研修がありまして。経済学。大学の先生が教えてくれました。
なかなかさ、仕事していると勉強する時間って取れないから面白く受講してきました。
公共事業の端くれに携わっているわけです。ある事業があって、国と県、ときどき市町村がお金を出しあい耳を揃えて地域に配当します。実際には国費は翌年度に来ますけど。そんなことをしているわけだから、「政府支出の乗数効果」はやはり気になるところです。これは「政府支出のGDP押し上げ効果」を意味します。
70年代の乗数効果は3倍を超えていたらしい。つまり、1兆円の公共事業で3兆円の経済効果が発生した、ということ。
ポイントとしては、これは公共事業の目的は問われません。あくまで政府という主体がお金を支出すること自体に意味があると。極言すれば、穴掘って埋めるだけでもGDP上がるぜ、ということになる。会計検査院は不要な世界です。
インフラ投資による効果と相まって、高度成長期って一粒で二度おいしい感じの公共事業が展開できていたのかもしれません。知らないけど。
この乗数効果、現在ではどうも1くらいであるらしい。あるいは1を切っているかもしれないらしい。0.8だったとしたら、1兆円の支出で8,000億の効果しかない。カンフル剤としての効用はほぼなくなってしまった、ということを意味します。
そんなものか、と思いながらググってみると、論文に出くわすわけです。
マクロモデルからみた財政政策〜「政府支出乗数」に関する整理と考察〜 経済のプリズム
難しいな。やっぱり近年は1前後でにあるように見えます。ただし、オイルショック以降、物価や金利が上昇したため、むしろそれ以前が高かった、という話もあるようです。
講師も注釈を入れていましたが、この乗数効果の計算(ケインズの消費関数)って非常にシンプルで、講義では単なる1次方程式の総和として表現されていました。パラメータになるのが、限界消費性向っていうやつで「所得に占める消費の割合(残りが貯蓄)」だそうです。もちろん、世の中の消費者が収入が増えれば簡単に支出を増やしていくほどシンプルさんではありません。
関連して、公共投資の割合が印象的でした。県内総生産に占める公共投資の割合。
一般的に首都圏・大都市が公共投資の割合が少なく、地方に行くほど多い傾向。講師の方の出身の北海道は20%近いように見えます。つまり、そういうことです。地方に行くほど、公共投資が大事になっていく。
仮に公共投資がなくなったらどうなるのだろう。そんなことを考えてみる。
統計資料って検索すればするほど出てくる。でも細かすぎて、ちーん、となった。もっとわかりやすいものはないのか。しろうとにもわかるようなやつが。
ありました。こちら。
都道府県別統計とランキングで見る県民性
これ、けっこう面白いです。
新潟県民のページをみますと、日本酒消費量が偏差値86の全国1位。すばらしい。さすがだ。スイカの消費量1位。うーむ。
逆に下位の方をみると、牛肉とほうれんそうの消費量は最下位なのですね。あと、人工林率が45位です。林業の人としては、腕がなりません。
さて。こちらで、県内総生産をひもときます。
県内総生産 2010年
新潟県は8兆6千億円ほど。順位こそ14位と中の上ですが、偏差値は48です。これでは早慶上智は夢のまた夢、大東亜帝国ならどうか。日本酒消費量で魅せた勢いは、一切感じさせられません。
次に新潟県の公共事業費。こちら
公共事業費 2011年
3,500億円ほどです。偏差値65で全国4位。簡単に県内総生産を分母として割ってみると、公共事業費の占める割合は、GDP比4%ほどになります。なるほど。
これがなくなるとすると、当然4%分のGDPが減少するわけですが、単純に給与が96%になるわけではないはずです。ある業種、たぶん建設業の従業員が失業するわけですね。僕も人員整理されるかもしれません。もう分配する人だっていらんからね。
つらつらと、想像してみました。
まず、今まで需要していた資材が売れなくなるでしょう。そして作業員の給与がなくなるから、地域の小売店に影響がでる。職を失った彼らは求職するので、有効求人倍率が下がる。そして賃金が下がるだろう。求職するにもその地域に仕事がない場合は、転居する必要があるだろう。
結果、末端の地方ほど、人が消失する。そう想像します。
そんな感じで、当事者はすごく大変なのは間違いないけれど、その影響は政府支出と同じように広く・薄く波及していくことが想像される。
GDPを引っ張り上げるカンフル剤としての効用を狙っていたとしても、数十年と続けているうちに、それを所与のものとして受け入れるシステムが出来てしまっているから、簡単にやめる、とはいかない。政府支出を減らしていくような財政構造改革は現実的に必要とされている面があるとしても、出来上がったシステムが壊れるときに「痛み」があるでしょう。
仮に政府支出がなくなったときに、僕が佐渡で土方をしていたと想像する。僕は逃げきれるだろうと思いました。うん、東京に帰ろう、仕事を探そう、そう思うでしょう。ベトナムに行くかもしれませんが。
逃げづらい人・動けない人ほど、つらい目にあうだろうと思うんですよね。ずっとそこに住んできた人や、心身を害している人、高齢である人。「動けないもの」の最大級は、さしずめ地方自治体でしょう。そこから消滅可能性都市の話に転がっていくんだな。
うまい方法はないのかしら:地方消滅 東京一極集中が招く人口急減
ぼやぼやと、そんなことを考えました。
たしかにこの辺の話って実生活にも仕事にもすぐには使う機会はなさそうです。でも、一歩引いて仕事を眺める意味でちょっとおもしろかった。
あと、経済学って面白い。もっともらしい仮説をまずは作る、そして実際に当てはまるか調べてみる。こういうちまちまとした作業は割と好きだなと。
なかなかさ、仕事していると勉強する時間って取れないから面白く受講してきました。
公共事業の端くれに携わっているわけです。ある事業があって、国と県、ときどき市町村がお金を出しあい耳を揃えて地域に配当します。実際には国費は翌年度に来ますけど。そんなことをしているわけだから、「政府支出の乗数効果」はやはり気になるところです。これは「政府支出のGDP押し上げ効果」を意味します。
70年代の乗数効果は3倍を超えていたらしい。つまり、1兆円の公共事業で3兆円の経済効果が発生した、ということ。
ポイントとしては、これは公共事業の目的は問われません。あくまで政府という主体がお金を支出すること自体に意味があると。極言すれば、穴掘って埋めるだけでもGDP上がるぜ、ということになる。会計検査院は不要な世界です。
インフラ投資による効果と相まって、高度成長期って一粒で二度おいしい感じの公共事業が展開できていたのかもしれません。知らないけど。
この乗数効果、現在ではどうも1くらいであるらしい。あるいは1を切っているかもしれないらしい。0.8だったとしたら、1兆円の支出で8,000億の効果しかない。カンフル剤としての効用はほぼなくなってしまった、ということを意味します。
そんなものか、と思いながらググってみると、論文に出くわすわけです。
マクロモデルからみた財政政策〜「政府支出乗数」に関する整理と考察〜 経済のプリズム
難しいな。やっぱり近年は1前後でにあるように見えます。ただし、オイルショック以降、物価や金利が上昇したため、むしろそれ以前が高かった、という話もあるようです。
講師も注釈を入れていましたが、この乗数効果の計算(ケインズの消費関数)って非常にシンプルで、講義では単なる1次方程式の総和として表現されていました。パラメータになるのが、限界消費性向っていうやつで「所得に占める消費の割合(残りが貯蓄)」だそうです。もちろん、世の中の消費者が収入が増えれば簡単に支出を増やしていくほどシンプルさんではありません。
関連して、公共投資の割合が印象的でした。県内総生産に占める公共投資の割合。
一般的に首都圏・大都市が公共投資の割合が少なく、地方に行くほど多い傾向。講師の方の出身の北海道は20%近いように見えます。つまり、そういうことです。地方に行くほど、公共投資が大事になっていく。
仮に公共投資がなくなったらどうなるのだろう。そんなことを考えてみる。
統計資料って検索すればするほど出てくる。でも細かすぎて、ちーん、となった。もっとわかりやすいものはないのか。しろうとにもわかるようなやつが。
ありました。こちら。
都道府県別統計とランキングで見る県民性
これ、けっこう面白いです。
新潟県民のページをみますと、日本酒消費量が偏差値86の全国1位。すばらしい。さすがだ。スイカの消費量1位。うーむ。
逆に下位の方をみると、牛肉とほうれんそうの消費量は最下位なのですね。あと、人工林率が45位です。林業の人としては、腕がなりません。
さて。こちらで、県内総生産をひもときます。
県内総生産 2010年
新潟県は8兆6千億円ほど。順位こそ14位と中の上ですが、偏差値は48です。これでは早慶上智は夢のまた夢、大東亜帝国ならどうか。日本酒消費量で魅せた勢いは、一切感じさせられません。
次に新潟県の公共事業費。こちら
公共事業費 2011年
3,500億円ほどです。偏差値65で全国4位。簡単に県内総生産を分母として割ってみると、公共事業費の占める割合は、GDP比4%ほどになります。なるほど。
これがなくなるとすると、当然4%分のGDPが減少するわけですが、単純に給与が96%になるわけではないはずです。ある業種、たぶん建設業の従業員が失業するわけですね。僕も人員整理されるかもしれません。もう分配する人だっていらんからね。
つらつらと、想像してみました。
まず、今まで需要していた資材が売れなくなるでしょう。そして作業員の給与がなくなるから、地域の小売店に影響がでる。職を失った彼らは求職するので、有効求人倍率が下がる。そして賃金が下がるだろう。求職するにもその地域に仕事がない場合は、転居する必要があるだろう。
結果、末端の地方ほど、人が消失する。そう想像します。
そんな感じで、当事者はすごく大変なのは間違いないけれど、その影響は政府支出と同じように広く・薄く波及していくことが想像される。
GDPを引っ張り上げるカンフル剤としての効用を狙っていたとしても、数十年と続けているうちに、それを所与のものとして受け入れるシステムが出来てしまっているから、簡単にやめる、とはいかない。政府支出を減らしていくような財政構造改革は現実的に必要とされている面があるとしても、出来上がったシステムが壊れるときに「痛み」があるでしょう。
仮に政府支出がなくなったときに、僕が佐渡で土方をしていたと想像する。僕は逃げきれるだろうと思いました。うん、東京に帰ろう、仕事を探そう、そう思うでしょう。ベトナムに行くかもしれませんが。
逃げづらい人・動けない人ほど、つらい目にあうだろうと思うんですよね。ずっとそこに住んできた人や、心身を害している人、高齢である人。「動けないもの」の最大級は、さしずめ地方自治体でしょう。そこから消滅可能性都市の話に転がっていくんだな。
うまい方法はないのかしら:地方消滅 東京一極集中が招く人口急減
たしかにこの辺の話って実生活にも仕事にもすぐには使う機会はなさそうです。でも、一歩引いて仕事を眺める意味でちょっとおもしろかった。
あと、経済学って面白い。もっともらしい仮説をまずは作る、そして実際に当てはまるか調べてみる。こういうちまちまとした作業は割と好きだなと。