の変更設計を終え、完了検査まで終わって。昨年の7月から、14ヶ月手がけた仕事ということになるのだな。気が抜けた。
虚脱感を10トンダンプ過積載でお送りしております。

黒々とした真新しいアスファルトには、あっという間に落ち葉がたまり、風景に馴染んでしまった。

…10トンダンプ。

幼少のころ採石場の近くに住んでおりまして。下校の集団投稿時、ダンプの運ちゃんに手を振って返してくれるのがとても嬉しかったことを思い出します。いまのおっちゃん、両手離して手を振ってたよ!とか、ともだちと盛り上がったものです。
危ないですからやめてもらいたいですね。


林道なんか二度とやりたくねぇと、やってる間は100万回くらい思いましたが、終わってみると満足感が漂うのが不思議です。でもやっぱり土木はあんまりだな。

インフラ工事は構造物ができておしまいです。しなしながらどう使われるか、どんな使い心地かが、気になります。一年以上も設計図を眺め、地権者以上にその場所に通い詰めたから、気がつくところもあると思うんです。ここなら作業道入れやすいよとか、この林は間伐すぐしたほうがいいね、とか。
とりあえず現時点の僕としてはここでリリース。あとはお任せ。
設計・監督員としては向こう2年間の森林整備まで付き合うとか、それくらいの勢いがあってもいいのかもしれません。

林道工事は「線」で見つめる仕事。そんなことを思います。森林整備はぼんやりと面を眺め、治山事業はその一点をみる感じ。2kmの開設だと全部覚えているわけではなくて、あのヘアピンカーブとか、あのL型擁壁とか、法線や構造物で認識する。やってみて気がつくことでありました。
もう少し林道からアクセスしやすい法線だったりしたほうがいいな、とか取付道路作ったほうがいいな、とか。そういうのもやはり、やらなければわからない感想でしょう。

実際、線というのは可能性だと思います。
よく白書とかに林道と森林整備のイメージが載っていて、実際そのとおり機能している例なんてなくて、画餅だと揶揄されたりもします。
でもやっぱり、その種のお絵かきはやっぱり必要です。イメージを携えないことには、僕らが実現すべきものなんてないんです。特に大枚を叩く場合は。
線の両端、起点と終点はデッド・エンドではなく、その地域の森林を浮かび上がらせる翼であります。骨組みたる「線」に接した林が、面として、多角形として広がり、線を肉付けしていく。有機体としての「地域の森林」が形作られる。
なんて。
そんな妄想を、真剣に考えてもいいのではないでしょうか。

この場所でこれから、いろんなことが起こるといいな。
でもそう簡単にはいかないんだよな、ということもあるんですが。