2015年7月1日水曜日

Facebookのレインボーに思うこと


こんな記事。
あの「フェイスブックレインボー」はたぶん全部追跡されていた ギズモード・ジャパン

フェイスブックひらいたら、みんなどうしたんだろうか。はやり病か。
そう思っていたところです。



あのけったいなレインボーっぷりはどういうことなのだろう、という話ですけれど、下記のページに経緯が縷々描かれております。

Facebookプロフィール写真が虹色に!その理由と変更方法、戻す方法 ゼロツク
そういうことだったんですね。ようやくわかりました。
アメリカにおける同性婚合法化を祝福する意味で、LGBTのシンボルである虹色に、みなさま写真を変更されたと。素晴らしいことではないですか。
ボタンひとつで変更なんて、ザッカーバーグさんもなかなか粋なことをする!
と、額面どおりの受け取り方でいいのか。

んで、引っかかるのはギズモードの話ですね。ザッカーバーグさんは、なんらかの情報を収集しているかもしれない。ボタンひとつで。
別にITに詳しいわけじゃないので大したことは言えないけれど、FB側の回答をみるに、たぶんそうなんでしょうね。

LGBTの権利を支持する人、今回の快挙を賞賛する人って、普通に考えれば進取的な人、リベラルな考え方を持っている人だと分類できます。共和党ではなく民主党。
日本では、、もうよくわかんねぇな。
確かに分類法としては面白いのかもしれません。もう一つ二つ、串刺しにできる指標があれば、けっこう面白いことが言えるかもしませんが、FB側はすでに僕らの個人情報をごまんと有しているので、けっこうやりたい放題なんじゃないか、と想像します。
中の人は楽しそうですね。

僕がこの件で感じ入ったのは、彼らはリベラルな人にマーキングをしたことです。
本来、人はいろいろな属性が組み合わさっています。ナショナリスティックであったり、コンサバであったり、森ガールであったり、阪神タイガースが好きであったり、メタルが好きであったり。メロンが嫌いであったり。

いろいろな属性のなかで、進取的という属性を選んだのはなぜだろう。
まあね。たまたまビッグなイベントだった、ということももちろんあるんでしょうし、ISISをうっかり称揚した日には総スカンです。
ただし、Facebookは必ずしも「リベラルの味方」ではないな、と感じられたのが、僕としては印象的でした。


一部の社会主義国家が今でも使うんでしょうか。「反乱分子」という言葉。なんだかしらないけれど、この「分子」を想起するんです。「立ってる」人たちです。

ジャスミン革命を引き起こしたのは、こうしたリベラルな「分子」たちだった(異論はたくさんあるでしょうが)とするならば、facebookは煽動家とまでは言えないまでも彼らに枠組みを提供したとは言えそうです。
誤解を恐れずにいえば、彼らは「分子」たちのビッグ・ブラザーになりたいように見える。あ、このブログはgoogleなんですけれど、彼らにしても同じです。枠組みという役回りでありながら、枠組み以上の何かになりたい。
でも、「立っている人」は本来、ビッグ・ブラザーとは相容れない存在であるはずです。キョロ充でもない限りは。御せる、と踏んでいるのか、どうなのか。

Facebookという、あまりに巨大な頭脳は、どんな夢を見ているのか。
実際、想像もつかないな。。


まあ、難しい話は措いておいて、僕もレインボーにしてみるべきなのかもしれません。
古来より、日本の名物といえば、フジヤマ、ゲイシャ、おでん芸だったはずです。
いやたしかそうだったはずです。

いいかお前たち。絶対レインボーに変えるな、っていうなよ。絶対だぞ。