自然保護について考える第2回。
第1回はこちら
たとえば? - ナショナル・トラスト。ということで、ナショナル・トラストについて勉強していきます。てきとーに考えているだけじゃだめだ。ということで、本を買いました。Amazonで。中古で。
しかしですね。本のチョイスが、いささかてきとー過ぎました。
タイトルみながらでポチリとしたわけですが、届いてびっくり。1992年。
20年以上前の本じゃないか。おう…。
まあ、こんな話ってそんなに変わるものではないでしょ。新しい話はネットで仕入れればいい。なんにしても勉強にはテキストが必要ですから。
ということで、前向きにさくさくと読み進めていきました。
本書のアウトライン。大雑把に描くとこんな感じ。
発祥の地のイギリスでのナショナル・トラストの沿革と制度について。そして日本での広がり。以上。
まずは発祥の地であるイギリスでの事情は押さえておこう。
少し詳しく説明すると、産業革命でロンドンなどの都市人口が急増する。食物など彼らの需要に応えるために、郊外の共有地の「囲い込み」(おお、エンクロージャーって学校で習ったね、そういえば)が始まる。
ドラスティックな土地利用の変化が起こるわけだ。開発にともない、既存の景観や環境は破壊される。たぶんそういうことだろうと思います。
イギリス行ったことないからいまいち想像がつかないけれど、例えばイギリスの広大な牧草地や田園風景を日本でいう「里山」に置き換えてみると、ちょっとわかるかもしれない。
好ましい原風景として、里山は多くの日本人の心の中にあるじゃないか。世間的に。一般的に。
郊外にセカンドハウスを持たない都会のワーキング・クラスは関係ない気がするけれど、そもそも僕だって里山育ちではないしね。当方、コンクリート・ジャングルを生き抜いたコインロッカー・ベイビーズだからな。うそですけど。
でも!わかるでしょ!里山!いいよね!みたいな。
すんません、てきとーで。
でも、原風景なんて実際、そんな程度なんじゃないかな。
木原さんはナショナル・トラストの根底思想として「アメニティ」を挙げ、これを説明しようと試みる。これは議論が別れるし、話が長くなるから、深入りはしない。
だって、「しかるべきものが、しかるべきところに存在する状態(The right things in the right place)」と言われて、すとんと落ちる人と落ちない人がいるでしょ。あくまで最大公約数的な話でしかない。「誰にとって、しかるべき」なのか。
東インド会社の活躍以降、イギリスではインド系イギリス人が増加した。だからイギリス的「里山」の風景だって、いささか変容しているのかもしれない。
カズオ・イシグロの描く風景は、どこまでも英国的な香りがする。長崎ちゃんぽんどころか、しょうゆの香りすらしない。
こういう話って、どこか不思議なものです。
話を戻すぞ。
「共有地保存協会」から「ナショナル・トラスト協会」に名称が変更された経緯として、創始者の一人であるロバート・ハンターは、単なる啓蒙のためのボランタリーな団体ではなく、「確固とした基盤をもつ法人組織」の必要性を確信したためだという。一方で、慈善的な性格を持たせるため、「カンパニー」ではなく「トラスト」にしたのだと。まさに慧眼。
こうして「ナショナル・トラスト協会」は、国民のために土地と建物の買取り保管することのできる非営利法人として発足したわけです。ちなみに正式名称は、「歴史的名勝および自然的景勝地のためのナショナル・トラスト(The National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty」なんだそうですよ。
その意味で、「しかるべきものが、しかるべき場所に存在する」という言葉は、やや逆説的な響きを帯びます。「無理やり存在させようとしている」からこそ、手間や人手がかかるのではないか、と。「原風景」は「現風景」ではないからね。
そのような営みに求められるのはやはり、「確固たる財政基盤」なのでしょう。
ナショナル・トラストは国から認められた、いくつかの特権を有している。具体的には、
まさにハンターさんの構想どおり、財政・運営基盤に関する特典が多数配置されていることに目が行く。また、2.や6.など寄付者が安心して寄付できるような制度設計も印象的。自然や景観は一代で成立したものではないし、所有者の事情で手放さざるを得ない場合はある。
ただ、本意としては守りたい。その種の希望って、結構あるでしょう。また、2.などは本当の意味での信託契約みたいな感じで、トラストの名が相応しい感じがします。
僕が誤解していたのは、ナショナル・トラストは単なるNPOどころではなく、イギリス政府お墨付きの団体だということ。
多くの恩典が与えられすぎている。英国政府はどうもナショナル・トラストびいき過ぎる。だって、自然や建造物の保存がこの時代の英国における重要な要請であったとするならば、同じようなことを考えていた人はほかにだっていたはずでしょう?
温泉街のまんじゅう屋みたいに「本家」と「元祖」が入り乱れたっておかしくないはずです。
しかし考えてみると、こうした団体が乱立する必要性ってあんまりない。著者の木原さんが強調されているように、保存のためには確固たる財政基盤が必要で、乱立は零細であることの裏返し。だから「自然保護を担う存在」として、ナショナル・トラスト協会に一元化されたのは、結果的によかったのだ。日本の零細NPOを見ていると、そう思います。
ちなみに現在の総裁はチャールズ皇太子。あれだ。日本で言えば山階鳥類研究所だ。
どちらにしても、小市民風情が心配することではなかった。
従いまして、ここは最新の情報を拾ったほうがいいはずです。
英国ナショナル・トラスト協会 HP
きれいなページ過ぎて、びびる。
「参加する!」「寄付する!」「イベント!」「ボランティア!」等の森を抜けたと思ったら、「きみが11才9ヶ月になるまえにすべき、50のこと」へ引き寄せられる、36才2ヶ月。これ超面白いよ。
わたくし、「どろだんご」に関しては結構自信があります。けっこう鍛えましたから。これも結構凝ったページだなぁ。
童心から36才にハッと立ち返り、気を取り直し、やはり一見さんとして慎ましやかに"About us"から入門します。
370万人以上の会員と61,000人以上のボランティア、5,000万人のトラスト地への来場者のうち、1,700万人の有料来場者
…なんぞこれ。イギリスの人口は何人だったかしら。
ちなみに本書では、91年末の会員数が215万人と記載されていますので、およそ2倍になった計算になります。
日本で会員数の多いNPOとして、野鳥の会とWWFが挙げられます。5万人くらい、と聞いたことがあります。10年くらい前の話なので現時点では定かではありませんし、野鳥の会は高齢化社会で自然減だぜ、という話もちらりと。いずれにしろ、フタケタちがいです。
今までに350の歴史的建造物や庭園などを保存してるんだけど、それほか森や農地や海岸も保全しているよ、と書かれています。
たくさんのキャンペーンやアクティビティが張られていて、活発に更新されているようです。訪問していて楽しい。夏祭りの夜店を歩くようです。
過疎っているサイトは悲しい。賑やかそうなサイトは訪れたくなる。更新ないから過疎るのか、過疎ってるから更新する気力が沸かないのか。じっくり胸に手を当てて考えてみたいところですが、込み上げる嗚咽を噛み殺しつつ、筆を進めます。
もうひとつ。特筆すべきと感じたのは「年次報告書」。
National trust annual report 2013-2014
こいつも恐ろしくキレイな出来ですが。
この年の催し物の内容や活動改善計画など、微に入り細に入り、記載されています。会計報告も詳細。法律で開示義務があるのかもしれませんが、明朗会計でやってるんだぜ、と外部に示すのは大事なことだと思います。
様々なアクティビティに取り組めるということは、英国ナショナル・トラスト協会の持つカタログの多さを示している。ただ、それだけじゃない。先ほどは、しかるべきところに「無理やり」存在させようとしている、と書いたんだけれど、別の見方をすれば、「新しい価値の創造」なのかもしれない。
ある古びた、でもなかなか感じのよい洋館があって、これをナショナル・トラストが買い取り、保存したとする。寄付しても元持ち主は住めるから、この洋館の目的は従前どおりの使い方がなされる。
しかし元持ち主は、協会の指針に従って、住みながら手入れをする。また、この感じのよい建物を内見したい人が訪れる。元持ち主はちょっと嬉しくなったりしちゃって、頑張って紹介しちゃったり、もっと手入れを頑張ってみたりする。
以上、ナショナル・トラスト妄想。
かつてその地域を統べていた領主様と、この元持ち主では、生活しているのは同じでも、目的や価値観は違う。ハードウェアが同じでも、ソフトウェアは時代とともに変わる。
領主様は空き時間にスマホをいじらない。元住人は気まぐれに領民を縛り首にしない。
感じのよい洋館は相変わらず、感じのよい洋館だろう。
(※一部偏見が含まれておりますことをご了承下さい)
ナショナル・トラストのアクティビティを、その場所における「この時代に即した価値創造」と考えると、しっくりくる。江戸時代に江戸村があっても誰も行かない。現在に江戸村があるから、価値がある。
アクティビティの発掘が「保存」の本義ではないにしても、結果的に「保存」に繋がる。彼らはこれからも知恵を絞り、アクティビティを模索し続けるのだ。
こうしたアクティビティと健全な財政状況は、欠くことのできない両輪である一方で、まったく別の頭を使う必要がある。
保護しよー、だけでは保護できない。それが日本の保護運動に突きつけられた課題なのではないかしら。
さてさて、長くなりました。どうも無駄話が多すぎて、いけないね。
今回は英国ナショナル・トラスト協会について書いてきましたが、テキストはあと半分残っています。日本ではどうなの、という話。これを次回にしたいと思います。
それではまた次回。
その3につづく
第1回はこちら
たとえば? - ナショナル・トラスト。ということで、ナショナル・トラストについて勉強していきます。てきとーに考えているだけじゃだめだ。ということで、本を買いました。Amazonで。中古で。
木原 啓吉
三省堂
売り上げランキング: 225,168
三省堂
売り上げランキング: 225,168
しかしですね。本のチョイスが、いささかてきとー過ぎました。
タイトルみながらでポチリとしたわけですが、届いてびっくり。1992年。
20年以上前の本じゃないか。おう…。
まあ、こんな話ってそんなに変わるものではないでしょ。新しい話はネットで仕入れればいい。なんにしても勉強にはテキストが必要ですから。
ということで、前向きにさくさくと読み進めていきました。
本書のアウトライン。大雑把に描くとこんな感じ。
発祥の地のイギリスでのナショナル・トラストの沿革と制度について。そして日本での広がり。以上。
まずは発祥の地であるイギリスでの事情は押さえておこう。
- ナショナル・トラスト協会の設立経緯
少し詳しく説明すると、産業革命でロンドンなどの都市人口が急増する。食物など彼らの需要に応えるために、郊外の共有地の「囲い込み」(おお、エンクロージャーって学校で習ったね、そういえば)が始まる。
ドラスティックな土地利用の変化が起こるわけだ。開発にともない、既存の景観や環境は破壊される。たぶんそういうことだろうと思います。
イギリス行ったことないからいまいち想像がつかないけれど、例えばイギリスの広大な牧草地や田園風景を日本でいう「里山」に置き換えてみると、ちょっとわかるかもしれない。
好ましい原風景として、里山は多くの日本人の心の中にあるじゃないか。世間的に。一般的に。
郊外にセカンドハウスを持たない都会のワーキング・クラスは関係ない気がするけれど、そもそも僕だって里山育ちではないしね。当方、コンクリート・ジャングルを生き抜いたコインロッカー・ベイビーズだからな。うそですけど。
でも!わかるでしょ!里山!いいよね!みたいな。
すんません、てきとーで。
でも、原風景なんて実際、そんな程度なんじゃないかな。
木原さんはナショナル・トラストの根底思想として「アメニティ」を挙げ、これを説明しようと試みる。これは議論が別れるし、話が長くなるから、深入りはしない。
だって、「しかるべきものが、しかるべきところに存在する状態(The right things in the right place)」と言われて、すとんと落ちる人と落ちない人がいるでしょ。あくまで最大公約数的な話でしかない。「誰にとって、しかるべき」なのか。
東インド会社の活躍以降、イギリスではインド系イギリス人が増加した。だからイギリス的「里山」の風景だって、いささか変容しているのかもしれない。
カズオ・イシグロの描く風景は、どこまでも英国的な香りがする。長崎ちゃんぽんどころか、しょうゆの香りすらしない。
こういう話って、どこか不思議なものです。
話を戻すぞ。
「共有地保存協会」から「ナショナル・トラスト協会」に名称が変更された経緯として、創始者の一人であるロバート・ハンターは、単なる啓蒙のためのボランタリーな団体ではなく、「確固とした基盤をもつ法人組織」の必要性を確信したためだという。一方で、慈善的な性格を持たせるため、「カンパニー」ではなく「トラスト」にしたのだと。まさに慧眼。
こうして「ナショナル・トラスト協会」は、国民のために土地と建物の買取り保管することのできる非営利法人として発足したわけです。ちなみに正式名称は、「歴史的名勝および自然的景勝地のためのナショナル・トラスト(The National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty」なんだそうですよ。
- ナショナル・トラスト協会の活動内容
その意味で、「しかるべきものが、しかるべき場所に存在する」という言葉は、やや逆説的な響きを帯びます。「無理やり存在させようとしている」からこそ、手間や人手がかかるのではないか、と。「原風景」は「現風景」ではないからね。
そのような営みに求められるのはやはり、「確固たる財政基盤」なのでしょう。
- ナショナル・トラストの特権
ナショナル・トラストは国から認められた、いくつかの特権を有している。具体的には、
- 1907年にナショナル・トラスト法が制定。第4条でナショナル・トラストの目的を「美しい、あるいは歴史的に重要な土地や建物を国民の利益のために永久保存する」と明記されている。
- 保存管理する資産について「譲渡不能」を宣言する権利をナショナル・トラストに認めた(第21条)。宣言された資産は売却・抵当の対象にならないため、寄付者は安心して財産を寄贈することができる。
- 保有財産の管理と保護のための規則制定権と保有財産に対する入場料の徴収権が付与されている。
- 維持管理費用を生み出す資産を取得する権限も認められている。保存費用を生み出すための「基本財産」を持つことが認められている。
- 保存誓約制度の導入。貴重な建物や土地を持っている人とナショナル・トラストが、保存誓約をすることで相続税減額の特典がある。ナショナル・トラストが資産を保有することにはならないが、保存の目的を達成することができる。イギリスは相続税がすごく高いらしく、とても大事らしい。
- 保存のためにナショナル・トラストに寄贈・遺贈された資産に対する非課税。寄贈者の子孫はナショナル・トラストのテナントとしてそこに住み続けることができるようにした。
まさにハンターさんの構想どおり、財政・運営基盤に関する特典が多数配置されていることに目が行く。また、2.や6.など寄付者が安心して寄付できるような制度設計も印象的。自然や景観は一代で成立したものではないし、所有者の事情で手放さざるを得ない場合はある。
ただ、本意としては守りたい。その種の希望って、結構あるでしょう。また、2.などは本当の意味での信託契約みたいな感じで、トラストの名が相応しい感じがします。
僕が誤解していたのは、ナショナル・トラストは単なるNPOどころではなく、イギリス政府お墨付きの団体だということ。
多くの恩典が与えられすぎている。英国政府はどうもナショナル・トラストびいき過ぎる。だって、自然や建造物の保存がこの時代の英国における重要な要請であったとするならば、同じようなことを考えていた人はほかにだっていたはずでしょう?
温泉街のまんじゅう屋みたいに「本家」と「元祖」が入り乱れたっておかしくないはずです。
しかし考えてみると、こうした団体が乱立する必要性ってあんまりない。著者の木原さんが強調されているように、保存のためには確固たる財政基盤が必要で、乱立は零細であることの裏返し。だから「自然保護を担う存在」として、ナショナル・トラスト協会に一元化されたのは、結果的によかったのだ。日本の零細NPOを見ていると、そう思います。
ちなみに現在の総裁はチャールズ皇太子。あれだ。日本で言えば山階鳥類研究所だ。
どちらにしても、小市民風情が心配することではなかった。
- 英国ナショナル・トラスト協会の現在
従いまして、ここは最新の情報を拾ったほうがいいはずです。
英国ナショナル・トラスト協会 HP
きれいなページ過ぎて、びびる。
「参加する!」「寄付する!」「イベント!」「ボランティア!」等の森を抜けたと思ったら、「きみが11才9ヶ月になるまえにすべき、50のこと」へ引き寄せられる、36才2ヶ月。これ超面白いよ。
わたくし、「どろだんご」に関しては結構自信があります。けっこう鍛えましたから。これも結構凝ったページだなぁ。
童心から36才にハッと立ち返り、気を取り直し、やはり一見さんとして慎ましやかに"About us"から入門します。
370万人以上の会員と61,000人以上のボランティア、5,000万人のトラスト地への来場者のうち、1,700万人の有料来場者
…なんぞこれ。イギリスの人口は何人だったかしら。
ちなみに本書では、91年末の会員数が215万人と記載されていますので、およそ2倍になった計算になります。
日本で会員数の多いNPOとして、野鳥の会とWWFが挙げられます。5万人くらい、と聞いたことがあります。10年くらい前の話なので現時点では定かではありませんし、野鳥の会は高齢化社会で自然減だぜ、という話もちらりと。いずれにしろ、フタケタちがいです。
今までに350の歴史的建造物や庭園などを保存してるんだけど、それほか森や農地や海岸も保全しているよ、と書かれています。
たくさんのキャンペーンやアクティビティが張られていて、活発に更新されているようです。訪問していて楽しい。夏祭りの夜店を歩くようです。
過疎っているサイトは悲しい。賑やかそうなサイトは訪れたくなる。更新ないから過疎るのか、過疎ってるから更新する気力が沸かないのか。じっくり胸に手を当てて考えてみたいところですが、込み上げる嗚咽を噛み殺しつつ、筆を進めます。
もうひとつ。特筆すべきと感じたのは「年次報告書」。
National trust annual report 2013-2014
こいつも恐ろしくキレイな出来ですが。
この年の催し物の内容や活動改善計画など、微に入り細に入り、記載されています。会計報告も詳細。法律で開示義務があるのかもしれませんが、明朗会計でやってるんだぜ、と外部に示すのは大事なことだと思います。
様々なアクティビティに取り組めるということは、英国ナショナル・トラスト協会の持つカタログの多さを示している。ただ、それだけじゃない。先ほどは、しかるべきところに「無理やり」存在させようとしている、と書いたんだけれど、別の見方をすれば、「新しい価値の創造」なのかもしれない。
ある古びた、でもなかなか感じのよい洋館があって、これをナショナル・トラストが買い取り、保存したとする。寄付しても元持ち主は住めるから、この洋館の目的は従前どおりの使い方がなされる。
しかし元持ち主は、協会の指針に従って、住みながら手入れをする。また、この感じのよい建物を内見したい人が訪れる。元持ち主はちょっと嬉しくなったりしちゃって、頑張って紹介しちゃったり、もっと手入れを頑張ってみたりする。
以上、ナショナル・トラスト妄想。
かつてその地域を統べていた領主様と、この元持ち主では、生活しているのは同じでも、目的や価値観は違う。ハードウェアが同じでも、ソフトウェアは時代とともに変わる。
領主様は空き時間にスマホをいじらない。元住人は気まぐれに領民を縛り首にしない。
感じのよい洋館は相変わらず、感じのよい洋館だろう。
(※一部偏見が含まれておりますことをご了承下さい)
ナショナル・トラストのアクティビティを、その場所における「この時代に即した価値創造」と考えると、しっくりくる。江戸時代に江戸村があっても誰も行かない。現在に江戸村があるから、価値がある。
アクティビティの発掘が「保存」の本義ではないにしても、結果的に「保存」に繋がる。彼らはこれからも知恵を絞り、アクティビティを模索し続けるのだ。
こうしたアクティビティと健全な財政状況は、欠くことのできない両輪である一方で、まったく別の頭を使う必要がある。
保護しよー、だけでは保護できない。それが日本の保護運動に突きつけられた課題なのではないかしら。
さてさて、長くなりました。どうも無駄話が多すぎて、いけないね。
今回は英国ナショナル・トラスト協会について書いてきましたが、テキストはあと半分残っています。日本ではどうなの、という話。これを次回にしたいと思います。
それではまた次回。
その3につづく